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zoom RSS 「私の戦後70年」 東京新聞ー発言 I

<<   作成日時 : 2015/10/27 06:12   >>

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東京新聞が毎月第4金曜日に掲載する「私の戦後70年」。10月も6人がよせています。いずれも貴重な戦争体験、平和への強い思いが記されていますが、今回はその中から「満洲」関連のものを転載します。「『私の一枚』父の残したアルバム」も加えます。

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   母と大連旅行 苦労癒せた
         伊藤修一(77) 東京都新宿区
 

 父母が南満洲鉄道に勤務していた1937(昭和12)年、旧満州(中国東北部)奉天市(瀋陽市)で私は生まれました。終戦後の46年、家族5人で大連港より引き揚げ船で長崎県佐世保港へ帰国、初めて日本の土を踏みました。東京に向かう列車で焼け野原の広島を通過する際、被爆地に全員が黙祷をささげた記憶は、子どもながらも今も忘れうことはできません。
 東京都足立区の引き揚げ寮に入居、厳しい生活を経験しました。今でも忘れることができないのが、生活も一段落した82年、今はなき母親を連れて36年ぶりに終戦前に住んでいた思い出の地・大連に旅したことです。
 当時住んでいた家屋はそのまま残っていました。地元の方が住んでいましたが、事情を知ると家の中を案内してくれ、当時の生活を思い出して母と涙した日のことが思いだされます。
 母が青春を過ごした思い出の場所を何カ所もめぐり、母の喜ぶ姿を見て、戦後の苦労を癒し、少しは親孝行ができたのではないかと、戦後70年の今、あらためて思っています。


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