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zoom RSS 「生命を生きる」に寄せて 牛山れい子B

<<   作成日時 : 2015/01/16 07:24   >>

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父親の死の実情がおぼろげながらも明らかになるにつれて、ありえないそのさまに驚愕の念が迫ってくる。天皇を頂点とする旧大日本帝国軍隊のさまに怒りがこみ上がってくる。「生命を生きる」に寄せて、これは第三話。あってはならない世紀の悲劇だ。

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     「死して罪過の汚名を・・・」・戦陣訓
 
 旧日本軍の規律は、「軍人勅諭」(1882年・明治15年)と「戦陣訓」(1941年・昭和16年)に示されたものでした。「軍人勅諭」は「朕(ちん=天皇の自称)は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「義は山岳よりも重く、死は鴻毛(こうもう=鳥の毛)よりも軽ろしと覚悟せよ」と言い、「戦陣訓」の「生きて虜囚の(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」としたことは知られているところです。
 同時に、本訓の「戦陣の嗜(たしなみ)」の中に「刀を魂とし、馬を宝と為せる古武士の嗜を心とし、戦陣の間、常に兵器資材を尊重し、馬匹を愛護せよ」を詠んだ時、「人間より馬が大事という」原点がここにあったことを知りました。 当時、大学生は、入隊すれば”将校”に任官したそうです。何人かの部下が配属されます。部下の一人が、「天皇の馬」を死なせてしまったのでその責任をとって「自害」したと聞きました。


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  「中隊長の部屋」で死亡とあるが・・・
 
 父の「戦没者調査票」によれば、1944年(昭和19)年12月16日、死亡場所は、宮城県仙台市川内部隊第1中隊長室で死亡となっています。中隊長室で自害(正確にはどんな死に方をしたかは不明ですが)したということでしょう。併せて、「官等身分」は、”少尉のまま進級せず”、加えて、「合祀不可」と書かれていました。
 戦争中は、「名誉の戦死」をすれば”進級”した時代に「進級せず」や「合祀不可」(靖国神社に祀らない)の決定は、天皇ににとっては、「不名誉の戦死」だったのです。もちろん「進級」や「合祀」を望んでいるわけではありません。天皇中心の国家の在り方の理不尽さを言いたかったとご理解ください。天皇制国家の下での「天皇の馬を死なせた」軍人への処分だったのでしょう。
 (つづく)

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「牛山れい子」ーhttp://38300902.at.webry.info/theme/bebe3cadb2.html
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