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zoom RSS 戦後70年 あのとき私は

<<   作成日時 : 2015/08/19 06:36   >>

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私の長兄が移住した旧満州(中国東北部)から出征した解き、身重の妻が現地に残されました。兄は、戦地に送られた娘の写真を肌身離さずもっていたそうです。娘が終戦を待たず発疹チフスで亡くなったと分かったのは、のちのことです。(しんぶん「赤旗」日曜版ー8月9日付)

画像
    戦争で家族を裂かれた長兄
       兵庫県 鳴尾 歌子(85)

 
 終戦後、故郷に帰った兄は、満州の引き揚げ者があるたびにそこを訪れ、買い出しで手に入れた食べ物を配りながら妻と娘を捜しました。妻と娘が飢えているかもしれないという重いからでした。
 でも兄嫁は、終戦の混乱で日本に戻ってこられなかったのです。生きていくために兄嫁は中国の人と一緒に暮らしていました。
 間違った国策は庶民の生活を踏みつぶし、生木を裂くように家族を引き離します。国が間違った方向に行かないよう、運動を続けなければいけません。

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