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zoom RSS 戦後71年 「平和の俳句」 −6−

<<   作成日時 : 2016/02/07 07:19   >>

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2年目の「平和の俳句」も2月に入り都合6週目。天皇のフイリピンに慰霊の旅に関連してかの地で没した遺族が俳句を詠んだ。1月30日付の東京新聞の夕刊が特集した。その中から一句紹介しよう。平和への願いと戦争への憎しみが込められている。

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    母の靴はいて比島に父訪ぬ
         重松澪子さん(73) 小平市


 重松澪子さんは、ルソン島に眠る父に向って、誓った。「子や孫を絶対兵士にさせない」
 父の斉藤康さんは、生まれて間もなく、フイリピンに出征。「ひざの上で抱いてもらったが、覚えていない」。米軍が日本軍を山に追い詰めていた」1945年6月、ルソン島の山中で25歳で亡くなった。
 2000年2月、母と一緒に慰霊の旅に参加。「父はこんな遠いところまできて、死んだんだ」。戦争への怒りがわいた。高齢の母の手を引いてくれる現地の人の親切さにも驚いた。「日本人の倍以上が亡くなったと言われているのに」


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 約三年後、母の黒いスニーカーを履いて再度、訪問した。父により近い場所で、手を合わせた。その旅でつづった句が<母の靴はいて比島に父訪ぬ>。昨年11月22日に本紙の「平和の俳句」に掲載された。母は、今年1月中旬、94歳で息を引き取った。
 昨年8月、国会の近くで、ほかの遺族とともに、父親の写真を掲げた。戦争に巻き込まれる可能性を高める安全保障関連法に反対するためだ。「戦死者は何も言えない。自分たちが訴えなければ、誰が訴えるの」


写真】戦死した父の慰霊でフイリピンを訪れた時に履いた母の靴を手に話す重松澪子さん。

大の字でテネシーワルツを口ずさむ 松本春江(63) 金沢市 2016・1・31

】<いとうせいこう>なんという平和。思わず寝ころんだ。思わず鼻歌が出た。豪快で繊細である。面白い取り合わせである。そこに心の安寧が。

物申すサルになりたし初日記 辻本直子(47) 金沢市 2016・2・1

】<金子兜太>いま言わないと、この国はひどい状態になると気付いた正月だった。物申すぞ。 <いとうせいこう>うるさいくらいの猿、顔を真っ赤にする猿でありたいとの意志。

ネズミとも対話のできるネコになる 黒田広史(65) さいたま市大宮区 2016・2・

】<金子兜太>こえが平和の姿です、と作者は笑う。ネズミなら捕って食えなどと威張っているネコは、長生きはできない。犬に噛み殺されるぞ。

冬麗や平和の俳句また一句 中村辻弘(76) 三重県松阪市 2016・2・3

】<いとうせいこう>”麗らかな冬の一日、日だまりに座して”と作者は書いている。朝の風景が目に浮かぶ。私もそうやって読んでいる。きっとあなたも。

平穏な地表がありて蕗の薹 水谷泰隆(71) 愛知県一宮市 2016・2・4

】<いとうせいこう>春を告げる芽は戦火に焼けては出てこない。ましてや木や実にはならない。 <金子兜太>平穏な大地があって、蕗の薹も味わえる。あの苦みとともに平和を。

浴びせよう平和の俳句のこのつぶて 岩田進介(77) 埼玉県越谷市 2016・2・5

】<金子兜太>集団的自衛権の行使容認は憲法違反なりと3人の学者あ言い切ったのに、安倍政権は無視した。平和の俳句で懲らしめてやれ。

遺骨無き墓るいるいと霧の中 山崎義盛(83) 福井市 2016・2・6

】<金子兜太>悲惨無謀な戦争から70年たった今の平和を徹底していたわれ。 <いとうせいこう>実際の光景から来る句とのことだが、それは抽象的な原風景でもある。

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