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zoom RSS 「永井和子さんのこと」 青木みつお

<<   作成日時 : 2015/12/29 06:08   >>

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永井さんが今夏亡くなったという。しばらく前から治療中との報に接していたが、さみしいことです。わたしより四年年上だが、まだ亡くなるのは早い。もう一仕事してほしかった。

▼右から2番目入り口から4階へ→「ロ号33」
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 永井さんの最初の詩集は『ロ号33番』で、1965年刊行である。書名は当時住んでいた江東区内の集合住宅の住居番号とのこと。そこは戦前に建った鉄筋コンクリートの文化住宅で、トイレは水洗だった。一家は夫、男児、女児の四人暮らしだった。「詩都」の前身といってもいい「詩の本」の時代のメンバーで一緒に詩のサークル運動をしていた。一度彼女の家で会合した時、中華料理を出してくれた。子どもさんは可愛い盛りだった
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 1968年、『沖縄詩集』を出版し、彼女の家庭人としてのういういしい抒情から、社会的テーマに向かった。積極性を明らかにした作品群だった。確か「小指の痛み」が「赤旗」に掲載されたのであった。返還前の沖縄に向けて会場デモにも参加していた。
 夫君の仕事の関係で、コピーの壁詩を次々発表し、知人たちに送りつけていた。
(中略)
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 この間、「詩の本」の時代が終わり、その後永井さんは離婚し、北海道札幌市に移り、「新建」の機関紙に詩を発表したり、詩人会議グループ発展のために貢献した。
 1998年、夏の詩の学校が北海道で開かれた折り、札幌で一緒にビールを飲んだ。数年後彼女が上京した折、新宿でビールを飲んだ。永井さんとは、会っている時間より、会っていない時間の方がはるかに多くなった。昨今の状況をどう考えておられたか。広い意味でたたかいは若い世代に継がれていくと考えておられただろう。永井さんなりに誠意をつくしたと思う。


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】1960年代の中ごろだったか東京都職員労働組合の民生局(当時)に詩のサークルができていた。その同人の中心に、ともろぎゆきお(上坪 陽)、青木みつお(片山 健)さんらがいた。名づけて「都職詩を作る会」。どういう経緯で彼女が仲間入りしたのか詳らかでないが、永井和子もいそいそと参加した。僕も毎週、都関連の施設のここかしこに掲げられる「壁詩」(B4版1枚)のプリントに精を出していたことが思い出される。
 今は右表紙のように「詩都」と題して小冊子で刊行されているようだが、NO.44号を数えるように脈々と続けられていることに喜びを感じてならない。
 また、永井和子の死への思いを「さびいい」と表現されたことに過ぎし日のあれこれがよみがえり、しばし沈黙するばかり。青木みつおさん、ありがとう。

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