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zoom RSS 狩野光男画 東京大空襲

<<   作成日時 : 2009/08/24 08:08   >>

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あの東京大空襲を絵画で告発し続けてきた狩野光男さん。地獄絵図のような中をくぐりぬけてきた体験者がつづる証言をもとに連作で10点描きました。その想像を絶する「語り」と凄惨な「絵」のコラボレーションが見るものに迫り、胸を突かれる思いです。(東京大空襲訴訟を支援する会・提供)
             
           体験者の証言による連作画 狩野光男・画

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  NO.1 有楽町付近の爆撃 1945年1月27日

       体験証言者・狩野光男 14歳
 
 
 昭和20年1月27日、銀座方面が爆撃され多くの死傷者が出た。私は偶然通りがかったのだが、はじめて見る惨状に目をそむけた。

 国電有楽町駅のガード下は地獄絵図だった。爆風に飛ばされ建物の壁面に逆さに吊り下がった人、手首だけがからんだ電線、あちこちに血だらけの肉片が飛び散り、重傷者のうめき声、呆然と見ていると、騎馬の憲兵が飛んで来て、「救助でない者は行け」と追い払われた。


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NO.2 言問橋浅草側の火炎地獄 1945年3月10日
      
       体験証言者・狩野光男 14歳
 
 
 私は両親と妹2人、遠縁の同居人2人を亡くした。言問橋の上では、浅草側から逃げる人々と本所向島から浅草を目指す人々がぶつかり合い、山となり、荷物も人も焼き尽くした。隅田川に飛び込んだ人たちの中には、ショック死、焼死、溺死、凍死した人も多かった。

 後に証言した人の記録を読むと、浅草側の火焔が風となって隅田川を渡り、本所側の家に火が付いたという。公園内の高射砲陣地からは最後まで砲弾の発射音が続いていた。公園内にとどまった人々は人間の尊厳を失った無残な姿になった。

 この中で一命を拾った私は奇跡としかいいようがない。


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