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zoom RSS 「記念講演」 早乙女勝元さん 全国空襲連

<<   作成日時 : 2016/02/11 07:12   >>

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民間空襲被害者の救済を願って全国空襲連の東北・北海道ブロック(通称、北の会)の設立総会が2015年12月5日、福島県郡山市の同市音楽・文化交流館に東北各地の関係者など約70人が参加して行われた。冒頭作家の早乙女勝元さんが基調講演をした。

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   「ドーナツ状の輪をつくろう」
           作家 早乙女勝元さん

 
 本日は三つに分けて話をしようと思います、まず、戦後の原点を振り返る。次に、東京大空襲と命の重み。三番目に、差別なき戦後援護法の実現へーーです。

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    私には憲法9条の存在は新鮮だった 

 昨年(2014年)8月のことです。テレビを見ていたら、ある世論調査の結果が放送され、「8月15日は何の日か」という問いに、ほとんどの人の答えが「お盆」でした。この日を「終戦記念日」と答える方は、ひじょうに稀有(けう)な存在になってきたということを伝えているのかも知れません。現代史の一番大切なところが欠落すると、これから子どもや孫たちに手渡す平和が揺らいでくるのではないでしょうか。
 私の8月15日を振り返りますと、1945年のときは東京・下町で国民学校(現小学校)高等科2年生の13歳。学校どころか勤労動員で鉄鋼所に駆り出される日々で、大人たちの会話から「戦争が終わったらしい」ということが分かりました。私が生まれたときには戦争時代に入り、私はその破局に向かう時代に生きていましたから、戦争が終わったといわれても実感が湧きませんでした。
 平和というものが実感、確認できたのは敗戦翌年の11月、新憲法が公布されたときでした。長兄が戦争放棄をうたった憲法9条の存在を教えてくれた。東京大空襲による火の海を何とかくぐり抜け、命拾いした私には9条は新鮮でした。
    

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        私の決意は東京大空襲を語り継ぐこと

 二つ目の話に移ります。海の彼方の戦争が本土の空襲が始まることで、戦争の受け止め方がガラッと変わりました。都市に対する無差別爆撃。その最たるものが東京大空襲でした。罹災者約100万人、犠牲者10万人を数えなあら、大本営の発表は宮内省の主馬(しゅめ)寮の鎮火の記載はあっても、大空襲の犠牲者は「その他」扱い。民間人の生命は雑草並の民草(たみくさ)程度にしかみないこの当局の姿勢が、東京大空襲を語り継いでいこうと私に決意させました。

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    こんな不条理は決して認めない

 最後は、大空襲の大本営発表は不条理で差別的な内容でしたが、戦後そこにもう一つの不条理が重なりました。戦後19年(1964年)、大空襲をはじめとする日本全土への空襲を指揮したカーチス・ルメイ(元米空軍大将、故人)に対し、日本政府は航空自衛隊の育成に貢献したとして、勲一等旭日大綬章を授与しています。政府はこの授与を撤回すべきです。
 語り継ぐ取り組みの一つとして、1970年に東京大空襲の記録運動に乗り出しました。この記録運動はその後、全国各地の空襲による民間人被害者の記録運動に発展していきました。


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   空襲被害者等の援護立法実現を 

 一方、東京空襲犠牲者遺族会が母体となって東京大空襲訴訟が起こされ、最高裁まで争い敗訴しましたが、全国空襲連はその闘いの舞台を司法から国会の場に移し、民間の空襲被害者への補償ゼロの状況を打破する援護法制定運動に取り組んでいます。
 本日の北の会の設立でドーナツ状の輪を作ることが必要ではないのか。北の会の皆さんの今後の一人ひとりの取り組み。一人の一歩は無数の数歩につながっていくのではないのか。その輪がさらに広がっていくことを期待します。(全国空襲連 会報12号 分責・沢田 猛)

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