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zoom RSS 「雲流るる果てに」 −序−

<<   作成日時 : 2009/12/17 07:32   >>

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私、永井至正(旧姓神島)が座右の書にしているものの一つに『雲流るる果てに』があります。神風特別攻撃隊で戦死した兄・利則の同期生が昭和27年に編集、発刊した「遺稿集」です。ときが経ち、紙面は茶色がかっています。言ってみればセピア色した書置きとでもいうのでしょうか。あれから65年、私も残り時間が少なくなりました。兄が「あとを継いでくれ」と言い残した言葉を受け継いで、痛恨の思いで逝った若者たちの言葉・「雲流るる果てに」(317頁)をシリーズで全文紹介します。
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    =発刊の言葉=
 
 終戦以来七年、今漸くにしてこの書の発刊をみるに到りましたことは洵に感慨無量なるものがあります。

 そして、今この本に収録するために集められました四百五十通に餘る遺書、遺詠、遺文の数々は嘗っての戦争によりこの地上から消え去って行った多くの人々の、真實や、愛情や、知性が、新しい歴史のために如何に高價な代償を支拂ったかといふことを、聲なき聲を以て私達にひしひしと迫ってくるのを痛感いたすのであります。

 何故ならば、こゝにある「神風特別攻撃隊員」を含めた総ての人々の遺稿が、我々の過去の清算のためではなくて、明日のために、よりよく生きるために、そしてまた人間を人間らしく取扱ふ明るい生活のために、自らがこの運命を選び對決したことを物語ってゐるからであります。


 こゝにある総ては、大學及び高専を卒業若しくは在學中に、海軍飛行専修豫備學生を志願して散華して行った人々の手記であります。
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 戦後、戦没学徒の手記として「きけわだつみのこえ」という本が刊行され、そしてそれが当時の日本の青年の気持ちの全部であったかのような感じで迎えられ、多大の反響を呼んだのであります。確かにあゝした気持ちの者も、数多い中には相当居った事と思います。

 しかしながら、それが一つの時代の風潮におもねるが如き一面からのみの戦争観、人生観のみを画き、そしてまた思想的に或は政治的に利用されたかの風聞をきくに及んでは、「必死」の境地に肉親を失われた遺家族の方々にとっては、同題名の映画の場合と同様に、余りにも悲惨なそれのみを真実とするには、余りにも呪われた気持ちの中に放り出されたのではないかと思います。

 
 勿論私達は現実を直視し、事実に眼を開くのにやぶさかではありません。それだけに、本当に紙一重の生活の中から生還した者達として、当時の散華して行かれた方々の気持ちはもっと坦々とした、もっと清純なものであったことを信じて、これを世に訴えるべきだと思ったのであります。
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 「私はかうして作戦した」「わたしはかうして特攻隊を作ったのだ」といふことのみであり、その戦ひに殉じた人々の真の心情について触れるところが少ないやうに思ふのであります。それが史実であり本当の意味での戦記として残されるべきものであるならば、もっとこのやうな点でも真実が現はさるべきであり、遺族の方々の身になってみれば、遺族がほんたうに望んでゐる亡くなった人々の叫びを偽りなく出すべきではないかと思ったのであります。

 私達は徒らに死を讃美するものではありません。しかしながら死という人生の最終の段階迄に到達した時に脈々とわき上がってくる気持ちこそ、真実の叫びだと思ふのであります。或る者は「天皇陛下万歳」と叫び、或る者は死の一瞬に「お母さん」と叫んで突入してゆきました。

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 附表にありますように、軍隊といふ一つの組織の中にはめられ、就中「神風特別攻撃隊」といふ枠の中に押し込められて無理矢理に突入させられたかのやうに言われて居りました特攻隊員の中の准士官以上即ち指揮官の実に八割五分迄が学徒出身の飛行予備学生であったといふ事実は、歴史の記述においても重視せられるべきだと思ひます。この人々の遺した心の記録こそ現在の日本の国民の一人一人が夫々の立場から自分自身の血とし肉とすべきものを汲みとるべき重要なものを含んでゐると思ひます。その為にも主観を交えへずにありの儘の姿で出すべきであると思ふのであります。

 集められた原稿はどれ一つとして割愛することの出来ないものばかりでした。そして当初はそれを全部収録するつもりにしてをりましたが、今日の出版事情その他の条件によりまして私達の計画は到底不可能なことを知りましたので、止むを得ず慎重審議の結果その中から六十余編を選出致したのであります。また今回の遺稿を集めることにつきまして、出したくとも戦災等のため何一つ残されてゐない遺族の方々も数多くにのぼられましたので、付記のやうな戦没者の名簿をつけたことにより、収められなかった方々へもお詫び申上げ、またそれらの方の声はこの中の誰かが代わって叫んでゐてくれるのだというやうに感へていただくことによって御諒恕下さいますようお願い申し上げたいのであります。

 この中に盛られた総てのものが、内には今日を予言しつゝも、飽くまでも私達の国土を愛し、人間を愛し家を愛する魂によって、あの当時の私達に課せられた歴史的現実を直視し、「母性」のやうな生と死を一つに把握する隊大愛の精神に生きたことを物語ってゐるのであります。

 
 最後にこの本を編纂致すことになりました社団法人白鴎遺族会につきまして一言申述べさせていただきます。この会は当初「第十三期遺族会」として、昭和18年の九月に第十三期海軍飛行専修予備学生として三重、土浦の両海軍航空隊に入隊した者の、同期生とその遺族の方々の心のつながりから終戦後直ちに発足したものであります。その後、戦没者遺家族としては全国に唯一つの社団法人としての認可をうけた組織なのであります。
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 5,000人もの多くの同期生の中、約三分の一の者が比島沖、台湾沖の航空戦、就中沖縄をめぐる決戦で散華致しましたので、生き残った私達が「後は頼むぞ」「引き受けた」との戦友との固い約束を守って、終戦後のあらゆる苦難の中より遺族の救援へと立上がったものであります。

 従来の遺族団体といふものは、遺族自身のみの手によって形成されてゐましたので、殆んど力弱い存在となり、或は政治的に利用されたりすることが多かったのですが、この会はその遺族の方々を中心にして、三十歳前後の私達が国民の一人として、また人間としての道から、右だ左だなどと傾くことなしに、もっと大きな、もっと美しい魂のふれあひの中に育って来た会であります。

 美しい友情にかこまれたこの会の中で、私達は或る時は優しく、或る時は激しく、亡き人々達の声をきゝながら、彼等が望んでゐた平和と愛による人類社会の建設を目指して努力してゐるのであります。いつ如何なる時、またどんな主義思想の中にも、そこには共通一貫した美しい愛の精神の宿ることを信じます。

 またこの本は、亡き方々とその遺族の方々に捧げるために作られたものでもあり、若し幸ひに少しでも利益が出た時には全て戦没者遺家族の援護のための資金と致すといふことも会のためによく御了解いただきたいと思ふのであります。

 
 苦しい各々の生活の中から、また忙しい夫々の務めの傍ら、終始尽力して下さった同期生諸君と、終戦以来特攻隊の真の姿の表現に種々お力添えいたゞいた作家の山岡荘八先生、及び第二復員局の越後郷子さん、並びにこころよく出版を引き受けて下さった日本出版協同株式会社の福林社長に深甚の敬意を表するものであります

   昭和二十七年初夏                編集者代表 社団法人 白鴎遺族会
                                           理事長 杉  暁 夫

【注】杉 暁夫氏は早稲田大学出身、白鴎遺族会初代理事長。
 【用語について】終戦直後で漢字は旧漢字となっているが、これをなるべく当用漢字とし、カナ遣いは旧カナ遣いとした。

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