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zoom RSS 満洲に 祖父をたずねて何百里 A

<<   作成日時 : 2017/02/15 06:14   >>

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 いただいた資料・写真などを丹念に読み、分析し、調べてみました。それで分かったことと、驚いたことが三つあります。それを以下列挙します。なお、義祖父・義父の「義」は以後、割愛させていただきます

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 KT様(公主嶺のこと2)

 @昭和20年4〜6月、南方戦線に手勢を割かれた関東軍は、対ソ戦に備えて、在満の30〜50代の男性を根こそぎ動員しました(在満関東軍の6割を占めていた)。お祖父さんはその中のお一人だったと思われます。そのほとんどの兵士が敗戦後シベリアに連れ去られました。

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Aおそらく満州人(中国人)向けに作られた小学校・”公主嶺公学校(こうがっこうー右写真”)の校長先生だったと推測されます。この学校の教員は全て日本人でした。

B朝鮮からの貴重なハガキの「発信地」が大田駅 構内疎開列車となっていますが、これを見てビックリ、あのとき僕もそこにいました。確か8月の16日から9月1日までで、駅構内には満洲からの疎開列車が多数停車していて、帰国を待っていましたが、なかには満洲に引き返した列車もあり、それらの人たちは帰満後、壮絶な越冬をされたと聞いています。


 「公主嶺会」(土屋洸子事務局長)というのがあります。公主嶺に関連のあった人々が年に一回東京に集まり、懇親会を開いていますが、今日、そこの事務局と連絡を取り、裏付けをとる作業を依頼しました。しばらお待ちください。随時報告させていただきます。(17年1月23日)永井至正から
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永井様 早速、貴重な情報ありがとうございます。
 やはり現地で亡くなったか、シベリア抑留が有力なのですね。生まれて間もない一人息子の成長を見届けることもできず、無念だったろうと思います。
 祖母、父と同じ時期に永井様も大田駅におられたなんて、凄すぎます! 生後1ヶ月の赤ちゃんをつれてよく帰ってこれたなと、今の私には想像を絶します。当時13歳だった永井様も多くの苦難を超えて日本に引き揚げられたのですね。公主嶺会の事務局の方へも連絡していただき本当にありがとうございます。
 あと、祖父が何やら大きな門の前で写真を撮っているのですが、この観光地のような場所はどこか分かりますか?次のメールの機会にでも教えていただけたら幸いです。それでは、失礼いたします。
(17年1月23日)KTから。
  (つづく)

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