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zoom RSS 新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −12−

<<   作成日時 : 2015/12/11 07:12   >>

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昭和17年、六年生の春のこと。夜行列車では持参の板が無駄になり、床の上に新聞紙を敷き、ごろ寝した。初めて見る桜や海に興奮し、旅順港内の汚い海水を味わう者もいた。水師営、二〇三高地などの戦跡を軍歌を歌って巡り歩いた。(426頁上段)

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    旅順大連へ修学旅行
         橋谷 博(35回生)
 

 激戦地東鶏冠山の堡塁近くで拾った丸い石には、血が凝結したような模様があり、公主嶺のロシア墓地裏の射撃場で拾った自動砲の弾とともに、吉林で暴動にあうまで宝物のように大事にしていた。
 今、宝物はないが、当時の愛唱歌は覚えている。
 「土(花、草)に額け満洲野の土に われらが父祖の流せし血潮の 凝りてなりたる尊き土に」


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 当時、日露戦争は、大正を挟んだ明治の遠いできごとに思っていた。先日ふと同僚教授と指折り数えてみたら日露戦争から修学旅行までは35年で、修学旅行からは45年の歳月が流れている。
 我々昭和一桁生まれは、戦中戦後のことについこの間のことのように思って、東京オリンピックのころに生まれた学生に話すが、彼らにとって我々が日清戦争以前と感じるほどの昔話ではなかろうか。 元号に長短があるためである。

】写真は昭和18年頃の公主嶺のロシア人墓地。日露戦争で死んだロシア人20人ほどの墓があったという。なお、公主嶺小学校の修学旅行は4年生が新京、5年生は奉天・撫順、6年生は大連・旅順と定められていたが戦争末期の19年からは修学旅行禁止となった。

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