満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 満洲に 祖父をたずねて何百里 @

<<   作成日時 : 2017/02/14 07:14   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 ブログなどを駆使するなかで、発信者と読み手の間で見知らぬ人同士の新たなコミュニケーションが生まれます。私の場合もその例にもれず、多数のドラマティックな交流があります。これまでの中で強く印象に残ったものをシリーズでお送りします。今回はその一回目、MTさんの場合です。
画像
    公主嶺の情報を知りたいです

 初めまして。私はMTと申します。私の夫の祖父が公主嶺にいたのですが、戦後消息が分からないままと聞きまして、ずっとモヤモヤしています。祖父の情報の中には長崎の師範学校を出て教員として公主嶺に居たそうなのですが、どこの学校なのかもよく分からない状態です。遺品の中には中国人の名前がたくさん書かれており日本人学校以外に学校があったのでしょうか?
 また、夫の父は公主嶺の病院で生まれ、生後1ヶ月で敗戦を迎え祖母と二人で引き揚げてきたそうです。私ら夫婦にも息子が産まれ、祖父からの命のリレーに感謝するとともに、一人息子や夫のルーツである満洲の地に行き、祖父を感じたく思います。どうか、どなたかお力をお貸しいただけないでしょうか?もしも良ければ下記に連絡をください。よろしくお願いいたします。(2017・1・20)***@***jp

画像
■MT様(公主嶺のこと1) 
 メッセージ拝見しました。私、公主嶺に生まれ、終戦時は13歳でした。お尋ねの件、調べてみます。一つだけお知らせください。お爺さまのフルネームを? 公主嶺には中国人向けの小学校がありました。校長は日本人。教職員の大半は日本人でした。もしかしたら、そこにおられたかも知れません。
(2017・1・22)永井至正(ながい・よしまさ)から


■永井至正様
 返信ありがとうございます。
 かなり怪しくぶしつけなメッセージにもかかわらずご返事してくださり、ご厚意に本当に感謝いたします。
 義祖父の名前は、FTです。祖母はATといいます。出身は長崎県の***です。長崎の師範学校を出て、どこかの小学校で校長先生をしていたようです。当時は30歳台だったと思います。公主嶺の住所は木下町と書かれております。義父は公主嶺の病院で生まれました。

 公主嶺 木下町界隈 戦後訪中団撮影
画像
 義祖母は終戦直前に義祖母と別れ、生後1ヶ月の義父を連れて引き揚げ船で博多に着いたそうです。その後義父が高校生の時に他界してしまい、戦後の詳しい状況についてはあまり語られなかったようです。
 満洲に関する本を読む中で(永井様のブログも)、終戦が近づきソ連侵攻の際に青壮年の男性が総動員されたとあり、おそらくそこで離れ離れになってしまったのかと想像します。
 詳しいことは分からずとも、公主嶺という地で義父が生まれたことから、この地に嫁ながらどうしてもルーツを感じてしまい、何か知りたくて、そしていつか祖父の生きた地へ夫や孫と一緒に行ってお礼を言いたいと思いこうして情報を探しています。
 満洲について知れば知るほど胸が苦しくなりますが、永井様のブログの中では楽しい思い出もたくさん書かれており、いかに戦争が愚かなことか考えさせられてしまいました。
 何か小さな情報でも良いので、もしもあれば、どうぞよろしくお願いいたします。お忙しい中ご連絡していただき感謝いたします。
 それでは失礼いたします。なにかあればいつでもメール下さい! 寒い日が続きますが、お身体のお気をつけてください。(2017・1・22) MTから
  (つづく)

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
満洲に 祖父をたずねて何百里 @ 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる