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zoom RSS 私と「平和の俳句」 特集号 東京新聞

<<   作成日時 : 2015/12/30 06:20   >>

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東京新聞が今年1月から毎日朝刊1面に掲載してきた「平和の俳句」。この1年、どのように向き合ってきたでしょうか。「私と平和の俳句」というテーマで投稿を募ったところたくさんの思いが寄せられています。その中から三篇を転載します。

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  祖父母への思い 強く
    会社員 川口史代 33 (東京都台東区)

 
 「戦争法案」が強行採決される可能性があるとのニュースを見て、渋谷デモに初めて行く直前に詠んだ句「亡き祖父母と戦争反対デモに行く」を、8月8日に掲載していただいた。毎朝楽しみにしていた他の句のレベルが高く、選ばれる自信がなかったので、東京新聞から最終選考に残ったと電話を頂いた時の驚きと興奮は忘れ難い。
 金子兜太、いとうせいこう両氏のそうそうたるメンバーに選んでいただき、父母は喜び知人の書の名人に依頼し、私の句を短冊に書いていただいたとのこと。年末にその短冊を眺めるのが楽しみだ。
 掲載されたとネットのSNSで書いたところ、意外にも同世代の友人からの反応も良く、うれしかった。掲載後デモに行く際には、いつも優しかった祖父母の世代が戦争で体験した無念を繰り返してはならないという思いを強くする。ダライ・ラマ十四世は、「平和は祈っても訪れない。平和は私たちの行動によって訪れる」と訴えた。平和の俳句はその行動の一つだと実感する。(12月26日付

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   死を自分に置き換えて 
    主婦 杉田直子 42 (東京都東村山市)

 
 平和の俳句には、自己と他者(死)の等価感覚から生ずる強い思いが込められたものが多い。特に、月に一度の特集に書かれた個々の内容は心にしみる。
 そこに共通するのは、戦場、戦争での他者の死を、必然とは認めない態度ではんかろうか。死が自分ではなく他者に訪れた偶然、自分が今生きて食べ、暮らしていることへの感謝と疑問。生死を分けた他者の気持ちを考えることで、自分が今ここに生きていることの意味を見いだすことができるのかもしれない。
 4月10日掲載の「九条はえりちゃんの形見小名木川」という俳句は胸に響いた。
 えりちゃんは今でも作者の心の中に強く生き続けている。そこには、他者の犠牲の上に平和繁栄が成り立っているという傍観者の視点は存在しない。えりちゃんは後世の平和のために死んだのか? えりちゃんはえりちゃんとして生きたかったはずだ。死を自分に置き換えて、その語る言葉を思い描く重要性を痛感している。(12月28日付

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    母の体験が今 身近に
    会社員 小泉まり子 63 (千葉県船橋市


 小学校の卒業文集に、母が終戦後、満州から引き揚げる際、、避難民とし吉林の女学校で一時期過ごした体験談を書きました。
 幾度となく聞かされ、子ども心に戦争は悲しい、皆が苦しむと、漠然とした思いを描いていたと思います。今この年齢になってようやく身近なこととして考えられるようになりました。戦後70年の今年、澤地久枝さんの体験記「14歳<フォティーン>満州開拓村からの帰還」には、母も一時期過ごしたであろう吉林での避難生活が如実に描かれ、当時の母の姿と重なって胸がいっぱいになりました。
 「春雪のごと泣く子よ平和の証たれ」
 投句が6月24日の特集で取り上げられ、電話取材された時はビックリし、感無量でした。平和の俳句は、私と母をつなぐ唯一の証です。今年5月99歳の天寿を全うした母。4人の子どもを満洲で亡くし逞しく生きた母への弔いの集大成として「東京新聞とのご縁」を報告したいと思っています。生前母が語った言葉を思い出しながら・・・。(12月29日付

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