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zoom RSS 憲法を詩(うた)う −11−

<<   作成日時 : 2008/10/20 07:16   >>

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わたしが子どもだった頃/日本は戦争をしていた/おとなたちはみな/カーキ色の愛国心を身にまとい/国家に捧げた脚にゲートルを巻いて歩いた□わたしが子どもだった頃/日本は戦争をしていた/小学校は国民学校に名前を変え/天皇のために命をささげる/小国民を育てていた

   世界中の子どもたちに憲法九条の輝きをください

  わたしが子どもだった頃
  日本は戦争をしていた
  日の丸の旗がアジアや朝鮮半島や
  満州大陸にひるがえり
  君が代がそれらの国の国家になった

  わたしが子どもだった頃
  日本は戦争をしていた
  教育勅語を暗記できない子は非国民だった
  隣組はすべての市民を監視する目だった
  マスコミは嘘のニュースしか流さなかった

  わたしが子どもだった頃
  日本は戦争をしていた
  町は明かりを許されず
  アメリカの空襲にそなえて
  服を着たまま眠る夜がつづいた

  わたしが子どもだった頃
  それでも日本は戦争をつづけていた
  日本中が飢えて南の島では兵隊が餓死した
  軍隊は住民の口から食料を奪った
  兵隊の骨は紙切れになって還ってきた

  わたしが子どもだった頃
  それでも日本は戦争をしていた
  天皇は空襲警報を止めてねむり
  下町のすべてが焼きつくされるのを見捨てた
  八月六日のヒロシマ九日のナガサキも

  わたしが子どもだった頃
  侵略戦争に反対して殺された人たちがいた
  愛する家族を守ると信じて死んでいった
  青年たちがいた
  天皇は神と信じて耐えた子どもたちがいた

  わたしが子どもだった頃
  日本は戦争に負けた
  満州大陸で朝鮮半島で
  置き去りにされたたくさんの子ども
  四十数年過ぎて帰っても父母は死んでしまっていた

  わたしが子どもだった頃
  日本は戦争をしていた
  今のイラクの子どもたちのように
  学校へ通う道で市場に行く道で
  米軍の機銃掃射で殺されたりした

  わたしが子どもだった頃 戦争は終わった
  黒い布をはずされた電灯のまぶしさが
  平和のかたちに見えた
  生きたかった子どもたち行きたかった青年たち
  満州大陸でアジアの島々で祖国を夢見た兵隊

  わたしが子どもだった頃
  二度と戦争をしないと生まれた平和憲法
  イラクの子どもたちの願いは
  おとなになるまで生きていたいことだという
  その子どもらのためにも必要な憲法九条

  平和は豊かで美しいものだと
  すべての子どもに見せてやりたい
  平和は豊かで美しいものだと
  信じて育つ子どもを産みたいなら
  どうぞ加えてください あなたの名前を
  憲法九条を守る旗に
画像
〔注〕 左の本のあとがきで「国民学校一年生の会」の事務局長高岡ュ郷さんはこう書いてます。「・・・1941(昭和16)年4月、私たちが小学校にはいろうとしたとき、「小学校」が「国民学校」に変わったのです。「皇国民の養成」という目的で、天皇制軍国主義の教育を徹底強化するためでした。教科書も変わり、「欲しがりません勝つまでは」が、みんなの合言葉にさせられました。戦争が終わったあと、教科書に墨を塗らされました・・・」この詩の作者・永井和子さんは1935(昭和9)年大阪生まれ、昭和16年に国民学校に入りました。高岡さんと同じ年です。そして、長い間、東京の江東区で「東京大空襲」を後の世に伝えるために奔走した仲間でした。  


  

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