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zoom RSS 「ソ満国境15歳の夏」 村越愛策(新京一中生)

<<   作成日時 : 2017/01/20 06:27   >>

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 旧満州の新京1中生で一年先輩の村越愛策さんがこのほど遺筆集を出版された。題して「1946−2016 70年を超えて」。氏は小学校(公主嶺小学校)でも同窓生。したがって383ページの諸作のなかには「来し方 行く末」の思いともども満州での望郷の思いが各所につづられている。今回は表題のテーマからご紹介。

▼村越愛策さん=11月23日の出版記念会で
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  映画「15歳の夏」を観て    村越愛策 

 7月末から35度以上の記録的な猛暑が8日間も続いて、湿度が少し下がった立秋の8月8日の朝、新宿に出掛けた。行く先は80人ほどの座席しかないK's cinema という小さな映画館である。そこで我々新京一中12期生の1年先輩・田原和夫氏が著した「ソ満国境15歳の夏」を鑑賞するためだった。数年前から彼とは文通をしていたし、制作費のほんの僅かを援助していたから、これは戦後70年という区切りの機会でもあった。
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 映画の冒頭は、2011年3月の東日本大震災で壊滅的被害を受けた福島の1年後、ある仮設住宅と中学生が出てくる。15歳の彼らは中学生最後の夏を迎えるが、放送部活動としての機材不足で作品ができないことに悩んでいた。ところが思わぬ招待状が舞い込んでくる。と言った場面に話が進んだ。
 各国から様々な援助物資が届く中で彼らには団ボールの中に放送用機材一式が入っていた。送り主は何と中国東北部の小さな村の長老からで「ぜひ取材に来てほしい」というのだった。
 期待と不安を胸に元・満洲は中国東北部へ旅立つ現代っ子5人と女の先生の計6人は長春(元・新京)から陸路を使い、その道すがら原作「15歳の夏」を読み、回顧形式で小さな石岩鎮村まで辿りつく。つまりこの6人が語り部となってここから70年前の物語「15歳の夏」が始まった。

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 突然、砲弾がはじける映像の明るさが失われる。1945年8月9日、国境を超えたソ連軍の侵攻である。ソ満国境に置き去りにされた1中3年生120名が働いていた開拓村、つまり70年前の出来事がやや忠実に再現されたのである。ただし、120名はどう見ても見当たらず、せいぜいその半分かそれ以下、さらに当時の中学の制服やゲートル姿も前列や目立つところだけは日本少年が10数名ほど、あとは中国の男の子が1中生に成り済ましている。また、鉄道駅への逃避行が始まった草原で、ソ連戦闘機の機銃掃射を2度3度と受ける場面もあるが、どうゆうわけか一人も犠牲者が出てこない。鉄道は破壊され新京までの逃避行で体力の限界にきた1中生たちは、親切な満洲人の介抱で生気を取り戻せるが、中でもひどく弱った一少年が一両日で完治するなど、不自然な場面もある。
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 しかし泣かせるシーンもあった。それは1中生のなかに朝鮮出身者がいて、彼は日本名を捨てて皆と共に新京に帰ることを拒否したのだ。その人とは国境の村の長老・金成義(ジンツイイ)であり、彼こそ70年前の新京1中生で、福島から来た日本の中学生に自らの歴史を語り、また取材を依頼した本人でもあった。
        ◇           ◇ 
 この辺はストーリーとして旨くまとまっていた。因みに田原和夫氏(映画では原田浩史)を演じたのは多くの映画賞を受賞して惜しくも本作が遺作となった夏八木勲氏、そして金長老も数々の話題作に出演している俳優・田中泯(みん)氏である。
 日本の敗戦で使い捨てられた新京1中生と70年後の日本の中学生とを結び付けた物語だが、やや無理な点もある。主なロケハンは那須高原や中国東北部の現地であり、物語として訪れたのは前述した引率の先生や数人の中学生である。もっとも中国でのロケハンに田原氏は5〜6回も同行したそうだが、数年前には反日デモで国外退去も余儀なくされたという。企画から10年もかかった作品だけに、文部科学省の選定(少年向き)というこのドキュメント映画は「国境を超えて次の世代に伝えたい感動の実話)と、宣伝用のパンフレットにあり、私も同感した次第である。

■「70年を超えて・・・」358頁から。
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