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zoom RSS 公主嶺 叶多嘉子先生を偲ぶ 土屋洸子

<<   作成日時 : 2015/11/26 11:18   >>

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毎年届いていた叶多先生あての年賀状が今年は住所不明で戻ってきたので、妹さんの田村晴子さん(35回生)へ新住所を問い合わせたところ、平成13年6月6日80歳で逝去されたとのこと。ことばを失った。(公主嶺同窓会 会報47号)

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昭和13年、公主嶺幼稚園の叶多組でお世話になったことを昨日のように思いだす。13年の夏、今で言いう登園拒否で幼稚園に行きたくないと大泣きして、目をはらして幼稚園にしぶしぶ出かけた私を、先生はやさしく受け止めてくださった。それからは幼稚園も小学校にも喜んで通った記憶がある。
 昭和20年秋、終戦後の日本人学校で先生にもお会いし、当時の教職員の写真にも先生が写っている(『写真集』76 昭和21年度職員ー下欄)。
 日本での再会は昭和56年7月、東京・新宿で開かれた37回生の第11回同窓会で、幹事の丹宗洋一、野元昭夫さんは「40数年ぶりの再会で感激の極み。幼稚園時代が懐かしい」と、幹事会計メモに書いている。
 毎年1回の37回生同期会には平成4年の第22回まで合計9回も出席されて「幼稚園時代の先生を忘れずにこうして呼んでくださるなんて、私は本当に幸せ者よ。知人からも羨ましいといわれる」と述懐されたことがある。平成10年5月、ビデオ『満洲公主嶺ー100年の変貌』の撮影で、叶多先生のお宅が残っていることに気がついた。先生にこのことをお知らせしないままお別れして、悔やまれてならない。どうぞ、ゆっくりお休みください。


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追記】土屋洸子さんとは同期生の僕。幼稚園にも同時に入園した。僕は大正末期から公主嶺に赴任され、この町ではお世話にならなかった人がいないという超ベテランの峯タウ先生組。土屋さんは新任の叶多嘉子組だった。20代の先生の気を惹こうとして、叶多組の子に悪さをしては先生の部屋に連れられて、叱られるのをひとり楽しみにしていたことが思い出される。僕の初恋? 戦後再会してそのことを話すと、「まぁ」、とうれしそうに」笑っておられた。右写真前列右端が叶多先生

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