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zoom RSS 山田和夫描く「特攻映画」B

<<   作成日時 : 2011/06/03 05:12   >>

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「その瞬間、彼らはまだ生きていた」ー特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫

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(三) そのとき天皇は?・・・・・・「日本の悲劇」と
     「TOKKO 特攻」
 

 「戦争と平和」の亀井文夫監督は、その前に日本映画社で中編記録映画「日本の悲劇」(1946年)をつくった。日本映画社は戦時統制によりすべてのニュース映画社を統合して誕生した国策会社。戦中は厳重な検閲のもと、大本営発表の映画版と言える「日本ニュース」を製作した。敗戦後、戦前からの進歩的な映画評論家・岩崎昶が政策局長になり、「民主化宣言」を出し、自らのプロデュース、吉見泰シナリオ、亀井文夫監督で、「日本の悲劇」を製作、「日本ニュース」の素材を活用して逆に戦争の勃発から敗戦までの真実をあばいた。そのなかに戦中「日本ニュース」が撮影した特攻隊出撃の状況が映像に記録されていた。

 出撃する特攻隊員を前に、指揮官が訓示をする。手帳を取り出し、「畏きあたりより(つまり天皇より)、特攻隊にお言葉を賜った。『特攻隊はよくやった』とのこと」を伝える。この昭和天皇の言葉は、いくつかの文献に記録されている。 

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 1944年10月25日、フイリッピンで関行男大尉らの最初の特攻隊が突入した直後及川古志郎海軍軍令部総長は天皇に特攻隊について上奏した。「そのようにまでせねばならなかったか、しかしよくやった」。これが天皇の言葉である。米内光政海軍大臣の報告には「かくまでやらせなければならぬことは遺憾であるが、しかしながら、よくやった」と応じたと言う。前期特攻隊員に伝えられた天皇の言葉は、前半の「遺憾」の情を含む部分をカットし、「よくやった」の部分だけを強調しているけれど、前線では天皇が「よくやった」と言われた限りは、特攻を止めるわけにはいかなかったとし、耐えがたい苦悩のなかで還(かえ)ることなき出撃に臨む特攻隊員たちには、最後の至上命令として受け取らざるを得ない天皇の「命令」となった。

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 特攻作戦を発動した大西滝治郎海軍中将が側近の小田原参謀長に「他言は無用」と念を押して語った内容が伝えられている。(角田和男元海軍特務少尉の回想録「修羅の翼 零戦特攻隊員の真相」<今日の話題社>)。それによると大西は敗戦必至を予測し、一刻も早く講和をすべきだが、いま講和を言い出せば憲兵に殺されるだろう。それを言い出せるのは天皇だけだ、体当たり特攻が成功する見込みは九分九厘ないが、その事を聞かれれば天皇は必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろう・・・・・・と語ったという。

 ことの真相はたしかめようにも術がないし、この証言には天皇にたいする幻想もあれば、逆に天皇を利用してきた当時の軍部のやり口を感じとることも出来る。しかし当時の天皇が持つ絶対的な権威からすれば、天皇が「よくやった」とほめた特攻作戦を止められるはずはなかった。(以上、保阪正康著「『特攻』と日本人」<講談社現代新書>、太平洋戦争研究会著『太平洋戦争の意外なウラ事情』<PHP文庫>などによる)

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 亀井文夫作品「日本の悲劇」は、この貴重な映像証言に続いて、昭和天皇の戦争責任追及を止めなかった。敗戦後、東京で開かれた「戦犯追及人民大会」のシーンで、大沢某と名乗る女性が立ち、力強く発言する。「私たちの愛する肉親を一発の銃弾、一片の鉄片にかえた特攻隊こそ、天皇制の野蛮な戦争犯罪の集中的表現である」と。映画は極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決を示したあと、「犯罪者はまだいる」と訴追を免れた財閥の巨頭や軍人、政治家たちの肖像を見せ、ラストは大元帥服の昭和天皇の肖像が長い長いオーヴァー・ラップ(二重露出)で背広姿の戦後の天皇像にかわる。

 この映画は占領軍民間情報教育部(CIE)の検閲をとおったが、吉田茂首相が試写を見て、その天皇制批判におどろき、マッカーサー総司令部に直訴して上映禁止措置をとらせた。映画人たちの交渉の結果、神田橋の交通博物館講堂で三日間だけ有料試写会が催されたあと、フィルム素材はすべて占領軍の没収するところとなる。私を含めて多くの日本国民の眼に触れたのは、1967年に没収フィルムが返還されてから以後のことである。

 
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 つい最近、一本の長編記録映画が公開された。日系米人女性のリサ・モリモト監督の「TOKKO 特攻」(2006年)である。
 この映画は特攻にたいするアメリカ人の歪(ゆが)んだ認識を改めるため、特攻隊生き残りの人たちに取材し、特攻で撃沈された米艦の元水兵たちの話を聞き、多くの記録フィルムを調査、採用して特攻の本質に迫った。とくに特攻を可能にした日本人の心理に、天皇中心の国家教育があった歴史的な経過に触れ、前記「日本の悲劇」に挿入された「日本ニュース」の特攻出撃シーンを取り上げ、天皇の「よくやった」の言葉を伝達するところが久しぶりに再現された。

 そして特攻に出撃し、故障で引き返して生き残った証言者が語る。「天皇制は大切だと思うけれど、昭和天皇は別だ。もし昭和天皇がもっと早く戦争を止めていてくれれば、特攻のような悲惨なことは起こらなかった」。証言者はごく普通の旧軍人で、戦後自衛隊に入った経験もある。そんあ人だけに、特攻体験から発した昭和天皇観はおどろくほど真実をついている。
 特攻とのかかわり合い一つとっても、昭和天皇の戦争責任は免れることは出来まい。

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