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zoom RSS 満洲公主嶺 敗戦から引揚迄の記録 小松光治-23-

<<   作成日時 : 2017/07/11 05:24   >>

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 満洲公主嶺日本人会の設立及び日僑連絡所の記録(敗戦から引揚まで)−公主嶺会 会長 小松光治(昭和21年8月22日記)

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35、共産地区の日僑及び日俘の行動
 奉天、四平、吉林地区の日本人遺送は概ね10月半頃終了すべく、大石橋以南大連、安東及び第二松花工以北ハルビン、チチハル、牡丹江の日本人は蘇軍及び八路軍勢力下にあり到底遺送は困難ならん。蓋し彼等は日本人の技術及び労力を期待する外、予想せらるる国共交戦乃至米ソ会戦に日本人を人質にせんとする気構えある様に見受けらる。又日俘約55万人は南満の者は「ウクライナ」に北満の者は「ウラジオ」に送られたりt聴く審議不明なるも「ウクライナ」に送られたる者は稱々優遇せられ「シベリア」送りの内東部浦塩「ハバロフスク」邊に在るものは混入せる朝鮮人共産軍の為甚だしく酷遇されつつありと聞く、前記2万人の病死も真ならん。
 而して彼等はポツダム宣言によれば昭和23年4月25日迄使役し得ると嘘つきつつあるが如し、同乗に堪えず。ソ連は又一面共産教育を授けつつありとも伝えらる、何しても蘇聨の非人道的なるは掩う可からず、因に蘇軍は占領品と称して武器弾薬以外に鞍山製鉄所、鴨緑江及び豊満水電の機械まで取外し、各地映画館の映写機、発電機、机、椅子、電球迄も欧露に持ち去り満州国の食料、石炭まで多数掠め去るを見たり。此の蘇軍が若し日本に上陸進駐せば其の結果や戦慄すべきものあり。


36、満洲に於ける朝鮮人 
 終戦後昨年末迄に穏健なる分子は多く鮮内に帰還し現在東北に残れるものは殆ど共産分子にして日本人を敵視し、日本人の大乗的無抵抗主義に乗じ各地にて日本人を苛め居り、間島省に於ける日俘二万人死亡、北鮮に非難せる同胞の奴隷生活等全く眼にあめるものあり。八路は共産同士として之を放任せるも、吾々は常に最高幹部に忠告し斯る鮮人を取り締まらざれば八路軍の名誉に関するとて常時之を及撃せり、中央軍入市後韓国人が襲撃せしにて三百余人銃殺され晒し首になりたと聞く、凡て朝鮮人は日本勢力強き時は日本人と称して中国人を苛め、日本敗るれば逆に独立国と称して日本人を苛め全く度し難き野蛮民族と云うべし。総督政治も寸毫の効果なかりしを知る。日本人の他民族統制力の乏しきを今更如何せん。
【注】タイトル写真 公主嶺の駅標識(戦後)
【小松メモ】http://38300902.at.webry.info/theme/489e1960d0.html

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