満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 望郷 涙の引き揚げ 土屋洸子ー読売新聞

<<   作成日時 : 2015/10/20 09:41   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

10月18日、新宿の「平和祈念展示資料館」で講演した土屋洸子さん。読売新聞の小林雄一記者が取材した。20日付けの「地域版」に掲載れたことを土屋さんから電話で知らせを受けて、コンビニに駆けつけ同紙を購入、ブログに打ち込んだ。とりあえず、その全文と写真を転載する。
画像
 大地を焼き尽くすかのような真っ赤な太陽が、地平線に沈む。西東京市の土屋洸子さん(82)は、満州を離れる船上で見た夕景を忘れられない。終戦から11か月後の46年7月。妹と2人だけの引き揚げだった。
 土屋さんは3歳の時、満州国の首都・新京(現長春)近くの街に両親と移り住んだ。広い街路、レンガ造りの家々。小学校にはスチーム暖房と水洗トイレがあった。「きれいで快適な街」での暮らしは、45年8月9日のソ連軍侵攻で一変した。
 身を守るために自宅を捨てて、100人以上が近くの建物に避難した。ソ連兵が近づくたび、女性は屋根裏に身を潜めた。土屋さんは女の子と分からないようおかっぱ頭を丸坊主にした。
 翌年、引き揚げがはじまったが、技術者だった父は帰国を許されなかった。治安の悪化が予想される中、父は4姉妹のうち、13歳だった長女の土屋さんと、7歳の次女を日本に帰すことを決めた。「生きるすべを持たない娘を手放す。つらい決断だったと思う」と振り返る。札幌の親類宅に身を寄せた土屋さんが、家族全員と再会できたのは47年の11月だった。
 60歳を過ぎてから、再び旧満州を訪れ、住んでいたレンガ造りの家が残っているのを見た。「家があり、学校があり、暮らしがある。それらも壊されてしまうのが戦争」。土屋さんは戦争の無常さに思いをはせた。

写真】引き揚げ船を再現した資料の前で、当時の模様を語る土屋さん(新宿区の平和祈念展示資料館で)

画像

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
望郷 涙の引き揚げ 土屋洸子ー読売新聞 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる