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zoom RSS 東京大空襲71年 竹内静代さん 語る

<<   作成日時 : 2016/03/13 05:37   >>

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二度も家を焼け出され、命からがら逃げ回った。東京都調布市の竹内静代さん(85)は、10日に71年を迎える東京大空襲を振り返りながら、今もシリアなどで続く空爆に表情を曇らせる。「あのがれきの街の子どもたちは、今はどうしているのか。人間はちっとも進歩していない」

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    85歳竹内さん やまぬ戦火嘆く 

 荒川沿いの下町、東京都城東区(現・江東区北砂)に住んでいた竹内さんは当時、高等女学校に通う13歳。1945年2月225日の空襲で、米軍の焼夷弾が自宅を直撃した。母と夢中でバケツの水を掛けたが、不気味な青い炎は、白い雪の上でもゆあゆらと燃え続け、消せなかった。
 「大切にしていたおひなさまも、英語の辞書も、全て燃えてしまった」。近くに移り、3月5日に14歳の誕生日を迎えたが、祝う余裕はなかった。そして東京大空襲の3月10日未明、300機以上の米軍の爆撃機が飛来し、下町を焼き払った。
 「西の空が赤くて、あちこちの屋根からも炎が上がり始めた。怖い、怖い、ただそれだけ」。何も持たずに、父母と手を都って逃げ出した。橋の上はものすごい風で、三人は身をかがめて一歩ずつ暗闇の中を進んだ。
 夜が明けると、どこまでも焼け野原が広がっていた。「路上の真っ黒なものが何なのか、じっと見ていた。赤ちゃんをおぶった母親とはしばらく分からないほど真っ黒で・・・」。少女はこの日、数え切れない焼死体を見た。

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 大空襲では推定十万人の犠牲者が出たとされる。学校は生徒26人、教師7人が犠牲になった。終戦後、久しぶりに会う級友らとのあいさつはいつも「生きていたのね」。校舎の壁には、あちこちに人の形をしたピンク色の染み。焼け死んだ人間の跡だと聞かされた。
 勉強を再開すると、戦争が終わったと実感した。「明日も学校に行ける。明日も勉強できる。明日のことを考えられる」。毎日のように空襲があり、級友が亡くなっていく戦中には、明日のことなど考えられなかった。
 「今、戦火の下で逃げ回っている人や、難民キャンプの人も、明日のことなど考えられないだろう」と胸を痛める。だからこそ、語り部活動を続けている。
 「老後はのんびりしたかったけれど、戦争に近づく日本や、海外の戦争を思うと、ぼんやりしていられない」

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