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zoom RSS 2015年 「公主嶺会」での点描 そのA

<<   作成日時 : 2015/10/24 06:26   >>

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上野のターミナルホテル・「水車」で開かれた2015年度の満州「公主嶺会」。少し早いかなと思いつつホテルのロビーに座ると、前席の女性が一枚の新聞の切り抜きを差し出して、永井さんですか?と聞く。それを目にして驚いた。2001年7月22付の「しんぶん赤旗」・日曜版の1ページ。僕が投稿した「人生のうた」の一文だ。

▼2013年度「公主嶺会」で=土屋洸子撮影
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   民間人残して軍は転進した
         永井至正 東京都(69歳)


 「本日をもって本校を閉校とする」と校長が宣言した。時は1945年8月9日。満州(現・中国東北部)・新京第一中学校の講堂でのこと。一年生だった。
 「ウーン、ウーン」と空襲警報が鳴っているさなかである。ソ連参戦で市内は大混乱。70`南の生家・公主嶺に向かう列車に飛び乗った。
 続々と南下する無蓋(むがい)貨車は関東軍とその家族でいっぱい。完全武装の兵隊が退却しているのだ。
 当時、新京駅の助役をしていた長兄から後で聞いた話だが、関東軍の命令で「軍関係者を最優先させて転進させろ。ほかはどうでもいい」ということだった。
 その結果、残された一般民間人が惨たんたる状態になったことは周知の事実だ。
 五兄は神風特攻でフイリピンで戦死。学徒出陣、海軍中尉。21歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった「だれのためでもない。祖国の山河を守るため、俺(おれ)はいく。お前は男だからおふくろを頼む。後をついでくれ」と。
 子どもから青年になって、僕の進む道は一直線だった。都議選をたたかいぬいて、いま決意を新たにしている。

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追記】切り抜きを差し出してくれた方は、福島県から参加された小学校では一級下の遠藤教子さん。長年教師をされていたとのこと。右掲のように記事を赤線で囲んで、2001年から保持されていたと思えば感動の極み。これも公主嶺という、あの町の取り持つ縁か。
 僕がPCを駆使できるようになったのはちょうど2001年ごろ、始めての投稿がこれ、今はHPの冒頭メッセージとしても掲載し、僕のブログ発信の原点になっている。

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