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zoom RSS 「私の戦後70年」 東京新聞ー発言 K

<<   作成日時 : 2015/12/26 06:19   >>

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今年の年間企画「私の戦後70年」も最終回を迎えました。たくさんの投稿ありがとうございました。皆さんから寄せられた貴重な戦争体験や平和を願う思いは、今後も発言面に引き継ぎたいと思います。(東京新聞ー12月25日付)
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   「一億玉砕」のトラウマ連想
       無職 横田 幸男(79) 東京都町田市
 

 私は、太平洋戦争中の1943(昭和18)年、横浜市の国民学校(今の小学校)へ入学する。軍国主義の時代であった。教育勅語を直立不動で聞かされた。戦況は年々悪化をたどり、2〜3年生のころは、米軍の空襲に連日襲われ、授業も落ち着いて受けることができない日が続いた。
 昼夜を問わず米軍のB29爆撃機とP51戦闘機が来襲した。44年から45年にかけて毎晩のように東京へ飛んで行く姿を眺めていた。間もなく東京方面の空が真っ赤になった。
 横浜の大空襲は授業中であった。校庭の退避壕の中から上空を飛んで行くB29の編隊を見上げると、横浜の街が入道雲のようにもくもく立ち上がる煙に包まれるのが見えた。一億玉砕と聞かされ、竹ヤリを持って相模湾から上陸してくる米兵に立ち向かうというニュースが流れていた。
 45年8月15日、天皇陛下の玉音放送を聞き、教育勅語を覚えることもなく終戦を迎えた。安倍晋三首相が掲げた「一億総活躍社会」という言葉を聞くと戦時下を思い出してしまう。

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