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zoom RSS 「神島中尉 特攻出撃」 公主嶺小同窓会誌 土屋洸子

<<   作成日時 : 2016/12/15 06:01   >>

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 1944(昭和19)年12月15日、旧満州・公主嶺小学校出身の神島利則海軍中尉がフイリピンで特攻死した。あれから72年。1962年に発刊された同窓会誌「満洲公主嶺 過ぎし40年の記録」に2ページを割いて、彼の生き様がリアルに記述されている.。以下紹介する。なお、執筆者は同誌の編集者、土屋洸子さん。

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特別攻撃隊  
1944(昭和19)年、太平洋戦争(大東亜戦争)のフイリピン方面の戦況は、日本にますます不利になってきた。そのため、19年10月、大西瀧治郎第一航空艦隊司令長官は「零戦に250キロ爆弾を抱かせて体当たりをやる攻撃方法」を提案し、「神風特別攻撃隊」が編成された。必死の戦法であった。
 19年10月21日から20年8月15日までのフイリピン、台湾および沖縄方面の戦いで、特別攻撃作戦がおこなわれ、特別攻撃機は陸軍機が1185機、海軍機は1298機が出撃し、陸軍では1388人、海軍では2525人、合計3913人の隊員が亡くなった。

海軍飛行科予備学生
 大学の学部あるいは余科、高等学校や専門学校を卒業したもの、あるいは採用の日まで卒業見込みがあるものが志願し、採用されて、海軍の飛行機搭乗員(操縦・偵察)になったもののことである。昭和9年に代一期生が入隊して以来、16年の8期生までは毎年1回採用され、各期とも50人以下であったが、日米開戦で航空戦が激しくなるにつれて、航空隊の中堅幹部がつぎつぎと失われ、その補充要員を急いで養成しなければならなくなった。17年には9期から12期の合計277人が入ったが、18年にはますます搭乗員が不足してきたので、志願者5万数千人のうちから4988人が選ばれて大13期となり、さらに14期生3312人(12月入隊者)、第1期予備生徒(大学予科や高専在学者)2218人が採用された。


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第13期飛行科予備学(正式には13期から15期生は海軍飛行専修予備学生という)は、18年9月、土浦航空隊と三重航空隊に入隊し、訓練期間中に海軍少尉に任官し、早いものは僅か10ヵ月で卒業して戦場に出た。4988人のうち、1607人が戦病死し、神風特別攻撃隊の士官戦没者数652のうち13期予備学生は実に447人を数える。

神島利則と第7金剛隊
 神島利則(かみしまとしのり=28回生)は、公主嶺小学校を卒業後、新京1中に入学し、その後拓殖大学に進んだ。昭和18年9月、第13期飛行科予備学生として土浦海軍航空隊に入隊し、飛行訓練を受けた。19年10月ごろ台湾の台南海軍航空隊に移り、台湾航空戦に参加した。その後、フイリピンの第一航空艦隊第201航空隊に配属され、19年12月11日、連合艦隊布告第85号により、神風特別攻撃隊第7金剛隊員に命ぜられた。

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 第7金剛隊には、沢本裕嗣中尉(金沢出身)を指揮官として、神島中尉、織田真伉中尉(いずれも第201航空隊付・13期予備学生)若林良茂上等飛行兵曹(戦闘第302飛行隊付)、佐藤国一上等飛行兵曹(戦闘第316飛行隊付)の5人の名前がある。19年12月15日午前6時30分、第7金剛隊は、特別攻撃機として戦闘爆撃機6機、直援機として艦上戦闘機4機の編成でセブ島の飛行場を発進した。目標はレイテ湾のアメリカ軍中型輸送船であったが、戦果は不明である。未帰還機は7機。神島も遂に帰らなかった。享年21。20年5月、中尉から少佐に2階級特進された。

 雲雀孝毅(ひばりこうき=37回生)の話によると、神島は18年8月、休暇で公主嶺に帰り、弟至正(よしまさ)ら37回生十数人と水源地に遊び、故郷の一時を楽しんだという。肉親とのひそかな決別だったと思われる。
 遺族が神島の戦死を知ったのは19年12月末であるが、公表されたのは20年5月で、小松甲子郎(きねお=37回生)は「新京1中での朝礼で、校長が同校一年に在学する弟の至正を壇上に立たせ、兄のことを生徒に紹介した」ことを記憶している。
 また、20年7月、13期予備学生6人が公主嶺飛行隊に配属され、神島宅を訪れた。彼らは8月11日に3機で公主嶺を数回低空旋回し、日本へ向ったが、朝鮮半島北部上空でアメリカ軍戦闘機と遭遇し、2機は撃墜されたという。

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  私と「雲ながるる果てに」 永井至正

  私、座右の書にしているものの一つに『雲ながるる果てに』があります。
 神風特別攻撃隊の一員として戦死した兄の同期生が1952(昭和27)年に編集、発刊した”遺稿集”です。ときが経ち、紙面はもう茶色がかっています。言ってみればセピア色した書置きとでもいうのでしょうか。ときにふれ、ひもといています。そのたびに思い出します、「後を継いでくれ」と言い残した彼のひと言を。(中略)
 本書に掲載されている59編の遺書、遺文を丹念にたどってみました。皇国史観に依拠する連中が期待する文言は僅か、『悠久の大儀』『靖国神社』『天皇』などは数カ所にすぎません。
 ほとんどの遺文は、母を慕い、妻をいたわり、子らをはげまし、故郷をなつかしむものばかり、心に迫ります。中には、人の世の不条理と人間の性(さが)の悲哀を揶揄するようなものもあり、苦笑を誘われます。
 いずれにしても、彼らには気負いもなく、淡々として、ほかに選択肢のない道を突き進んだのです。胸をうちます。
 残された者のやることはただ一つ、『平和を守る』です。

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