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zoom RSS 新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −終ー

<<   作成日時 : 2016/01/28 06:14   >>

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私の母は17歳で結婚し、大正13年から昭和9年までに6人の子どもを公主嶺で産んだ。公主嶺では多くの日本人の子どもが生まれたと思うが、病院で生まれた赤ん坊は割りと少ないのではないだろうか。私の戸籍には「満州国吉林省公主嶺満鉄病院にて出生」と書いてある。(記念誌438頁下段)

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    天理教信者だった母
          紙屋清治(36回生)

 
 私は生まれて長時間、仮死状態だったらしいが、ある天理教の信者さんが一生懸命拝んでくだされ、なでさすって、やっと産声を上げたとのこと。
 その時、母は信心の道に入り、朝晩熱心におつとめをした。母の横には必ず私が座っていたそうだ。
 私が6歳のころ、奈良県丹波市町(現在天理市)の天理教本部教養課に、三歳下の弟と私と母の3人で住み込み、六ヶ月間教養し、布教士の免許をいただいた。母は死ぬまで信奉の毎日であった。

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 多分16日が例祭で、10月が大祭だった。教会には多くの信者が集まり、鉦や太鼓でおかぐらを踊り、飲み食いして、夜馬車(マーチョ)で帰宅したことを思い出す。
 昭和20年11月20日、延吉(えんきち)で母は「内地に帰って死にたい」といいつつ死んだが、御神体の入った小袋を手に握っていた。

】僕も満鉄病院で生まれた。同院は満洲でも有数の総合病院。虚弱だったので幼少期は大変お世話になった。玄関を入って左側に小児科があったことを記憶している。

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