満州っ子 平和をうたう

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zoom RSS 「満洲っ子 平和をうたう」 HP作成5周年

<<   作成日時 : 2016/08/15 05:58   >>

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ブログにリンクしてホームページを立ち上げてから今年で5年目。タイトルはブログと同じく「満洲っ子 平和をうたう」を継承した。戦後71年、傘寿も半ばに達した今。ここに当時の「メッセージ」を反芻してわが思いを新たにし、次代に伝えて行きたい。

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        <メッセージ> 

 「本日をもって本校を一時閉校とする、必ず再会しよう」、ふりしぼるような声で、校長が宣言した。時は、1945(昭和20)年8月10日。所は、旧満洲(現中国東北部)・新京(現長春)第一中学校の講堂でのこと。1年生、13歳だった。
 「ウーン、ウーン」とうめくように鳴る空襲警報のさなか、前日のソ連参戦で市内は大混乱。70キロ南の生家・公主嶺に向う列車に友人と飛び乗った。続々と南下する貨物列車は軍とその家族でいっぱい。武装した兵隊たちも同乗、退却しているのだ。

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 当時、満鉄(旧南満州鉄道株式会社)・新京駅の助役をしていた長兄(一男)から後で聞いた話だが、拳銃をかざした憲兵の命令は、軍関係者を最優先させて転進(退却)させろ!「ほかはどうでもいい」ということだった。その結果、残された一般民間人や満蒙開拓団員たちが惨憺たる状態に追いやられたことは周知の事実だ。

                ◇        ◇

 四兄(四郎)はシベリアに連れ去られ、五兄(利則)は神風特攻隊の一員としてフイリピン。レイテで戦死。学徒出陣、海軍中尉、21歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった。「誰のためでもない、おふくろやお前たちを守るために俺は行く」「これしか選択肢がない」「後を頼む、お前は男、おふくろを頼む」、と。

 戦後、引き揚げ、少年から青年になって、「再び戦争はさせない」の思いいっぱい。だから戦争体験を次の世代に語り、書きつづり、歌で伝えたい。ほどなく傘寿も半ば、もう後がない、急がなければならない。

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