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zoom RSS 新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −6−

<<   作成日時 : 2015/12/02 06:52   >>

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昭和16(1941)年、5年生の秋から僅か10ヵ月間の公主嶺だが、敗戦を迎えた吉林とは対照的に、校歌同様の明るいイメージを持っている。開戦のニュースを聞き緒戦の勝利に喜んでいたこともあるのだろう。

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    軍都ならではの体験
           橋谷 博(35回生)

 
 父は懐徳県の庶務課長で、大きなロシア馬が曳く馬車で通勤していた。軍関係者との宴会が多く、牛島中将の名を耳にしたこともある。家から数百メートル先は連京線で、毎日アジア号を見送っていた。
 17年に入って、厳重にカバーをかけた長い貨物列車が連日南下していることに気付いた。学校の帰りに戦車に乗せてもらったり、軍官舎に遊びに行って飛行隊の下士官に台湾みやげのバナナをもらったことがある。


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 踏切の近くで将校と兵隊との格闘を見て、皇軍も同士打ちをするのかと心を痛めたこともある。冬の夜中、将校が電話をかけてきて、「庭にスケートリンクを作ったので、すぐ消防車をまわせ」と父を困らせたのも軍都ならではのことである。
 鉄道官舎近くの民家に、古くて使用されていなかったが、道路側から処理できる挽出し便所なるものがあったのを、ご存知の方いませんか。


】公主嶺は関東軍有数の拠点。1個旅団(1万数千人)に加えて飛行隊、戦車隊の基地、陸軍の幹部学校があった。在留邦人(終戦時5千人)より多い軍隊の町。従って将校の官舎も完備していた。下写真は中佐級の官舎だった。文中の牛島中将は沖縄戦の最高指令官。なお、駐在の精鋭部隊(通称星兵団)5千余人はあのレイテ戦で全滅(生還者90人)した。

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