満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 山田和夫描く「特攻映画」F

<<   作成日時 : 2011/06/09 05:36   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

「その瞬間、彼らはまだ生きていた」−特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫

画像
(七) 新しい境地へ進む特攻映画を
 
 日本特攻映画史は続く。独立プロで多くの力作を生んだ神山征二郎監督に「二つのハーモニカ」(1976年)がある。特攻基地の若い隊員と近くに住む少年とが、ハーモニカを通して美しい友情を結ぶ物語で、親と子のよい映画を見る運動(親子映画運動)で好評を得た作品だが、特攻を扱った映画では「月光の夏」(1993年)が全国的に大きな反響をまき起こした。 

 音楽学校出身の特攻隊員が、基地近くの小学校でピアノを弾くことをたのしみにしていた。出撃のときが来た。彼は小学校の生徒たちにベートーヴェンの「月光」を置き土産に出撃した。ここまでは「ニつのハーモニカ」の延長と言えるし、特攻映画の一つのパターンである。しかし「月光の夏」はさらに一歩踏み込んだ。特攻出撃した隊員たちが機の故障などで引き返したとき、突入するまで出撃をくり返すが、それでも成功しないと「振武寮」と言う隔離施設に軟禁されて、軍人精神の修養を命じられる。最近その状況の研究が発表されたが、この映画ははじめて特攻のもう一つの暗い側面を明るみに出した。
 
 特攻は死ぬまで解放されないおそるべき“死刑執行”と言えた。そのおそろしさに踏み込んだ作品である。

画像
 降旗康男監督の「ホタル」(2001年)はさらに特攻の持つ、忘れてはならない側面にメスを入れた。特攻の死はあまりに痛ましい。従って特攻を描くとき、どうしても被害者的視点からの眼にとどまりがちである。ところが「ホタル」は、鹿児島県知覧の陸軍特攻基地を舞台に、多くの特攻隊員の世話をした食堂の女主人を中心に描く点では、石原特攻映画と同じだが、その特攻を見る眼は本質的に違っていた。

 女主人の鳥濱トメ(奈良岡朋子)は、戦後老齢のため引退することになり、お別れ会が開かれた。彼女は自分が送り出した若者たちを思い起こしながら、ついに泣き崩れる。「私たちはあの若い人たちを殺したんだ」と。この台詞(せりふ)はシナリオになかったので、のちに降旗監督にたずねて見た。「いやあの言葉は奈良岡さんがぜひ入れたいとおっしゃたんですよ」と。この映画全体の真摯(しんし)な取り組みぶりが、出演女優さんの積極的なかかわりを生み出したことを物語るエピソードである。

 
▼鳥濱トメさん
画像
 この「私たちが殺したんだ」と言う強い言葉には、あの特攻を、あの戦争を止められなかった私たちみんなの深い反省が込められていた。同じ女主人をヒロインにした石原特攻映画にはそうした視点はない。

 そして石原特攻映画にも朝鮮半島出身の特攻隊員が出てくるが、彼はトメさんに差別なく過してくれたことを謝し、祖国の歌「アリラン」を歌う。しかしそれ以上、朝鮮民族がなぜ特攻隊員にならざるを得なかったのかという、踏み込みはない。「ホタル」は最後までこの点にこだわる。朝鮮半島出身の金山とトメたちとの交流もくわしく、彼が背負った民族的悲運もしっかりと描き込まれている。


 金山の遺品が韓国の実家に届けられるラストのエピソードは、韓国の現地ロケと韓国人俳優の出演を得て、重厚な映像を形づくる。韓国の人たちは高倉健、田中裕子演じる主人公たちにたいして激しい違和感を見せる。「韓国人がなぜ日本の特攻隊に!」それは植民地化した朝鮮半島の人たちまで侵略戦争にかり出した日本帝国主義への怒りであり、金山の老母がその間を取り持ち、ようやく両者の間にあたたかい心が通い合う。 

 この「ホタル」は、これまで日本の特攻映画が触れ得なかった加害者的側面をしっかりと見すえていた点で、画期的な意味を持つ。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
山田和夫描く「特攻映画」F 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる