満州っ子 平和をうたう

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zoom RSS “満州っ子”HP作成GO!

<<   作成日時 : 2011/06/21 10:24   >>

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今日は6月21日。私のホーム・ページ・「満州っ子・平和をうたう」作成の準備が整いようやくスタートさせることができました。先ずはそのトップ・ページの絵作りの由来を紹介しましょう。順次、生まれた旧満州・公主嶺市の概要なども掲載していきます。

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 昭和ひと桁、旧満州(現中国東北部)生まれならではの絵葉書を挿入しました。生家から歩いても10分ほどの風景です。満州・公主嶺街の農事試験場の畜産風景。60余万坪という広大な敷地に群れをなす羊、遠く帝政ロシア支配時代の煉瓦積み牧舎もみられます。
 
 国民学校の低学年のころ友人たちとこの辺を走り回っていたことを思い出します。絵は画家の西島武郎氏が昭和8年ごろ描いたものといわれています。


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 最初に取り上げたのがこれ。雄大な大地の果てから陽が昇る風景を挿入しました。大陸といえば赤い夕日が沈む光景が取り上げがちだがこれは逆。昇る太陽に繋がるように、これからの一日がどう展開されていくのかイメージしていただこうと思ったからです。 

 なお、URLは(http://www.nagai-yoshi.jp/)と決定しました。(7月27日) 

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   公主嶺国民学校
 
 1945(昭和20)年卒業した国民学校。現中国東北部・吉林省公主嶺市にあった。広大な土地に煉瓦作りの2階建で、教室は35ほどの校舎は華麗そのもの。
 冬季零下30度までになる極寒の土地だけに暖房は完備。そのために真中に煙突がそびえている。同地にあった中国人の小学校とは雲泥の差。いたれり尽せりだった。


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     新京第一中学校
 
 1945年(昭和20)年8月、日本の敗戦とともにあの満州国は崩壊した。この十三年の歴史は、わが母校、新京(現中国東北部・長春)第一中学(旧制)のれきしでもあった。わずか四ヶ月(昭和20年〜8月)しか在学していなかった僕にとっても望郷の念をたぎらすとともに、中国に対する一人の日本人としての」自責の想いがよみがえる。

  広大な土地を収奪して
 
 新京中学は昭和8年に創立された。校舎建築は昭和8年11月から11年9月に完成するまで3年10ヶ月。建築面積、延べ3180坪、鉄筋コンクリート3階建て、レンガ壁、教室20室、各教室に設けられたクロークルームは当時の中等学校にはみられない特色で、2階の講堂は1060人収容、映写室も設けられていたほどの豪奢そのものであった。  

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 加えて校庭は東西4百、南北二百メートルあり、1周すると1.2キロにもなる広大なもの。校庭の片隅には鳥居のある神社まであり、そこは軍国精神高揚の場となっていた。
 4月に入学してまず驚いたのは校庭の広さ。上級生が、なんとグライダーを滑走させていたことだ。配属将校が軍事教練の時間にヘマをやらかせると罰則として「校舎2周!」と指示された。3キロほどの全力疾走は堪えた。この広大な校庭は恐らく満州事変のドサクサにまぎれて中国農民の土地を買いた叩いたに違いない。
  

  謝罪と鎮魂の旅はいつ
 
 あれから67年。子どもであっても皇道の推進者の一人。アジア進出と称して中国住民を足蹴に君臨していたことに慙愧の念を覚えるとともに、今なお、あの地に眠る兄を含めた日本人墓地の参拝を果していない。
 齢、傘寿を迎えて、「謝罪と鎮魂の旅」へ赴けるのはいつになることだろうか。

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