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みんなの「公主嶺」ブログ

タイトル 日 時
満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 B
満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 B 満洲公主嶺日本人会の設立及び日僑善後連絡所の記録(敗戦から引揚迄)−公主嶺日本人会 会長 小松光治(昭和21年8月22日 記) ...続きを見る

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2017/04/27 05:05
満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 A
満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 A  満洲公主嶺日本人会の設立及び日僑善後連絡所の記録(敗戦から引揚迄)−公主嶺日本人会 会長小松光治(昭和21年8月22日 記) ...続きを見る

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2017/04/25 05:17
満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 @
満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 @  手元に「小松メモ」と言っていい小冊子(B5版41ページ)がある。内容はあの時、満洲公主嶺にいた人々の「敗戦から引き揚げまでの苦難の軌跡」を丹念に追った記録集だ。街の重鎮、小松光治氏らがメモったものを集大成した歴史的な資料。今号よりシリーズでお送りする。 ...続きを見る

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2017/04/20 06:22
「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺F
「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺F  「こみーどーりーのー」と歌いだすと、まぶたにあの木々の緑のあふれた公主嶺の街がひろがってくる。農事試験場のポプラ並木、畜産のニレ、北一条通りのアカシア、ロシア人墓地のヤナギ、まこと公主嶺は「濃緑の」街であった。毎朝、新校舎の講堂で、意味もよくわからずに声を張りあげたおかげで、メロディーはいまになお鮮明である。私はその美しい曲の校歌が大好きであった。 ...続きを見る

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2017/04/06 07:25
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 B
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 B  −『ビデオ』は石倉さんが1993年に訪中したとき、『公主嶺小学校の思い出』としてVHS(1時間2分)にまとめたものが、元になっている。同窓会で希望者に複製して頒布すると発表したところ、22人を超える申込者があった。 ...続きを見る

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2017/04/03 05:38
歴史にみる4月 人々の生と死
歴史にみる4月 人々の生と死  今年も4分の1が過ぎて早や4月。今月は出会いの月、そしてまた、桜がまさに春を告げる旅立ちの月です。さて、今月も公主嶺小の同期生・田口恵敏君描く「油彩紀行」にリンクしたカレンダーに沿って古今東西の著名人の「生と死」を追ってみましょう。 ...続きを見る

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2017/04/01 06:59
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 A
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 A  ー初めは『写真集』を作る予定はなかったのだが、『記念誌』の記述を裏付ける意味でも、写真を集め始めたところ、いい写真が多くて、途中で並行して『写真集』の構想が生まれた。(公主嶺小学校同窓会・会報「満洲 公主嶺」合本NO.52) ...続きを見る

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2017/03/29 06:02
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 @
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 @  『満洲公主嶺』の3部作(記念誌、写真集、ビデオ」。その作成に携わった編集委員が、主宰の伊藤 聖さんの司会で完成後(2007年2月2日、於上野ターミナルホテル)、作成に当たっての苦心話を「座談会」で返り見ています。以下はその興味深い裏話しです。、 ...続きを見る

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2017/03/28 06:21
満洲 公主嶺小学校 37回生同期会
満洲 公主嶺小学校 37回生同期会   3月21日に東京で全国最速の桜の開花宣言が出ました。今年も花の季節を迎えられ、お元気にお過ごしのことと存じます。さて、下記のように「37回生 38回目の同期会」を開きますので、ご多用とは存じますが、皆さまのご参加をお待ち申し上げます。 ...続きを見る

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2017/03/27 06:44
「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺E
「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺E  前に農事試験場のことを書いたところ、32回生の愛川(旧姓宮崎)和子さんから「私の家は畜産の前でした。羊の群れが官舎の側の原に出てき来て草を食べてくれましたので、芝生のようでした。その上大きな楡の木陰は絶好の遊び場でした」という便りをいただいた。 ...続きを見る

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2017/03/18 06:04
記念誌・「満洲 公主嶺」エピソード 完結
記念誌・「満洲 公主嶺」エピソード 完結  記念誌「満洲 公主嶺・過ぎし40年の記録」。全500ページを超える大冊のなかに散りばめられているエピソードの数々をブログに転載する作業がようやく終了した。カウントしたら総数292件の挿話。その一つ一つがページの中で、折々の時代の背景とリンク、読ませてくれる。 ...続きを見る

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2017/03/14 05:59
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −終ー
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −終ー  14大正10年度の全満児童スケート大会は私には忘れられない大会であった。その千五百メートルの勝負は最初から終わりまでデッドヒートで、私と一緒に出た安東の宍戸君も遼陽の多田君も、生きていれば共に忘れられない思い出だったと思う。(4頁下段) ...続きを見る

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2017/03/13 06:43
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −14−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −14−  大正9年5月、4年生のとき神戸から公主嶺小学校に転校した。鮫島通りのほぼ中央、浅野醸造に向かいあった雑貨および食料雑貨商の丸福洋行内に居住し、養父は店主として経営一切を任されていた。丸福洋行の主人は丸福旅館の主人と兄弟だったが、このときには二人とも他界していた。(記念し143頁下段) ...続きを見る

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2017/03/09 05:38
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −13−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −13−   私が小学校3年生の大正8年ごろ、農事試験場に北海道の大学を出た小松八郎さん、突永一枝さんら6名(?)の方がっ着任された。私たちチビ共は、よく農事試験場に遊びに行って、この方たちからテニスを習った。(記念誌143頁上段) ...続きを見る

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2017/03/07 06:51
私 神島一男の孫娘です 
私 神島一男の孫娘です   前回からひきつづき、僕の大姪(おおめい)・悠莉ちゃんと、悠莉チャンの大叔父(おおおじ)・僕のメールでの交流が頻繁です。兄一男との再会が念頭にありながらも、先ずは東京での大姪との出会いの打ち合わせが先行しています ...続きを見る

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2017/03/06 05:43
満洲に 祖父をたずねて何百里 補 2
満洲に 祖父をたずねて何百里 補 2  長崎県のKTさんの「祖父母をたずねる、ひたむきな希(ねが)い」に、いたく共感を覚えたという「公主嶺会」事務局長の土屋洸子さん。このほど彼女から再度、詳細なアドバイスと情報をいただいた。以下その全文を紹介いたします。 ...続きを見る

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2017/03/04 06:48
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −12−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −12−  二年生のとき、唱歌を教えて頂いた斉藤秋子先生とのお別れ式のことは今も目に残っている。講堂の白い壁を背に壇上に立たれたお美しい先生の袴姿。先生のお好きな「故郷を離るる歌」を全校生徒が歌った。(記念誌142頁下段) ...続きを見る

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2017/03/03 05:11
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −11−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −11−  私が6年になった大正9年春のこと、斎藤繁樹君の長姉で小学校の先生だった秋子(ときこ)さんが突然に来て「今日、奉天のイギリス人宣教師あ来るんだけど、日曜学校は幼稚園児と低学年の生徒ばかりだから出席して頂戴」という。不承不承、幼稚園に行って後ろの方で席に着いた。(記念誌142頁上段) ...続きを見る

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2017/03/02 07:04
歴史にみる3月 人々の生と死
歴史にみる3月 人々の生と死   もう弥生3月、朝晩はまだまだ冷え込むものの、春の気配がうかがえる季節。今月もまた公主嶺小の同窓生・田口恵敏君描く油絵を添えたカレンダーをリンクしながら古今東西の著名人の「生と死」の暦を追ってみましょう。 ...続きを見る

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2017/03/01 07:00
満洲に 祖父をたずねて何百里 C
満洲に 祖父をたずねて何百里 C  自らのルーツをたどること5度目の「ブログでの交流」。遠くはなれた長崎と東京だが想いは一つ。戦争という暴虐な嵐にさいなまれながらも生きることを追い求めてきたKT一家。その存在理由を確かめようとメールでの交流が続きます。 ...続きを見る

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2017/02/27 05:35
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −10−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −10−  第一次大戦中、オーストリア帝国の支配下にあって、ロシア戦線深く戦っていた6万のチエコ軍団がボルシェビ革命軍と衝突、危機に瀕した。それを救援するため、日本も要請を受けて、米英佛伊加などの連合軍と一緒に出兵することになった。 ...続きを見る

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2017/02/23 07:25
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード ー9−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード ー9−  僕が物心がつき、幼稚園に2年間通った大正7,8年ごろの住まいは「新宿舎」と呼ばれる当時としては一番近代的な建物であった。時代が変わって古くなったためか、会報では「軍艦長屋」となっている。(記念誌141頁上段) ...続きを見る

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2017/02/22 06:16
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −8−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −8−  木下町の満鉄社宅の道路の両側はたしか柳並木であったが、即溝はなく、ただ溝のように土を掘ってあって草ぼうぼうであった。(記念誌140頁下段) ...続きを見る

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2017/02/21 06:29
満洲に 祖父をたずねて何百里 補
満洲に 祖父をたずねて何百里 補  戦時中、満洲公主嶺に住んでおられた義祖父の消息をたずねている長崎のKTさん。彼女の依頼を受けて私が「公主嶺会」の事務局長・土屋洸子さんに問い合わせていたところ、このほど以下のような詳細な返信が届きました。紹介します。 ...続きを見る

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2017/02/20 05:49
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −7−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −7−  公主嶺幼稚園(当時はまだ幼児運動場といった)の主任さんは田中菊江という方で、長崎県の活水あ(いけみず)保育専門学校のご出身。熱心なクリスチャンだった。(記念誌140頁上段) ...続きを見る

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2017/02/17 06:46
満洲に 祖父をたずねて何百里 B
満洲に 祖父をたずねて何百里 B  「満州に 祖父をたずね・・・」も今回で3回目、長崎のMTさんと東京の永井との交流は続きます。戦後72年ともなれば当時の記憶は薄れていくことは仕方のないこと。それに当時の友人など関係者も1人去り2人去りして故人になられた。もう5年も早ければ、と残念な思いが・・・。 ...続きを見る

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2017/02/16 06:40
満洲に 祖父をたずねて何百里 A
満洲に 祖父をたずねて何百里 A  いただいた資料・写真などを丹念に読み、分析し、調べてみました。それで分かったことと、驚いたことが三つあります。それを以下列挙します。なお、義祖父・義父の「義」は以後、割愛させていただきます。 ...続きを見る

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2017/02/15 06:14
満洲に 祖父をたずねて何百里 @
満洲に 祖父をたずねて何百里 @  ブログなどを駆使するなかで、発信者と読み手の間で見知らぬ人同士の新たなコミュニケーションが生まれます。私の場合もその例にもれず、多数のドラマティックな交流があります。これまでの中で強く印象に残ったものをシリーズでお送りします。今回はその一回目、MTさんの場合です。 ...続きを見る

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2017/02/14 07:14
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −6−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −6−  大正7年秋、同級生の橘美佐雄君と下校のとき、泰平橋を渡りながら橘君が「お前も見たんだってなあ」「エッ、何?」「あれさ、支那人の幽霊のことだよ。だれにも話さんから教えろよ」。(記念誌139頁下段) ...続きを見る

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2017/02/13 06:21
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −4−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −4−  公主嶺駅前の小学校に着いたのは大正7年春4月、私は18歳で、旅順の女学校を出たばかりの西も東もわきまえぬ小娘だった。商店街もなく、社宅の並ぶ街は静かで、若い女性はほとんど見受けない。(記念誌138頁下段) ...続きを見る

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2017/02/09 07:17
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −3−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −3−  父が満鉄に勤めていて、私が尋常2年生のときに転勤になったため、安奉線の草河口尋常高等小学校から公主嶺小学校に転入した。勿論、当時は駅前の煉瓦造りの校舎であった。住んでいた社宅が堀町にあったので、学校の裏門から近かった。 ...続きを見る

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2017/02/08 05:49
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −2−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −2−  私が公主嶺小学校に在学した当時(大正5〜10年)始業の朝礼からラッパ吹奏により開始、当時のラッパ手は13回生の伴野満寿美氏で、名手として有名でした。全員集合から正午の知らせ、その他常に規律よく進行したものです。(記念誌137頁下段) ...続きを見る

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2017/02/04 05:36
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −1−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −1−  私は大正6年、4年生のとき、撫順小学校から公主嶺に転校して来た。一番珍しかったのが、授業開始、修了、食事などがラッパの合図だったことだ。(記念誌137頁上段) ...続きを見る

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2017/02/03 06:24
歴史にみる2月 人々の生と死
歴史にみる2月 人々の生と死  今年も早や一月(ひとつき)過ぎてもう2月。暮れにいただいた満洲・公主嶺小学校の同窓生、田口恵敏君描く素敵な絵入りの卓上カレンダーに、「歴史にみる2月 人々の生と死」をリンクしてみました。この試みは今年いっぱい毎月1日に続けるつもりです。 ...続きを見る

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2017/02/01 06:09
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −終ー
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −終ー  幼いころ、お正月に小山良江さんと可愛い名刺を持ち、よく近所へお年始に行きました。着物が長いので裾を踏まないように浅野さんの石段を上がり、「おめでとう」というと、奥様が笑顔でキューピーや女の子を描いた絵葉書を下さった。(181頁上段) ...続きを見る

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2017/01/30 06:40
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −13−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −13−  公主嶺の母親たちは、いまから考えると大変な働き者だったようだ。男の子の洋服は買えるけれど、女児服は数が少なく、ほとんどの子供がお手製の洋服を着ていた。母親たちはいつもいつも洋服を縫ったり、セーターを編んだりしていた。(記念誌181頁上段) ...続きを見る

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2017/01/28 06:09
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −12−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −12−  送って頂いた『80周年記念誌』目次によると、公主嶺小学校にスチーム暖房が備わったのは大正末期のゆである。冬の満州を偲ぶよすがにと北国の雪を訪れ、静まり返った夜の宿でスチームの音を耳にしたとき、ふっと心に浮かんでくるのは、小学校の廊下で聞いた幼いころのスチームの音である。 ...続きを見る

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2017/01/26 05:26
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー11−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー11−  私は大正13年から2年間、公主嶺の幼稚園に通った。もうそのころは2年保育が珍しくなくなっていたのだと思う。小さい組のときは田中清子先生にお世話になった。(記念誌180頁上段) ...続きを見る

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2017/01/25 05:32
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −10−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −10−  大正14年、大連から公主嶺に移り住んだのは、5歳のときであった。駅から馬車(マーチョ)にゆられ、橘医院を左折して、一路騎兵隊を目指して走り、たどり着いた所は高い土塀に囲まれた広大な敷地であった。土塀の角々には哨楼があり、昼夜交代で見張りが立って、馬賊の襲来に備えていた。(記念誌179頁下段) ...続きを見る

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2017/01/22 05:51
「ソ満国境15歳の夏」 村越愛策(新京一中生)
「ソ満国境15歳の夏」 村越愛策(新京一中生)  旧満州の新京1中生で一年先輩の村越愛策さんがこのほど遺筆集を出版された。題して「1946−2016 70年を超えて」。氏は小学校(公主嶺小学校)でも同窓生。したがって383ページの諸作のなかには「来し方 行く末」の思いともども満州での望郷の思いが各所につづられている。今回は表題のテーマからご紹介。 ...続きを見る

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2017/01/20 06:27
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −9−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −9−  大正14年僕が5年生の終わりに、満洲日日新聞主催で高塚社長が団長となり、第7回母国見学団があり、丸福旅館の浜本義一君と一緒に参加した。この見学団は毎年2,3人の死者が出るので、これが最終回となった。(記念誌179頁上段) ...続きを見る

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2017/01/19 05:32
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −8−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −8−  19回生の私共は山下昌平先生が公主嶺小学校赴任最初の生徒で、5,6年の2年間を受け持っていただきました。(記念誌178頁下段) ...続きを見る

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2017/01/17 05:18
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −7−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −7−  大正14年の秋と思います。初めての陸上競技大会が奉天で行われました。凄い風が吹いていたような気がします。参加校をA組、B組に分けて、公主嶺はB組でした。学校の生徒数が町の大きさで分けられていたようです。(記念誌178頁上段) ...続きを見る

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2017/01/16 06:05
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −6−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −6−  大正11年に父は渡満していたが、家族は2年後の大正13年5月、関釜連絡船で渡満した。私は当時8歳で3年生、着物姿に学帽をかぶった渡満記念の写真が残っている。一緒に写っている弟はまだ2歳だった。(記念誌177下段) ...続きを見る

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2017/01/14 05:50
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −5−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −5−  5年の遠足でコーセン山に行ったとき、何が面白かったのか、気がついたら橘淑子さん、伊藤久子さん、安部さん、渡辺まっちゃんら女の子ばかり7,8人になっていたのです。(記念誌177頁) ...続きを見る

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2017/01/13 05:42
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −4−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −4−  大正12年の夏かもしれません。4年生でした。当時、5,6年は星ケ浦海水浴、4年が熊岳城だったと思います。熊岳城温泉までは駅からトロッコが4台くらい一列に並んで線路の上を行くのです。後の車のロバが前の車のなかに、あの長い顔を出すので悲鳴があがり、大変な騒ぎ、屋根だけあるトロッコでした。 ...続きを見る

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2017/01/10 05:53
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −3−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −3−  公主嶺で住んでいた官舎は小学校正門前の通りを南西へ2,3分行った右側にあった。父の井田竹蔵が公主嶺警察支署の翻訳県高等科として勤務していたので、職業柄、中国の人の来訪もあり、「チンテンシャン ユウ?」(井田さんいますか)と私には聞こえたが、その声の調子が耳に残ってる。(記念誌176頁上段) ...続きを見る

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2017/01/08 05:49
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー2−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー2−  大正12年、元白系ロシアの文部大臣でいらしたとかのアレキサンドル・ジュコフスキー氏が満鉄に亡命して来られ、農試病理昆虫科で父三浦道哉(のち蜜成と改名)の仕事を手伝って、赤石行雄氏と植物の絵などを書いておられた。お住まいは農試のなかのロシア建て住宅だった。 ...続きを見る

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2017/01/07 05:14
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −1−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −1−  私の母、小野かのの人生は即、実科女学校と家政女学校の歴史でもあると私は今でも思っている。あのころの母は必死になって働き、学校の内容充実と発展に努力していた。それは今でも瞼の裏にやきついて忘れられない出来事である。(記念誌175頁上段) ...続きを見る

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2017/01/05 05:08
年賀状 FROM 田口恵敏君 
年賀状 FROM 田口恵敏君   岩手の二戸から年賀状が到来。それは田口恵敏君からのもの。暮に彼の油絵入りの卓上カレンダーを贈呈され、しばしその華麗なタッチに見入っていた。そういえば少年時代に絵を良くしていたことが甦って来た。年賀状には奥入瀬の渓流が文字通り流れるように描かれている。 ...続きを見る

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2017/01/02 11:48
年賀状 FROM 土屋洸子さん
 「明けまして おめでとうございます」、満洲公主嶺会の事務局長・土屋洸子さんからの賀状が届きました。「今年も37回生クラス会、公主嶺会を開きたいと願っています」と追伸に書いてありました。 ▼公主嶺会で 後列右端が土屋洸子さん ...続きを見る

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2017/01/02 06:33
卓上カレンダー 岩手の田口恵敏さんから
 「地元の大手ブロイラー会社で私の油絵を気に入ってくれてカレンダーを作ってくれましたのでお送りします」。公主嶺小学校の同期生、岩手の田口恵敏さんからのユウパックです。開いてその素敵な彩色の移り替わりに、しばし釘づけになりました。 ...続きを見る

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2016/12/30 09:51
「戦後70年と私」 岡山から 則次美弥子さん
 「お目にかかったのも束の間、あっという間にお姿が見えなくなってびっくりしました。その後、如何がお過ごしですか? 体調は? 食事は? と案じています。気力は大事、でも食べることが一番です。少しでも身につくものをバランス良く取って下さいね」。 ...続きを見る

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2016/12/28 06:12
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −26−
 公主嶺の朝日新聞は三村高次郎さんのあとを浅野兼右衛門さんが受け持っていました。浅野のじいさんは私宅に毎日のように夜遊びに来ていました。(記念誌220頁下段) ...続きを見る

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2016/12/27 05:29
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード ー25−
 私は生後間もなく、多分大正15年頃に両親と共に公主嶺に移住した。そして小学校を卒業するまでの約13年を、公主嶺で過ごしたから、私は正に満洲育ちであり、公主嶺は私の故郷である。(記念誌220頁上段) ...続きを見る

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2016/12/26 05:30
土屋洸子さん 関連ブログ数 400超え
 「満州っ子 平和をうたう」の中で、土屋洸子さん関連のブログ投稿数が400を超えました。土屋さんは旧満州(現中国東北部)「公主嶺会」の事務局長。なお総アクセス数も1万5千回に達しています。以下ベスト10を表示します。 ...続きを見る

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2016/12/24 06:01
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −24−
 昭和5、6年の小学校のころの記憶は断片的で、すぐ消え、また現れる。楠町二丁目は鉄道の北で、公主嶺駅前の通りから二つ目の道路である。(記念誌219頁下段) ...続きを見る

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2016/12/23 05:30
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −23−
 昭和5年、父神田勝亥の退任で、楽しい5年生も一学期で内地に帰ることになった。小山先生は気づかって、白雲寮の自室で、勉強の特訓をして下さった。(記念誌219頁上段) ...続きを見る

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2016/12/22 06:50
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −22−
 昭和5年3月、3年生修了のときに父の転勤で公主嶺を去った。東京府荏原郡世田谷町の小学校は当時の国定教科書の挿絵そのままのコの字型の木造校舎だった。児童の三分の一が着物に袴、鞄を肩に掛けていた。(記念誌218頁下段) ...続きを見る

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2016/12/21 06:33
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −21−
 当時、新進気鋭の満鉄マンの教育への情熱が、新天地で結実したと思われるのが教科書だった。理科の本は口絵に満州特産の蝶類の天然色写真が載っていた。厚さ1センチくらいで、横書きの楽しい本だった。おかげで、その後、昆虫や植物に興味を持つようになった。(記念誌218頁上段) ...続きを見る

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2016/12/20 06:59
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −20−
 てんびん棒の前後にマクワ瓜5〜60個入った籠をぶらさげて、霞町も道をゆらりゆらり通るのはお百姓のニイヤン。緑に白い縞入りの小型マクワ瓜。(記念誌217頁下段) ...続きを見る

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2016/12/17 07:11
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −19−
 私の住んでいた蔡家(さいか)のような中間駅には、年に2度ほど慰安車というものが来ました。大賞末か、昭和でも極初めだったと思います。それは2両ばかりつながった列車のマーケットとでもいうのでしょうか。(記念誌217頁上段) ...続きを見る

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2016/12/16 07:29
「神島中尉 特攻出撃」 公主嶺小同窓会誌 土屋洸子
 1944(昭和19)年12月15日、旧満州・公主嶺小学校出身の神島利則海軍中尉がフイリピンで特攻死した。あれから72年。1962年に発刊された同窓会誌「満洲公主嶺 過ぎし40年の記録」に2ページを割いて、彼の生き様がリアルに記述されている.。以下紹介する。なお、執筆者は同誌の編集者、土屋洸子さん。 ...続きを見る

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2016/12/15 06:01
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −18−
 昭和3年3月、19歳で香むら畜産科長のお世話で農事試験場の毛皮鞣製加工試験係の助手として採用された。以後、16年間、専業に終始した。(記念誌216頁下段) ...続きを見る

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2016/12/13 05:39
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −17−
 昭和5年2月公主嶺仮種羊場から農事試験場に転じ、丸4年間畜産科にいましたが、小松八郎科長はじめ北海道、東北の人達が多く、おおらかな牧場生活でした。(記念誌216頁上段) ...続きを見る

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2016/12/12 05:59
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −16−
 昭和5年、夏休みのある日、一級下の塩原幸男君と魚釣りに行くことになった。途中、芳原勇君のところで生餌をもらい、現地の様子も色々教えてもらう。二人とも太公望気取りであった。(記念誌215頁下段) ...続きを見る

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2016/12/10 04:27
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −15−
 鉄道線路の草むらの茂みに、きりぎりすが鳴いていた。果てしなく広がる高粱畑から、さわさわと葉づれの音がしていた。帰りの通学列車に乗り遅れた私は、公主嶺をあとに大車(ターチョ)の轍のある凸凹道を大楡樹に向かって歩いていた。(記念誌215頁上段) ...続きを見る

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2016/12/09 07:12
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −14−
 昭和5年5月、いまは亡き秩父宮が満洲へおいでになった。ところは軍都であった公主嶺、お召し列車から降りられた殿下は、馬で守備隊司令部へ向かわれることになっていた。(記念誌214頁下段) ...続きを見る

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2016/12/08 05:55
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −13−
 幼稚園時代から、満州、支那、朝鮮、白系ロシア等各系の人達と仲良く遊んだ。「五族協和」などの言葉は知らなくても、子供たちは無意識にこの言葉を体現していた。何をしゃべっていたか覚えはないが、子供の世界は結構話が通じていたようだ。(記念誌214頁上段) ...続きを見る

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2016/12/06 05:49
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −12−
 公主嶺は空気も良く、水も清く、健康地であったと思うが、寒冷地の住み方にうとい日本人にとってはいろいろ苦手なことが多かったらしい。そこは、内地よりも一歩先んじているという自負のある満鉄のこと、小学児童に対する健康指導は早くから考えられていた。(記念誌21頁下段) ...続きを見る

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2016/12/05 07:19
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −11−
 小学校の運動会は、守備隊から軍楽隊がきて盛り上がってくれるなど、町を挙げての行事だった。観覧席の外側はアンペラで囲まれていた。中国人が大勢、アンペラの隙間から覗いていた。(記念誌213頁上段) ...続きを見る

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2016/12/04 07:34
満洲に栄ゆる 「公主嶺十六景」など 絵はがき @
 公主嶺の絵はがきは大正時代から主として兵隊の記念土産として数種類があった。昭和10年代には「公主嶺16景」の絵はがきが売り出された。16景の組み合わせは多彩で、現在4種類、3枚ほどが残っている。    このような絵はがきが発行されたのは、公主嶺が軍都であったことが大きく影響している。それと同時に16景となるような風景に恵まれた土地であったことも見逃せない。しかし、それにしても、畜産の風車やロシア墓地などが入っていないのは、なぜであろうか。    この16景とは別に当地の写真館(やな... ...続きを見る

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2016/12/03 06:34
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −10−
 昭和4年の5年担任は満洲教宣地歴専攻の菊田善重先生で、身嗜みの良さと授業がわかりやすく楽しい雰囲気だった。一年足らずで先生は兵役に就かれたが、師弟の絆は音信の交流で益々深まった。(記念誌212頁下段) ...続きを見る

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2016/12/02 06:46
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −9−
 4年生のとき担任になられた小山司六先生は、満洲教育専門学校卒業したてで、お若くて、神経がピリピリしてて、何でもキチーンとしていないとオカンムリだった。机の中に無造作にハンカチを放り込んでいて叱られた。(記念誌212頁上段) ...続きを見る

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2016/11/30 06:08
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −8−
 夏休みを利用して虚弱児のために熊岳城温泉で合宿が行われていた。4、5校共同の温泉聚樂は、町はずれの林の中にあった。赤い立葵の花、ガマの穂のゆれる小川の岸、暖かな温泉の湧く砂地、バラックの合宿所、おぼろに見えてくる遠き思い出、それはすべて幼き日の美しいメルヘンである。(記念誌211頁) ...続きを見る

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2016/11/29 06:34
「第5次友好訪中の旅」記 則次美弥子
 戦後、公主嶺小学校の同窓会一行は、1983年から5回にわたって公主嶺を訪問している。以下の訪問記は5回目(1998年5月)のときのものである。筆者は岡山県出身の則次美弥子さん。タイトルは、「公主嶺は いま」となっているが、ここでいう「いま」は18年前のことである。 ...続きを見る

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2016/11/28 07:15
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −7−
 昭和3年春、卒業を目前にした3月10日の陸軍記念日に6年生男子は町を挙げての記念模擬戦に参加した。先生の中には短期ではあるが軍隊生活の経験者も多く、よく指導してくださった。(記念誌211頁上段) ...続きを見る

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2016/11/27 06:36
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −6−
 昭和3年ごろの公主嶺小学校にウラジミール・ジュコフスキーという名の碧い目の上級生がいた。私より4歳上の兄と同級生だったから、21回生ということになる。この方のお父さんは農事試験場に勤めておられ、一家は場内のロス建て社宅に住んでいた。(記念誌210頁下段) ...続きを見る

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2016/11/25 07:05
「あのころ」 伊藤 聖さん 語る 満州・公主嶺D
 公主嶺といえば農事試験場を思うほど、満鉄の農事試験場は有名であった。初代満鉄総裁だった後藤新平の雄図によるといわれているが、設立されたのは1913(大正2)年だから、2代総裁の中村是公のときである。(会報第3号) ...続きを見る

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2016/11/24 06:19
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −5−
 昭和2年ごろ機関庫の前の建物に住んでいた。昭和3年ごろは木下町に住み、農事試験場が近くにあった。私達兄弟は長男、次男、私が三番目と二つ違いのたずら兄弟だった。(記念誌210頁上段) ...続きを見る

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2016/11/23 07:06
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −4−
 運動会の練習にどんなことをしたかの記憶は薄らいだ。自分達が練習していた同じ運動場での下級生の練習風景の方がはっきり印象に残っている。(記念誌209頁下段) ...続きを見る

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2016/11/22 06:45
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −3ー
 2年生の受け持ちの清水辰男先生は大きな声が特色。当時は活動写真といった映画の説明役はいつも先生だった。海軍記念日の「広瀬中佐と杉野兵曹長」には涙が止まらず、手に汗を握ったものだ。(記念誌209頁) ...続きを見る

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2016/11/21 06:43
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −2−
 私は昭和2年6月、兵庫県多紀郡篠山町小学校の6年生のとき公主嶺尋常高等小学校に転校した。何しろ当時の丹波篠山町は軽便鉄道によるしか町に入ることができない田舎であり、小学校は木造平屋建てであった。(記念誌208頁下段) ...続きを見る

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2016/11/20 06:04
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −1−
 一年担任、久保田教頭先生は、式典の時、日ごろにまさる謹厳なお顔で、フロックコートに白手袋で奉安室から講堂まで、しずしずとお勅語の箱を捧げもって来られた。壇上の堀井校長先生も白手袋で、全校生徒、シーンと静まる中、お受け取りになる。(記念誌208頁上段) ...続きを見る

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2016/11/18 05:48
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −17−
■その18 2007(平成19)年10月28日、記念大会のあと、はとバスでの東京都内観光を計画した、夜の観光は大塚文昭、栗林重夫、田口恵敏、丹宗洋一、長濱自明、山田和行、山本幸子、土屋洸子、稲垣玲子、岡島妙子、小林千栄子、40回生の近松嶺子、樋廻明子、狩野満子、星 憲子、41回生の有江勝廣、井上萬里、溝口康子の18名。 ...続きを見る

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2016/11/16 06:29
2016年「公主嶺会」にご参加の皆さまへ 土屋洸子
 「満洲公主嶺会」の2016年度「懇親会」が10月、東京・上野で盛大に開かれました。参加された皆様へ、このほど「会」の事務局長・土屋洸子さんから、お礼の書状をいただきました。以下、ご紹介させていただきます。 ...続きを見る

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2016/11/15 06:13
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −16−
■その17 2006(平成18)年、浅草ビューホテルでの第12回同窓会のあと、東武日光線「東部浅草」駅から特急に乗り、日光で同期会を開いた。  参加者は栗林重夫、田口恵敏、丹宗洋一、長濱自明、山田和行、山本幸子(青木)、土屋洸子(池田)、稲垣玲子(菅野)、小林千栄子(室井)、津山良子(山本)・雅一と41回生の有江勝弘・香勢津の13人。  国内最古の西洋ホテルとして有名で、国の登録有形文化財となった。「日光金谷ホテル」に宿泊したが、廊下にスケートに興じる写真があり、ティルームの窓際にラジエ... ...続きを見る

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2016/11/14 06:07
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −10−
 「かねを鳴らして夜汽車が通る/からんからんと鳴らして通る」と満洲小学唱歌「夜汽車」で歌われたように、夜汽車といえば、なによりもまず、あの鐘の響きが思い出される。(記念誌104頁下段) ...続きを見る

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2016/11/13 06:22
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −9−
 記録によると佛心寺の開基は大正2年ということだが、東祖心師はそれ以前の明治末期には、すでに公主嶺にいて布教につとめていた形跡がある。というのは、のちに血盟団事件を起こした右翼の大物、井上日召が東祖心師と会っているからである。 ...続きを見る

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2016/11/11 06:12
土屋洸子さん 「公主嶺を語る」 新宿で
 東京・新宿の「平和祈念展示資料館」では毎月、先の大戦での体験者を招いて痛恨の思いを伝えようと「語り部お話会」を催していますが、来る11月20日(日)は「公主嶺を語る」と題して土屋洸子さんが、敗戦時の動乱の模様を話します。なお、彼女は同館の語り部として、これまでも幾度か出演しています。 ...続きを見る

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2016/11/10 06:15
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −15−
■その16 2004(平成16)年11月15日(月)、横浜シェラトンホテル「彩龍」に次の人が集まりました。窪田謄、古川千賀子(第5次ツアー参加)、36回生の長濱邦明、伊藤成子(神宮寺)、渡辺澄江(丹)、、41回生の有江勝廣夫妻、37回生の大塚文昭、栗林重夫、田口恵敏、長濱自明、雲雀孝毅、稲垣玲子(菅野)、山口准子、鹿小嶋悦(藤田)小林千栄子(室井)、森田妙子(森薗)、石渡文代(山野)、津山良子(山本)、猿渡俊子(渡辺)、佐々木ひで子、(田口の知人)の22人。窪田さんは昭和2年〜4年に24・2... ...続きを見る

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2016/11/09 06:52
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −8−
 内地では珍しくなった煉瓦造りの建築を見ると、いつも懐かしきを憶えるのは、かつて煉瓦造りの家に住んでいたからだろうか。我が家が、古いロシアの劇場だったとは、幼いころから親達によく聞かされていた。(記念誌104頁上段) ...続きを見る

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2016/11/08 06:09
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −14−
■その15回 37回生同期会は、1972(昭和27)年11月5日に東京で第1回が開かれて以来、毎年1回東京、その他の会場で開催しています。2001(平成13)年8月に「中村裕将さんを偲ぶ会」として集まりましたが、それを加えると今回で31回になります。  今回初参加の森田妙子さんは、小学1年生から数十年を経た空白を感じないほど、溶け込んでくださったように思いました。41回生の有江勝弘さん、溝口康子さんの参加は、公主嶺にいたという共通の思い出が、学年の違いを感じさせない強い絆になっていると... ...続きを見る

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2016/11/07 05:55
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −13−
  ■その14 37回生の学年委員だった中村裕将君が2001(平成13)年5月16日に亡くなったので「中村裕将さんを偲ぶ会」を8月4日に東京・上野ターミナルホテル「水車」で開いた。  出席者は宇田川祐子(遺族)、樋廻昭子(遺族・40回生)、37回生の栗林重夫、田口恵敏、長浜自明、野元昭夫、服部富雄、坂斉裕、雲雀孝毅、村上幹雄・同夫人、山田和行、山本幸子(青木)、稲垣玲子(菅野)、石渡文代(山野)、猿渡俊子(渡辺)、土屋洸子(池田)、、井本稔(39回生)、知人の佐野茂雄。源美夫妻、瀧澤廣の21... ...続きを見る

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2016/11/06 06:17
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −7−
 私は明治43年大連で生まれた。父が公主嶺の機関庫に勤務することになったので、両親と姉てい(9回生)、兄次郎(12回生)とともに、明治45年に公主嶺に移住した。(記念誌103頁上段) ...続きを見る

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2016/11/05 06:32
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −12−
■その14 2000(平成12)年、浅草ビューホテルでの第11回同窓会の終了後、同ホテル「駒形」で夜6時から37回生主催で、35回生〜38回生の合同同期会を開いた。  参加者は黒木博嗣先生(38回生を担任)、吉積敦子さん(宮野入先生遺族、第5次ツアー参加)、古川千賀子さん(43回生古川高兄の妹、第5次ツアー参加)、村松公子(第4次ツアー参加、29回生緒方正一の妹)、佐藤 衛(23回生)、服部一男(34回生)、井本稔(39回生)、有江勝広(41回生)、風野基子(旧姓池田、45回生)の皆さんと... ...続きを見る

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2016/11/03 07:16
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −6−
 木下町の満鉄社宅はカマボコ型の煉瓦造り平屋が道路の両側に兵舎のように並んで建てられていた。典型的なロス建てで、四つの部屋の真ん中に円筒型黒塗りの鉄製ペチカがはめ込まれていた。中国人のニーヤが朝に石炭を投げ込んで、あの満洲の厳寒の冬をしのいでいた。 ...続きを見る

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2016/11/02 06:50
「70年を超えて」 出版記念会 村越愛策
 10月25日に開かれた今年の「満州・公主嶺会」。日本各地から28人の同窓生が集まった。その中で36回生の村越愛策さんから1枚の小さなお知らせチラシをいただいた。村越さんが引き揚げ後これまでに書き続けてきたエッセイの集大成を出版される案内だ。 ...続きを見る

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2016/11/01 07:30
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード ー5−
 大正2年の秋、父の転勤で私たち一家が最初に住んだ家はロス建ての8畳四っつを田の字のように四角に並べた家で、真ん中にはペチカがありました。裏には試験場お空き地をへだてて中国人の家が並んでいました。そのころは霞町という名はなく、守備隊までがずっと木下町でした。 ...続きを見る

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2016/10/31 06:26
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −11−
■その12 1999(平成11年)10月24日(日)に東京・上野ターミナルホテルの「水車」でクラス会を開いた。1972(昭和47)年11月に第1回を東京・渋谷で開いてから、平成10年は休んでしまったが、今回で28回目の同期会である。  参加者は(青木)山本幸子、(池田)土屋洸子、(平間)千葉寿子、(藤田)渡辺アツ子、(藤田)鹿小嶋悦、(山本)津山良子、(渡辺)猿渡俊子、大塚文昭、栗林重夫、田口恵敏、野元昭夫、中村裕将の12名で、遠くは神戸、仙台、山梨、新潟、岩手などから駆けつけてくれた ... ...続きを見る

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2016/10/30 07:00
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −10−
■その11 すでにいままでに4回、同窓会のたびに、37回生の幹事で合同クラス会を開いてきた。1998(平成10)年の第6回同窓会のあと、上の広小路「水車」での36〜45回生の合同クラス会のときには80人も集まり、会計に汗だくだったことを思い出す。  今回は35回生が横浜でクラス会を計画していることを耳にしたので、合同を申し入れて、35回生の幹事さんにご苦労をお願いした。  37回生の出席者は栗林重男、田口恵敏、中村裕将、坂斉裕、雲雀孝毅、稲垣玲子、猿渡俊子、並木孝子、土屋洸子、津山良子の... ...続きを見る

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2016/10/29 05:59
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −9−
■その10 私たちのクラス会は26回になりました。昨年夏の公主嶺訪問の旅には7人が参加したので、クラス会は見送りかと思っていました。しかし今まで25回も続いたクラス会を中断するのは惜しいと、幹事の宮島雅一さんが綿密な下見をして、茨城県下のハイテク施設を見学・観光することになりました。   1997(平成9)年11月9日(土)夜、上野ターミナルホテルに下の写真のように栗林重夫、丹宗洋一、長浜自明、中村裕将、野元昭夫、坂斉裕、宮島雅一、村上幹雄、稲垣玲子、並木孝子、小林千栄子、土屋洸子、小島ヤ... ...続きを見る

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2016/10/28 05:35
2016年 写真で見る 「公主嶺会」
 今年の「満洲・公主嶺会」が10月25日、上野ターミナルホテル地下「水車」で開かれました。これには全国から総勢28人が、また遠くカナダからもお一人参集。久しぶりの対面とあって、和気あいあい、笑いの絶えない楽しいひと夜を過ごしました。以下スナップ写真を5枚紹介しましょう。 ...続きを見る

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2016/10/26 08:23
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −号外ー
 昨年10月6日(1995年=平成7年)土屋洸子さんから37回生の福岡同期会の会報を頂きました。同封の出席された皆さんの懐かしい写真を見せてもらって、在満時代、しかも可愛い1年生の当時を思い出しています。(会報39号ー8頁) ...続きを見る

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2016/10/26 05:59
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −8−
■その9 1995(平成7)年の同期会は前日の9月23日、福岡ドームの貴賓席での野球観戦から始まりました。プロ野球には、は、あまり関心がある方ではありませんが、貴賓席というところにひかれ、台風14号の前ぶれの雨のなか、宿舎のシーホークホテルに荷物を置き、幹事の大塚さんの友人のベンツで、男子3人、女子4人が案内していただきました。なかへ入ってビックリ、応接室のような広々とした部屋で、ドアを開けると大歓声のダイエー・西武戦が見えるところ。ビール片手に豪華な料理、飲み物、フルーツ盛りあわせなど、思... ...続きを見る

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2016/10/25 06:15
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −7−
■その8 1994(平成6)年10月2日の第9回同窓会が終わった後、35・37〜45回生の合同同期会が開かれた。黒木、三井、佐藤衛(23回生)先生をはじめ、総勢67名の大合同同期会となった。厩橋から屋形船で隅田川を下るという企画の魅力が、参加者の多さにつながったようだ。  実はこの合同同期会は、公主嶺小学校同窓会でも最も元気がよくてまとまっている37回生の発想にによるもので、先輩も後輩も「ぜひ参加させてほしい」と、文字通り相乗りのクラス会に発展した。下見と予約・司会進行・サービス・会計のす... ...続きを見る

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2016/10/24 05:47
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −6−
■その7   1993(平成5)年、9月25日(土)第23回同期会が札幌定山渓ホテルで開かれました。男子10人、女子10人が九州や関西からも参加して、公主嶺の思い出、帰国してからの苦労話など、いままでの道のりを心ゆくまで語らい、楽しい一夜を過ごしました。昭和20年3月に卒業して以来の再会の人もあり、生きていて本当によかったと、しみじみ感じました。  26日は、16人が旭川で小児科医院を開業している村上幹雄さんの計らいで、ガイドつきのマイクロバスに乗り、美瑛(びえい)の丘を一巡し、前田真三... ...続きを見る

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2016/10/23 06:12
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −5−
■その6  1991(平成3)年10月19日、山形県赤湯温泉「丹泉ホテル」で、21回目の同期会が開かれた。折悪しく、山形ミニ新幹線の工事のために列車の便が悪かったが、JR奥羽本線の関根駅に降りることなどは、二度と得がたい体験であった。  当日は幸い、好天に恵まれて、実り豊かな東北の自然を満喫した楽しいクラス会となった。岩森亘、叶多嘉子、矢作貞次郎の各先生、特別参加の伊藤聖さん(33回生)はじめ、生徒は男子8人、女子11人の計23人が、北は北海道釧路、南は九州長崎から参加した。  翌20... ...続きを見る

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2016/10/22 06:25
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −4−
 農事試験場の東側の畜産との間に、田舎から駅に通じる大きな道路がありました。多分、公主陵のほうから来る道だったと思います。公主嶺は背後の田舎が広くて、大豆の集散地でしたから、大車(ターチョ)が何台も何台も通りました。(記念誌101頁下段) ...続きを見る

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2016/10/21 06:24
「赤い夕日の満洲で・・・」 井本 稔さん三回忌
 2014年10月20日、満洲・公主嶺小学校同窓会の重鎮、世話人である井本稔さんが逝った。奇しくもその日に開かれた「公主嶺会」で訃報を受け、当日、参集した人たちは、しばし茫然、言葉を失った。あれから今日はもう二年、三回忌。謹んで再び、三度彼への思いを反芻したい。 ...続きを見る

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2016/10/20 06:09
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −3−
 大正はじめ、浅野醸造がまだ出来る前はあそこが共楽座という劇場で、その隣に満鉄病院があった。公園のなかに公会堂が設けられて共楽座はなくなり、前後して満鉄病院も公園の東側に移転した。鮫島通りに橘医院ができたのも、そのころだった。(記念誌101頁冗談) ...続きを見る

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2016/10/19 05:43
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −2−
 大正2年に札幌の師範学校付属小学校から公主嶺小学校の1年生に、姉の愛子は4年生に編入しました。母校では授業の始めも終わりも上級生の吹く軍隊式のラッパが合図でした。神社参拝などの全校集合のときには違ったラッパの曲が吹かれて、大急ぎで集まったものでした。 ...続きを見る

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2016/10/17 05:13
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −4−
■その5   1990(平成2)年9月16日夕方、同窓会幹事としての大役(注)を果たした安堵感と余韻を覚えながら、「ニューオータニ会館」から新仲見世を通って浅草寺へお参りしたのち、吾妻橋へ向った。  岩森亘、叶多嘉子、黒木博嗣、三井(旧姓宮永)正子各先生と37回生28人、41〜44回生10人が、芝「弥生会館」で合同の同期会を持つことにしたため、吾妻橋乗船場で全員が合流した。  少し蒸し暑かったが、いくつかの橋をくぐり抜けるころには夕闇も迫り、川面をよぎる風も頬に心地良く、灯をともした屋... ...続きを見る

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2016/10/16 05:27
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −1−
 午前6時半といっても、真冬の凍りついた路上は暗く、家から提灯をもったボーイに送られて四平街駅にたどりつくと、「おーい、千代ちゃん、発車するぞー、早く、早く」と列車乗務員の高木さんがホームに立って手を振っている。(記念誌100頁上段) ...続きを見る

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2016/10/14 05:59
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −3−
■その4   「毎年1回は同期会を」と昭和47年に集まり始めてから、昨年の会合は19回目となりました。1989(平成元)年9月15日、九州長崎に岩森亘先生を始め、男子 岡部正俊、雲雀弘毅、宮島雅一の3人、女子 青木幸子、阿部恵子、池田洸子、大久保満子、桑野幸子、渋田准子、寺司玲子、室井千栄子、山本良子(女子は旧姓)の9人、計16人が集まりました。阿部さんと大久保さんは初参加。  昭和20年の卒業以来、捜し続けていた大久保さんの消息が8月にわかり、9月に会えたのです。幼稚園の叶多先生、1,... ...続きを見る

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2016/10/13 07:11
満洲・公主嶺小学校37回生の歩み −2−
■その2  昭和52年10月22日〜23日、定例の同期会を岩手県盛岡市郊外の雫石から更に奥に入った鶯宿温泉で開きました。二戸市の田口、矢幅町の杣沢両氏の幹事役で、岩森、三井両先生を囲んで、男子7人、女子4人が楽しい一夜を過ごしました。北海道からは村上幹雄氏が初めて、夫人,子供さんと一緒に出席され、話題を集めていました。   私たちは毎年欠かさず同期会を開いていますが、そのたびに新しく消息のわかった人が加わり、会を盛り上げてくれます。   熱いお湯で体をやすめた翌日は、幹事さんの案内で八... ...続きを見る

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2016/10/12 05:51
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −1−
 旧満州・公主嶺小学校が誕生したのは、1907(明治40)年11月18日。あれから存続していたなら来年(2017)でなんと、110年になる。37回生といえば、昭和7〜8年生まれで、1945(昭和20)年3月に卒業式を迎えた少年、少女たちだ。 ...続きを見る

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2016/10/11 06:25
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −11−
 父高取恵市は明治40年8月、独立守備隊の御用商人だった叔父三宅濱治を頼って満20歳で渡満、守備隊の酒保に勤めました。酒保では兵隊さんの日用品や雑貨、食糧などを売っていましたから、そこで仕入れや経理のコツを覚えたのでしょう。 ...続きを見る

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2016/10/10 05:59
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −10−
 小久保勇八は明治16年1月4日滋賀県生まれ、小松光治氏と同い年でした。日露戦争の前年、大津の歩兵第九聯隊に入営、日露戦争のときは足に貫通銃創をうけましたが、野戦病院からすぐまた前線へ戻りました。その後また負傷して兵庫県有馬の陸軍病院へ帰されてるうちに戦争が終わりました。(記念誌67頁下段) ...続きを見る

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2016/10/09 06:43
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード ー9−
 私の父三宅濱治は日露戦争に従軍したのち、いったん本籍の赤穂市に凱旋したが同じ赤穂出身者ですでに公主嶺で活躍していた丸福洋行の福浦重吉氏、丸福旅館の浜本芳太郎氏(カメさんの夫)に誘われ再び渡満した。明治41年だった。私はその2年あとの43年に渡満して小学校2年に入った。 ...続きを見る

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2016/10/07 05:51
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −8−
 祖父長尾由次郎は万延元年(1860年)大阪に生まれた。日清戦争のころ姫路で友人大矢奈良吉氏を社長として合名会社大矢組を設立し、陸軍の御用達商人となった。日露戦争直後、軍の要請だったのだろう。死を覚悟して社長夫妻、社長夫妻、祖父夫婦は若者を連れて大連に渡った。(記念誌66頁) ...続きを見る

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2016/10/06 06:35
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −7−
 父小松光治が書き残した手記から。「当時公主嶺には大機関庫の外、鉄道工場もあり、軍部としては東西大営に一個旅団が駐屯し居り(児玉少将)、付属地の広さは鉄道沿線中最大、確か300万坪(周囲約四邦里)を有し、私の行った時はまだロシアの教会堂(のち小学校となる)、民間小雑貨店1軒残って居た。(記念誌66頁) ...続きを見る

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2016/10/03 06:26
ブログ 公主嶺 アクセスランキング
 テーマ「満洲・公主嶺」に係わるブログ一覧は今回で3度目。詳細は以下に紹介します。ページ数は405、アクセス数は26700を超えました。私のブログは4000頁に到達、テーマ数も49になりましたが、ここのところはテーマ「公主嶺」に集中しています。 ...続きを見る

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2016/10/02 06:23
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −6−
 明治43年の冬、公主嶺にもペストが流行し、緑町のオンドルの家から武士道の陸軍官舎に引っ越しました。軍隊では武士道の入り口で外から来る人に消毒をしていました。当時、このあたりで家族でいたのは私共と連隊長のコックさん夫妻だけでした。(記念誌65頁) ...続きを見る

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2016/10/01 05:53
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −5−
 学校から行ったのか、汽車に乗って寛城子にコサック騎兵の馬術を見に行ったことがありました。寛城子から2キロほど離れた長春場内には、まだロシア兵が残っているといわれたころで、野球ができるような広い原っぱに大勢の見物人が、それも300人や500人ではなかったように思いました。(記念誌65頁) ...続きを見る

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2016/09/29 05:37
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −4−
 私が母に連れられて兄2人と公主嶺に行きましたのは、明治41年、数え年6歳のときでした。父大川信次郎は日露戦争に従軍、戦後ロシアに語学留学して、当時は独立守備隊のロシア語通訳として勤務していました。(記念誌64頁) ...続きを見る

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2016/09/27 05:38
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −3−
 明治42年に入学して、45年7月明治天皇が亡くなられたとき、四平街文教場へ転校しました。その間、公主嶺と郭家店で何回か引っ越し、汽車通学もしましたが、とにかく明治時代の公主嶺小学校を知っている数少ない一人になってしまいました。(記念誌64頁上段) ...続きを見る

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2016/09/26 06:27
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −2−
 私が公主嶺に行ったのは明治40年で、数え年3つのときだった。父は一足先に渡満していたので、母に連れられて行った。当時はこのように、まず単身で渡満し、2,3年たって家族を呼び寄せるという例が多かった。(記念誌63頁下段) ...続きを見る

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2016/09/25 05:58
公主嶺小同窓誌 第2章 エピソード −1−
 公主嶺小学校は駅の正面にあって、くろずんだ赤煉瓦の大きな青柳(どろやなぎ)の枝間にのぞかせ、楡(にれ)のまばらな生垣に囲まれていた。古色蒼然として、新設校の現代的様式からは、およそ縁遠い非学校的なものであった。(記念誌63頁上段) ...続きを見る

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2016/09/24 05:59
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −14−
 折角満開の桜花も昨日からの風と雨で、まるで雪が舞うように散り始めた。その花弁(はなびら)を両手に受け、私は公主嶺に咲いていた四季の花々を思い出した。(記念誌30頁下段) ...続きを見る

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2016/09/17 06:26
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −13−
 昭和58年8月、公主嶺訪問のバスが旧小学校の門に入ったとき、胸が一杯になり、感無量だった。見上げれば、玄関の左側二階、私達6年生の教室はガラス窓も閉まって、ひっそりしている。(記念誌30頁) ...続きを見る

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2016/09/15 05:50
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −12−
 「柳絮」(りゅうじょ)なんとやさしくなつかしいひゞきをもった言葉だろうか、杳(はる)かな記憶の中のまぼろしの空に、今も柳絮は舞う、舞う、舞う。長い酷寒の冬が過ぎ、大地が一せいに息づく春、柳絮舞う空は、大らかに、おごそかにさえ思われる春の饗宴だった。(記念誌29頁下段) ...続きを見る

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2016/09/14 05:41
公主嶺 「冬に想う」 則次美弥子
 チャンネルを回して、スケートの華麗な演技に見入る。画面に、幼い日に滑っていた自分が重なり、故郷への厳冬の想いが彷彿としてくる。雪が積もると、学校ではリンクの土手づくりがはじまった。 ...続きを見る

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2016/09/13 06:32
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −11−
 父の任地として公主嶺の駅に初めて降りたのは、昭和12年3月15日、そしてこれを書いている今日が昭和62年3月15日。まさに半世紀、50年丁度にあたるのも奇遇とはいえないだろうか。(記念誌29頁) ...続きを見る

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2016/09/11 07:12
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −10−
 ゆっくりと移ろう春も炎天の夏へと入る。見渡す限りのルーサン畑の緑色に、牧舎が点在する畜産、水遊び、魚とりの水源地とプール、コーセン山から転がっておりたときの草いきれ、夏休みの早起きをした林間学校の集い、暑さはアスファルト舗道に照り返していたが、木陰はさらっと涼しかった。(記念誌28頁下段) ...続きを見る

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2016/09/09 06:47
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −9−
 公主嶺の自然は子供心に豊な躍動を与えてくれた。冬はスケートに煤煙で真っ黒になって戯れ転がり、スチームに暖を求め、積雪の夜は深々と更けゆき、白銀世界になった朝は、吐く息も白く、一歩一歩足跡を印してゴム長靴で登校した。 ...続きを見る

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2016/09/08 05:50
「井本 稔さん」関連ブログ 30頁に
 「満洲っ子 平和をうたう」の関連ブログ「井本稔さん」が今回で30件になった。総アクセス数も優に4100を超える。2014年10月20日井本さんが急逝されてはや3年。公主嶺会の重鎮、上野ターミナルホテルの始祖である彼を偲んで、以下まとめを書き記すことにした。 ...続きを見る

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2016/09/07 06:57
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −8−
 この本を作る編集会議で、本の副題が討議されたとき、私は「赤い夕日の公主嶺」を提案したが、ボツになってしまった。月並みだと一蹴されたわけで、そういえば、満州の枕言葉のように使われている。(記念誌27頁下段) ...続きを見る

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2016/09/07 05:59
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −7−
 公主嶺駅には何匹の動物がたかーー。まずだれもが思いう浮かべるのは、大棟(おおむね)の玉を間にして向かいあっていた六対の竜であろう。(記念誌27頁上段) ...続きを見る

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2016/09/06 06:06
公主嶺同窓会誌 第1章 エピソード −6−
 公主嶺の「ロス建て」については資料が乏しく、やっと明治建築研究会の柴田正己先生(堺市立工業学校)から、以下のご教授をうけた。(記念誌26頁下段) ...続きを見る

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2016/09/05 05:32
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −5−
 町はずれのロシア墓地には、子供たちに未知の西欧文明があった。白い大理石の墓標、そこに刻まれた紋章とロシア文字、高くそびえる十字架、軽快な木々の葉かげ、木漏れ日・・・。張りつめた空気までが別世界のもののようだった。(記念誌26頁) ...続きを見る

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2016/09/04 06:09
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −4− 
 町の西の端に「武士道」という地名があった。練兵場の南端に沿って走る細い未知の入り口あたりに「壮烈」と大書した自然石の碑があり、満州事変のとき南嶺で戦死した倉本中隊長の事跡が刻まれた。(記念誌25頁) ...続きを見る

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2016/09/03 05:56
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −3−
とき 1899年 ところ 露都ペテルブルグ 皇帝 マンチュリア(満洲)を軍事占領したあと、どこに防衛拠点を設けたらよいだろうか。(記念誌25頁) ...続きを見る

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2016/09/02 05:33
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −2−
戦前、小久保商行で働いていた樊来祥(はんらいしょう)という老人がいる。樊氏は現在82歳だが、彼から聞いた公主伝説を公主嶺にいる友人、夏雲氏(記念誌を中国語に翻訳した)が伝えてくれた。(記念誌24頁下段) ...続きを見る

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2016/09/01 05:11
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −1−
今から七十年ほど前、公主嶺駅北約2里にある陵は「源義経の墓なり」の伝説を聞いたことがある。悲劇の将、義経は奥州衣川で果てたというのに、なぜかこの人の伝説はロマンに満ちて、とどまるところを知らない。(記念誌24頁上段) ...続きを見る

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2016/08/31 06:04
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −50−
昭和8年、吉林から公主嶺に、教会牧師の中塚さんのご縁で住むことになりました。2,3歳のころ、公園の入り口あたりで私と見知らぬ中国人が歩いているのを、山本時計店のおばあちゃんが見つけました。(記念誌292頁下段) ...続きを見る

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2016/08/24 06:13
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −49−
公主嶺の河南街に興発園という大きな飯館があった。この店の料理は味がいいので、日本人が来客の招待や家族連れで利用し、いつも繁盛していた。(記念誌292頁上段) ...続きを見る

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2016/08/23 06:30
「あのころ」 伊藤 聖さん 語る 満州・公主嶺C
小山司六先生(1909〜1945)は昭和4年4月から13年3月まで公主嶺小学校に在職され、24,32,35回生を担任された。私は直接には教わらなかったが、関係者の名簿を作成しているうちに、終戦の前日に亡くなられていることが気になっていた。(公主嶺会会報 第18号) ...続きを見る

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2016/08/22 06:02
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −48−
白雲寮の近くに住んでいた私は、小学生のころ寮生活をしていらっしゃる先生方のところへ友達とよく遊びに行ったものです。(記念誌291頁上段) ...続きを見る

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2016/08/22 05:20
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −47−
私が公主嶺に行きましたのは昭和10年8月末で、2年生のときでした。父は一年前に渡満していましたので、母が小学校3年の姉を頭に4人の子供を連れて行くのは大変なことで、祖母と伯父が一緒について来てくれました。50年以上も前のことですから長い長い道のりでした。(記念誌291頁下段) ...続きを見る

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2016/08/19 05:17
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −46−
花園町2号地。これは私の生家、鮫島通りに面し公園を背にしていた。明治の末から乳が住みついた所で、公主嶺が満鉄幹線の終点になるとのことで現地除隊をした元気な若者が多勢公主嶺に集まっていた。その後、長春まで延長されるとのことで金泰(きんたい)、森野は長春に移動したと幼いころによく聞かされた。(記念誌290頁下段) ...続きを見る

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2016/08/18 06:30
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −45−
昭和10年ごろ当時、私の家は二軒一棟のロス建てで、隣は大連高女に在学中の竹原さんの家だった。姉さんが寿江さん(24回生)、妹の巳恵子さん(25回生)、その下に富代さん(27回生)の三姉妹の御一家だった。お母さんは色白で、いつもニコニコした顔が優しかった。(記念誌290頁上段) ...続きを見る

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2016/08/17 06:26
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −44−
5年生のときであった。まだよく滑れもしないのにリレーの選手に出され、さかんな声援の中で見事ころんで最後になった恥ずかしい経験。(記念誌289頁下段) ...続きを見る

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2016/08/16 07:07
「満洲っ子 平和をうたう」 HP作成5周年
ブログにリンクしてホームページを立ち上げてから今年で5年目。タイトルはブログと同じく「満洲っ子 平和をうたう」を継承した。戦後71年、傘寿も半ばに達した今。ここに当時の「メッセージ」を反芻してわが思いを新たにし、次代に伝えて行きたい。 ...続きを見る

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2016/08/15 05:58
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −43−
杏の花と柳の綿毛「柳絮(りゅうじょ)」の春。冬は北風の吹くスケートリンクのざわめき。町の様子が生き生きと目の前に広がって、とても和やかな思いに満たされる公主嶺でした。(記念誌289頁上段) ...続きを見る

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2016/08/13 06:26
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −42−
「テツ・カイ・シ・コウ」聞いただけではなんのことだかわからないこの言葉は、鉄嶺、開原、四平街、公主嶺の四つの町が回り持ちで開く陸上競技大会のことでした。当時の子供にとっては、たいへん楽しい行事のひとつでした。(記念誌288頁下段) ...続きを見る

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2016/08/12 05:40
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −41−
五年生のとき香西先生と小山先生に引率されて新京でおこなわれた満鉄各小学校の陸上競技会に参加した。私は400メートルリレー選手の一人だった。あとの三人は、清水幸子、高畑登美子、大友聖子さんだった。(記念誌288頁上段) ...続きを見る

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2016/08/11 05:57
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −40−
島崎が内地の小学校で6年生を卒業させて、渡満の決意をしたのは昭和10年の3月。愛児を失くした放心のときに、大連の教育事務所に勤めていた親戚のすすめもあり、勇躍「吉林丸」に乗った。(記念誌287頁下段) ...続きを見る

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2016/08/10 05:31
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー39−
「・・・幼い交友の思い出としては旧満州(現中国東北)公主嶺尋常小学校時代がある。父の職業の関係で小学校後半を満洲でおくったが、担任の香西新史郎先生に目をかけられ、五年生で新京中学に入学することができた」(記念誌287頁上段) ...続きを見る

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2016/08/09 06:59
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −38−
私は軍人だった父の転勤につれて、小学校を5回変わった。その4回目が公主嶺で昭和10年4月からまる1年間、5年の香西(こうさい)学級いお世話になり、翌年また転校して、最後は九州の大分で小学校を卒業した。(記念誌286頁下段) ...続きを見る

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2016/08/07 06:04
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −37−
父藤山新一の転勤で、奉天一の繁華街にある春日小学校から公主嶺駅に降り立ったのは、6年生の5月ごろだったと思います。奉天とは比べものにならない寂しい駅周辺のたたずまいに、とまどいを感じたことでした。これが私と公主嶺との出会いです。(記念誌286頁上段) ...続きを見る

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2016/08/06 06:22
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −36−
父の待つ公主嶺に着いたのは昭和9年12月も末のことだった。厳冬の公主嶺。古いロス建ての陸軍官舎だった。近くには今まで見たことのないロシア墓地、射撃場などがあった。(記念誌285頁下段) ...続きを見る

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2016/08/05 05:11
「あのころ」 伊藤聖さん 語る 満洲・公主嶺B
手もとに「分水嶺の駅」と題した古い1枚の絵はがきがある。その写真説明を読むと「公主嶺は海抜695尺の高地にあり、此の停車場はロシアが兵站基地を兼ねて設置したのに始まり今日の隆盛をみる」と書いてある。 ...続きを見る

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2016/08/03 05:19
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −35−
連絡船で大連に下船し、新京行きの列車に乗り込んだとき、中国人の発するニンニクの匂いと、未知のところへ行く不安とで、やや気勢をそがれた形。公主嶺へ下車したとき、全部の先生方の出迎えをうけてほっとしました。(記念誌285頁上段) ...続きを見る

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2016/08/02 06:36
「公主嶺小学校史」 中国語訳本 朝日新聞が紹介
日露戦争の1907(明治40)年に南満洲鉄道(満鉄)が創設した旧満洲・公主嶺小学校の校史の中国語訳が出版され、このほど同小同窓会に届いた(朝日新聞夕刊−1991年8月17日付) ...続きを見る

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2016/08/01 05:17
公主嶺 関連ブログ アクセスランキング
テーマ「満洲・公主嶺」に関わるブログ一覧は今回で2度目。ページ数は358、アクセス数は2万5千を超えました。以下はその明細ですが、なにせ膨大な資料、引き続きデジタル化の定着を目指して進めていくつもりです。 ...続きを見る

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2016/07/31 05:06
来ました! 「公主嶺会のご案内」
本格的な夏を迎えるころとなりましたが、皆さまには、ご健勝のこととお慶び申し上げます。さて、例年のように、東京・上野で楽しい一時を過ごしたいと、「2016(平成28)年度公主嶺会」の会場を決めました。ご多用とは存じますが、ぜひご参加くださいますように、ご案内申し上げます。 ...続きを見る

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2016/07/30 08:56
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −34−
公主嶺にはこれといった川がなかったが、町の北西に「朝鮮ダム」と呼ぶ釣り場があった。川の名も知らないし、ダムがどこにあったのか確かめたこともなかったが、朝鮮ダムといっていたことだけは覚えている。(記念誌284頁下段) ...続きを見る

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2016/07/30 05:14
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −33−
昭和7年に発足した少年団体は5年6年と高等科からの募集であった。私は5年生になった昭和9年に入団た。つばの広い帽子、緑のネッカチーフ、腰のロープ、ジャックナイフ。何か素晴らしいことが起こるようでわくわくしたものである。(記念誌284頁上段) ...続きを見る

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2016/07/28 06:32
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −32−
隊長官舎に付いている大きなベルが、毎晩のようにけたたましく鳴り響く。すると、家中がとび起きて父の身支度を手伝い、送り出すのです。父は兜のような火除けの帽子をかぶり、助手席にとび乗ると発車。あっという間の出勤です。(記念誌283頁下段) ...続きを見る

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2016/07/27 06:01
DVD『満洲公主嶺〜』作成の裏話 土屋洸子 
これまでに公主嶺関連のメモリー三部作のうち「記念誌」「写真集」はすでに書いた。ここでは最後のDVD『満洲公主嶺ー百年の変貌』と労作・「中国語への翻訳誌」作成の裏話について書き記したい。先ずは映像を編集した杉山兼弘さん、翻訳に携わった中国人・夏 雲さんに登場願おう。 ...続きを見る

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2016/07/26 06:08
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −31−
公主嶺に長年住まわれた人でも、こんな場所があったことを知らないのではないでしょうか。公主嶺の西、武士道の一番奥の守備隊の真ん前にあり、昭和8年創立の小さな部隊、それが軍用鳩育成所で、父の勤め先でした。(記念誌283頁上段) ...続きを見る

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2016/07/25 06:39
満洲・公主嶺 「中国の旅」 服部一男
1970年6月の1号から2008年3月の53号まで発行された会報「満洲 公主嶺」。散逸する恐れがあるため全号を合本にした大冊が手元にある。時折引き寄せ、当時をしのんで一人感慨にふけている。で、そんな中から気にとまった記事を順次披露していきたい。 ...続きを見る

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2016/07/24 05:36
「あのころ」 伊藤聖さん 語る 満州・公主嶺A
公主嶺の給水塔ーーそれはあの土地につながる思い出の象徴的な存在であった。私たちのあの時代が再びかえってこないと同様、あの塔も戦火に失われてしまって、もう見ることはできなくなってしまった。かぎりなく懐かしい存在として、私たちの追憶のなかにしか残されてはいないのである。 ...続きを見る

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2016/07/23 06:00
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −30−
私は公主嶺小学校に1年生の終わりか2年生の初めごろ、転校してきました。4年生までは体が弱く欠席ばかりで、まともに通学した記憶がなく、やっと4年生の終わりごろから丈夫になり、欠席も少なくなりました。(記念誌282頁下段) ...続きを見る

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2016/07/22 06:13
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −29−
5年生になると遠足は本格的に遠出となる。5年以上高等科と合わせて公主廟に行くのがきまりだった。まだ治安が悪く、匪賊への警戒もあったのか、騎馬の警察官が前と後ろに5人ほどついて行った。(記念誌282頁上段) ...続きを見る

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2016/07/20 07:02
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −28
私が小学校に入学する昭和5年の3月に父高次郎は死去した。弟の悟郎はまだ4歳であった。母春子は当時18歳の長兄正二の手助け、それに忠実でよく信頼してくれていた中国人の従業員の協力を得て、父の事業を継続し、男5人、女2人の私たち7人の子供を育て上げてくれた。(記念誌281頁下段) ...続きを見る

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2016/07/19 06:01
「あのころ」 伊藤 聖さん 語る 満洲・公主嶺@
旧満州公主嶺小学校同窓会の会報集が手元にある。第1号(1970年)から53号(2008年)までの会報を合本・縮刷したものである。その中から主筆だった伊藤聖さんが、折にふれて綴った公主嶺に関する随想や解説をテーマ別にシリーズで転載することにした。いずれも関係者にとっては珠玉のメモリーだ.。 ...続きを見る

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2016/07/18 06:02
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー27−
冬の思い出として、毎年12月14日に義士祭が学校行事として行われました。厳冬の夜道を敷島台の忠魂碑まで雪中行軍をするものでした。1時間余りの行軍を終えて帰校すると、冷え切った身体、歌い疲れた喉を癒してくれる熱いアメ湯が待っていました。あのときのおいしさが忘れられません。(記念誌281頁上段) ...続きを見る

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2016/07/17 05:19
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −26−
旧校舎講堂の右側に衛生室があった。部屋は普通教室より広かったように思えた。ここで人工太陽灯の照射をうけた。ドームのような照射室にパンツ一枚で入り、紫外線よけの遮光メガネをかけ、戸外の寒さを忘れて、その暖かい光を浴びたものである。(記念誌280頁下段) ...続きを見る

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2016/07/14 05:14
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −25−
3,4年組と称する養護学校に私は二年間御厄介になった。担任は大塚先生で、4年生の授業中は3年生が自習。3年生が授業のときは4年生が自習という、よく見かける文教場のような風景であった。一年違いの兄とは同じ教室で勉強したこともある。(記念誌280頁上段)  ...続きを見る

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2016/07/13 05:29
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −24−
58年夏、公主嶺公園を再訪した。動物や鳥小屋は残っており、神社は鳥居だけ建っていた。ふと子供のころの夏祭りのことが頭の上を通り過ぎた。(記念誌279頁下段) ...続きを見る

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2016/07/12 06:08
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −23−
鉄道北の飛行隊に行く道のそばに橋立町警察官派出所があった。その付近に満洲電業の社宅が警察官長屋に沿って一列に並んで居たと思う。確か木下町3丁目だったと思うが、そこに変電所の冷却地があって、危険防止のため針金が張りめぐらされていた。(記念誌279頁) ...続きを見る

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2016/07/11 07:24
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −22−
長い冬が終わると、新緑のころの満洲の草木には日本とは違った美しさがあったと思う。当時は家庭では草花が栽培されていなかった時代であったのか、農事試験場のルーサン畑は僕たち子供の夢であり、遊び場であった。(記念誌278頁下段) ...続きを見る

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2016/07/09 05:56
PHOTO FROM HIROKO TUTIYA
先だって開かれた満洲・公主嶺小学校第37回生の同期会。当日撮った記念の集合写真が幹事の土屋洸子さんから送られて来ました。総勢11名。終戦時が13歳だから今年は○○歳! とてもとてもその年齢には見えません。笑みさえ浮かべる若々しさです。 ...続きを見る

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2016/07/08 05:56
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー21−
「我が家には大きな杏の木があった。幼き頃よく登っては甘酸っぱい実を食べたものだった。枝から遥か東に青い山が望まれた。広野に生まれ、山を知らない私は、そこにどうしても行って見たい憧れを感じた。 ...続きを見る

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2016/07/07 06:26
公主嶺小37回同期生 往復の写真書簡
「前略 先日は久し振りに楽しいひとときを過ごしました。永井さんが体調次第で、・・・とのことでしたがお逢いできて良かったです。公主嶺小時代の写真お送りします。来年も元気で参加したいと思っています。永井様 田口」 ...続きを見る

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2016/07/05 06:39
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −20−
大楡樹には鉄道員や農事試験場など満鉄社員家族が12軒、あとは中国人の家族でした。これらの人を守るため、公主嶺の守備隊から、7,8人ずつ交代で分遣隊に兵隊さんが来ておられました。(記念誌277頁下段) ...続きを見る

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2016/07/04 06:15
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピーソド −19−
まだまだ治安の悪いときのことだった。満州事変後、日本人は何時襲撃されるかわからない不安のなかで日々を過ごさなければならないような時期があった。(記念誌77頁上段) ...続きを見る

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2016/07/02 06:38
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −18−
試験勉強で遅くなり、凍った道をつるつる滑りながら家路を急いだ六年生の冬、家々の煙突からモクモク吐き出される黒い煙と、夕モヤに黒ずんだ空の向こうに沈みゆく真っ赤な夕日、夕焼けの空を覆う真っ黒な鴉の大群、冬が訪れるたびに、私にはこの情景が蘇ります。(記念誌276頁下段) ...続きを見る

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2016/07/01 06:14
「満洲っ子」ブログ 一覧 16・6現在
「満州っ子 平和をうたう」ブログ、2016年6月30日現在のブログ・アクセス・ランキングを紹介します。順位は先月と変わりはないが、着実に伸ばしているAの「淡谷さん・・・」、Bの「なかにしさん・・・」、そしてHの「俺の言葉・・・」が注目されます。 ...続きを見る

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2016/06/30 05:44
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −17−
戦線が遠のいて、公主嶺が元の静かな街に戻った。昭和7年の1月ごろだった。キリスト教会の日曜学校で衛戍病院を慰問することになった。出し物は他愛もない桃太郎物語だったが、退屈している兵隊さんにはとてもよろこばれたようだった。(記念誌276頁上段) ...続きを見る

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2016/06/29 06:20
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー16−
杏の花で有名な郭家店から汽車で6年間、公主嶺の小学校まで通学した。汽車通学には、列車時刻が大きく日常生活に影響した。授業に遅刻したり、帰宅が遅くなったり、自由時間が制限されたりの日課が宿命だった。(記念誌275頁下段) ...続きを見る

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2016/06/27 06:09
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −15−
3歳のときから、6年生を卒業するまで、郭家店で暮らしました。一年生に入ったときから、公主嶺小学校への汽車通学が始まります。郭家店、蔡家、大楡樹、公主嶺と、卒業するまで、あの連京線のお世話になりました。(記念誌275頁上段) ...続きを見る

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2016/06/26 05:57
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −14−
私の父は南満州鉄道株式会社に勤務しておりました。日露戦争のとき従軍兵として、乃木将軍と共に兵隊さんに交じって鉄道をひくために満洲に渡ったと聞いております。大連から奉天、四平街、公主嶺と鉄道線路を改修しながら進んだそうです。(記念誌274頁) ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/25 06:14
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −13−
小学校に入学してから卒業するまでの丸6年間、大楡樹から汽車通学をいたしました。そのころは一日の列車本数うがごく少なく、始業時間に間に合う列車がなかったのでしょう。(記念誌274頁上段) ...続きを見る

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2016/06/23 06:20
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −12−
在留日本人の親善を図ることを目的とした親善野球大会が、当時の公主嶺では非常に盛んであった。チーム名は忘れたが、駅・機関区の満鉄チーム、商店関係の実業団チーム、その他警察、守備隊、地方事務所などのチームが、毎年春秋二回、公園の野球場で対抗試合をして、平素の練習の成果を競い合っていた。(記念誌273頁下段) ...続きを見る

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2016/06/21 06:09
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −11−
小学校4年から6年にかけて、郭家店から公主嶺へ汽車通学をしていた。汽車の便がわるく、貨物列車の後尾の車掌車に便乗することも度々あった。低学年生には、乗り降りが大変だった。公主嶺まで、蔡家、大楡樹に停まり、約1時間かかった。(記念誌273頁上段) ...続きを見る

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2016/06/20 05:45
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −10−
公主嶺と四平街の中間にあった郭家店(かっかてん)には杏(あんず)の花の咲く公園がありました。蒙古のパプチャプ将軍が進軍中、駒を休めて杏の花を眺め、以来そこがパプチャプ公園と名づけられたとのことです。(記念誌272頁下段) ...続きを見る

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2016/06/18 05:41
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −9− 
炎天下に1・5センチくらいの牛糞球を二匹が前になり後になり、協力しながら転がしてゆく、おなじみの小さな黒い甲虫--。昭和6年の夏に阿佐ヶ谷に帰り。一年くらいたつと昆虫好きの仲間も出来、あの虫がそんなに内地では珍しいものだったのか、と再認識させられた。(記念誌272頁上段) ...続きを見る

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2016/06/16 07:17
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −8−
「ああ南嶺三十八士」の無言の凱戦を迎えたころから、われわれの遊びは戦争ごっこ一色になった。天気さえよければ、泰平橋を境として町側と宮舎側に分かれての戦いに明け暮れたのである。 ...続きを見る

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2016/06/15 06:17
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −7−
その日は郭家店に慰安車が来る日だった。慰安車は二両編成で、一両は日曜雑貨品などを販売、一両は座敷車で映画の上映などをした。中間駅に住む人達にとっては、年に一度の楽しいお祭りの日だった。(記念誌271頁) ...続きを見る

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2016/06/13 05:35
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −6−
公主嶺駅構内の東寄りに、駅を警備する独立守備隊の詰め所があり、兵隊さん達が駐屯していた。ここには守備隊の上官が毎日巡回して来ていたのだろう。私はその上官の当番の兵隊さん可愛がられ仲良しになった。(記念誌270頁) ...続きを見る

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2016/06/12 06:27
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −5−
昭和6年ごろ住んでいた私の家は水源地と和田牧場に近い泉町の郵便局官舎で、ロシア建てのだだっ広い殺風景な家だった。裏は広い畠で、それに続いて広いグラウンドがあり、その先には満鉄の白雲寮の白い建物が見えていた。(270頁上段) ...続きを見る

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2016/06/10 05:52
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −4−
いたずらをすると「馬賊にやるぞ」とおどかされ、「チョ−サクリン、チョーガクリョウ」等の名前も聞き覚えた昭和4、5年ごろから、満洲各地の土匪の跳梁が何となく活発化する気配が感じられた。(記念誌269頁) ...続きを見る

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2016/06/08 05:55
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −3−
昭和6年9月19日の明け方、私は地の底からひびいてくる大勢の足音に目覚めた。それはザックザックザックと整然とした、そしていつまでも続く軍靴の音だった。力強い響きだったが、異様な恐ろしい体に伝わるようだった。 ...続きを見る

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2016/06/07 06:05
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −2−
私の満洲での思い出といえば、何といっても満州事変のことである。その当時は小学校1年生であり、しかも家が河南の中国人街のちかくにあった。時刻は忘れたが、突然、匪賊の襲来を受けたことがあった.。(記念誌268頁) ...続きを見る

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2016/06/06 06:31
戦後71年 「平和の俳句」 −23−
6月に入っての第1週の「平和の俳句」。東京新聞は、今月から加わったゲスト選者の女優・中江有里さん(42)がレギュラー選者の金子兜太(96)、いとうせいこうさん(55)との選考会でのやりとりなどを6月1日づけ「社会面」に掲載している。記事は矢島智子記者。 ...続きを見る

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2016/06/05 06:01
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −1−
私の生涯で恐ろしく忘れることの出来ないのは、昭和6年9月18日の満洲事変の前夜である。夜、床についてすぐだったと思う。パンパンという銃声が聞こえ、私と妹はすぐ枕元にあった洋服に着替えた。父橘十一郎が何やら出て行く様子、母が慌てて止める。 ...続きを見る

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2016/06/04 04:37
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −始ー
これまで、公主嶺同窓会誌10、9、8章のエピソードを全て掲載してきたが、これからは、さかのぼって第7章に入る。第7章は昭和6〜7年頃の公主嶺の姿である。この時代、第一に俎上に上るのは何といっても6年9月18日の「満州事変」だ。そして僕の生まれはその翌年昭和7年の4月。 ...続きを見る

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2016/06/03 06:44
2016年 公主嶺小37回生同窓会
四月に救急車で搬送され、2週間入院するなどして体調が今ひとつの僕。今年の同期会は無理かなと一時は思ったものの、子どものころの、ましてや満洲の思い出に侵れるこの機会は逃せないと、タクシーで向うことにした。 ...続きを見る

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2016/06/01 06:15
「満洲っ子 平和をうたう」ブログ 一覧
前回の一覧は3月30日。私の入院などあって12日間が空白で、投稿数も従来より少なくなっている。それでも頁数はプラス45、アクセス数も7千を超えた。以下にその一覧を表示する。 ...続きを見る

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2016/05/31 06:37
2016年 公主嶺小37回生同窓会 
年に1回、待ちに待った旧満州公主嶺国民学校(今の小学校)の37回生の同窓会が昨日、上野ターミナルホテルで開かれました。80歳を超えたというのに旭川や新潟からの参加者もあって、終始和気藹々、時の過ぎるのも忘れて話しに花が咲きました。 ...続きを見る

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2016/05/29 08:40
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード 終
シリーズ「満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード」が69本でようやく終わった。スタートが2月9日であるからおおよそ3ヵ月半余り。よくもまあ、との感慨深いものがある。このシリーズに踏み切った思いは私にはそれなりにあった。 ...続きを見る

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2016/05/26 06:13
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −69−
スケート場への注水は一般家庭の水道使用時刻をさけて、午後7時から消火用ホースで始める。初日に思い切ってたくさん注水すると、水温で地表の凍結が解けて、せっかくの水が全部地中にしみこんでしまうので、ころ合いを見計らいながら次の注水を継続することになる。(記念誌373頁下段9 ...続きを見る

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2016/05/23 05:43
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −68−
九月下旬に柳の葉が散り尽くしたかと思うと、10月10日ごろには必ずといってようほど小雪がばらついて、ながい冬の到来を告げる。(記念誌373頁上段) ...続きを見る

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2016/05/22 06:09
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −67−
どろ柳の陰になった赤煉瓦の舎(いえ)/パテの剥げかかった窓枠と/地下の暖房室への黒い鉄の手摺り/ところどころアーチ型をした白い壁/拭いたあとの床が濡れて光っている/そんな情景が 潤いをもって 夢のように瞼に浮かんで来ます(記念誌372頁上段) ...続きを見る

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2016/05/21 06:05
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −66−
寒い北風吹いたとて/おじけるような子どもじゃないよ/まんしゅうそだちのわたしたち/それに雪さえ降ったとて/たまげるような子どもじゃないよ/まんしゅうそだちのわたしたち(満洲小学唱歌三年・記念誌372頁下段) ...続きを見る

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2016/05/20 05:51
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −65−
菓子は池田パン店の味つけパン(サンライス)、藤井菓子店の宇治金時、文化饅頭(まんとう)、駅構内売店の車輪型あん入り焼き饅頭、郭家店のお花見での醤油をつけた焼きダンゴ。(記念誌371頁上段) ...続きを見る

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2016/05/19 06:44
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −64−
鮫島通りのつき当たり中国人街の入り口、鮫島橋を渡ると中華飯店の興発園があった。その手前には数軒の食料小売店があったが、店頭に置いてある白い包子(パオズ=肉まん)にハエが群がって、まるでおはぎのようにみえたのには驚いた。大陸的というか、中国人はあまり気にしない。(記念誌370頁下段) ...続きを見る

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2016/05/18 07:07
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −63−
地方事務所長の主催であったと思うが、すごく上天気な初秋の一日、農事試験場の広大な草原の一隅に、大きな天幕を張りめらして、学校職員と全家族、幼稚園の先生たちでジンギスカン料理を食べた(記念誌370頁上段) ...続きを見る

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2016/05/17 06:51
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −62−
楠町にあったロシア帝政時代の劇場の廃屋が、ずっと後、製氷会社となるまでの間、しばらく無人の時代があったこの大きである。な建物のうしろには数本の楡の大木が高く茂り、屋根には草が生い立ち、庇(ひさし)の下ではいつも鳩がクウクウと鳴いていた。 ...続きを見る

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2016/05/16 05:34
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −61−
父と共に、心配とチョッピリの期待に胸をふくらませて、公主嶺小学校の門をくぐったのは、昭和15年9月の初めでした。5年女子組の古谷先生に連れられて教室に入りました。(記念誌369頁上段) ...続きを見る

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2016/05/15 05:40
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −60−
父が公主嶺の消防隊長を退職し、住みなれた官舎からぐっと小さな家に引っ越したときの話です。その家のお風呂は、話には聞いたことがある五右衛門風呂でした。(記念誌368頁上段) ...続きを見る

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2016/05/14 05:48
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −59−
あれは三年生の秋だったろうか。私たちの担任は大和田先生だったが、ある日の放課後、他の先生から(お名前は思い出せない)「大事なものを撮ってきたから、ちょっと手伝ってくれないか。先生が合図したら、黒いカーテンをあける役目をしてくれ」。(記念誌367頁下段) ...続きを見る

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2016/05/12 06:56
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −58−
昭和14年の秋のころだったか、講堂のステージの緞帳(どんちょう)がなくなった。大騒動になったことがある数日後憲兵隊から、学校から盗み出したといっている盗賊を逮捕し、緞帳も押収してあるから取りに来るようにと連絡があった。(記念誌367頁上段) ...続きを見る

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2016/05/11 06:26
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −57−
「お前のチンチンどれーくらい」---ふくよかな体つきのオケラが、考えあぐねたように静止して、前肢を釣り人が魚の大きさを自慢するような仕草をすると、子供の歓声が一段と喧(かしま)しい。(記念誌366頁下段) ...続きを見る

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2016/05/09 05:29
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −56−
陸軍官舎の私の家からは遮るものは何一つなく、敷島台の広がりを一望することができた。そして子供心に地平線のその果ては、ずいぶんと遠いところなのだろうと思っていた。(記念誌366頁上段) ...続きを見る

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2016/05/07 05:44
旧満州・公主嶺小 37回生の皆さまへ
この5月28日に旧満州・公主嶺小学校37回生(昭和7〜8年生まれ)の同窓会が開かれます。このことは既に案内をいただいていましたが、当日の出欠状況と友人たちの消息が重ねて知らされてきました。この会の幹事さんの心遣いがほんとうに嬉しい。以下はその便りです。 ...続きを見る

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2016/05/05 05:35
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −55−
いまの子供たちと違って私が小学生のころは「よく学びよく遊べ」ではなく、学校から帰るとひたすら遊んだものです。陸軍官舎の入り口の鉄道に沿ったところにあった小高い丘は、子供たちの格好の遊び場所で、雨や雪でないかぎり、毎日のように遊びに行ったものでした。(記念誌365頁下段) ...続きを見る

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2016/05/04 06:24
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −54− 
ノモンハン事件が起きたのは私が4年生の夏のことでした。深夜、サイドカーの音がして菊地町のわが家に止まり、父があわただしく出動していくのを見送りました。(記念誌365頁上段) ...続きを見る

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2016/05/03 06:04
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −53−
冬のスポーツといえば、満州でスケートは唯一の屋外の運動で、冬が近づいてくると楽しみで、スケート場が出来るのが待ち遠しいものでした。(記念誌364頁下段) ...続きを見る

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2016/05/01 07:12
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −52−
冬の花形はやはりスケートだ。私はスケートを幼稚園時代からやっていて、得意だった。旧校舎の薄暗い廊下で、かじかんだ手をこすりながら、8の字にスケートを研いだり、靴の紐がほどけなくて、スケートのまま家に帰ったことなど、懐かしい。 ...続きを見る

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2016/04/30 06:59
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −51−
2年生か3年か、記憶は定かではないが、ある夏の日に学年全員が学校に泊まる行事があった。各自が毛布や歯みがきなどを自参し、親たちが校庭で作ったサツマ汁を、外で食べる。そして、講堂で全員毛布にくるまって寝ることになっていた。(記念誌363頁下段) ...続きを見る

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2016/04/29 06:02
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −50−
昭和13年11月18日5時半、公主嶺小学校創立31周年記念学芸会が、講堂で始まりました。私が2年生のときです。(記念誌363頁上段) ...続きを見る

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2016/04/27 05:41
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −49−
畜産試験場。引込み線を越えると、赤煉瓦の建物が点在し、木陰に中国人がのんびりと、これも仕事のうちと遠くに草を噛(は)む羊にものうげな目をやり、また雲の行方でも見定めるように、ひっくり返る。(記念誌362頁下段) ...続きを見る

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2016/04/26 06:40
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −48−
霞町の我が家の裏庭越しに、帝政ロシア時代の劇場の廃屋があった。この建物の楠町小公園側、東方角の高窓のある一室に、馬冠標先生という東京文理大学出身の満洲建国大学教授が、日本人妻とひっそり暮らしておられた。(記念誌362頁上段) ...続きを見る

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2016/04/25 06:22
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −47−
列車が公主嶺駅を出て北へ向かうと、すぐ右側に草原が広がる。さらに北側に位置して、各部隊の練兵場がある。その一角に立ってみても、子供の視線の高さでは全体が見えないが、実際は水たまりや丘などの起伏に富んだ地形である。(記念誌361頁下段) ...続きを見る

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2016/04/24 06:21
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −46−
学校からの帰り道だったのだろうか。夏草の蒸れるような繁みを通り抜けて、線路ぎわに辿りつく。特急アジア号が、あっというまに近づき、轟音を残して飛ぶが如くに去る。(記念誌361頁上段) ...続きを見る

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2016/04/22 05:13
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −45−
昭和13年7月31日、単身で6月に軍経理部技師長として赴任した父のあとを追って、家族一行8人夕闇の公主嶺駅に降り立った。小学3年生の私の第一印象は、満洲は寒いと聞かされていたがそうでもないな、ということだった。 ...続きを見る

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2016/04/21 06:06
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −44−
霞町3丁目から西北に伸びて練兵場に向う林の道、それは忘れもしない「武士道」であった。この道入り口の左側に高さ約1メートル、幅約30センチほどの石碑が建てられていた。(記念誌360頁上段) ...続きを見る

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2016/04/19 07:55
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −43−
公主嶺駅を出て左に足を向けると、なだらかなアスファルトで舗装された坂が伸びている。市街地へ行く跨線橋としての泰平橋につながる。父が満洲勧業銀行に勤めており、桜町の社宅に住んでいた。(記念誌359頁下段) ...続きを見る

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2016/04/18 05:36
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −42−
家が桜町で高野山のお寺をしていた関係で、年中行事にもそれぞれの思い出がある。なかでも節分とお盆はその感が強い。年が明け節分の二、三日前になると、大豆を沢山いり、福豆袋に入れて約200個分を用意する。(記念誌359頁上段) ...続きを見る

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2016/04/16 12:31
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −41−
公主嶺駅をへだてた一角に、ロシア建ての構内食堂があり、私はここを経営していた伯父井本賢治夫妻から父母同様に可愛がられた。この食堂は駅員や満鉄関係の方々が利用されていたらしい。(記念誌358頁下段) ...続きを見る

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2016/04/04 05:53
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −40−
朝鮮ベースの呼び名が、なぜ「チョッコンベース」に変わったのか。多分、朝鮮語の「チョッコンカマイソ」からの転化であろう。楊柳の小枝、40センチの打棒と15センチほどの飛棒をとりそろえ、船形の小穴を掘れば準備完了.。 ...続きを見る

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2016/04/02 07:35
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −39−
あるとき、垣見三吉君がだれに聞いたのか、給水塔にコウモリが居るらしいといってきた。僕は駅の助役の景山弥之助さんに頼んで入れてもらった。なかは薄暗く、ラセン状の階段がついていた。(記念誌357頁下段) ...続きを見る

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2016/04/01 05:56
満洲・公主嶺小 37回生の37回同期会のお知らせ
「桜の便りが聞かれるころとなりましたがその後いかがお過ごしですか。下記のように『37回生同期会』を開きまので、ご多用とは存じますが、皆さまのご参加をお待ち申し上げます」とのご案内を幹事の栗林重夫、土屋洸子さんからいただきました。 ...続きを見る

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2016/03/31 06:01
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −38−
昨年の同窓会の二次会で、伊藤聖君、一昭君らと敷島台でリスを追いかけた話をしたらしく、それを書いてくれという。確かに夢中になってしゃべった覚えはあるが、ディテールは一切ぼんやりしていて、ぴょんぴょん逃げるリスの姿がみえるだけだ。(記念誌357頁上段) ...続きを見る

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2016/03/29 06:33
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −37−
新校舎の体育館は色々な体育施設が設置されていた。跳び箱・鉄棒・肋木・平均台等々。体操の時間には山口先生がこれらの器具を使って演技を指導された。跳び箱は三段ぐらいの低いところから始め、次第に五段、六段と高さを上げていき、私達も新しい高さに懸命に挑戦した。(記念誌356頁下段) ...続きを見る

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2016/03/28 06:50
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −36−
満洲の春はおそいが、急に暖かくなる。六年生の5月に郭家店(かっかてん)へ杏の花見の遠足があった。郭家店は公主嶺から南へ大楡樹(だいゆじゅ)、蔡家(さいか)と三つ目で、汽車で40分、まわりに小さい山が多く、平地の少ない町である。(記念誌356頁) ...続きを見る

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2016/03/26 07:03
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −35−
私の住んでいた陸軍官舎は、前が畜産の放牧地の広場で、羊の大群が時々官舎の庭までぞろぞろ入って来たので、そのたびに門を閉めなければならなかった、父が花を作るのが好きで、庭にはいつも美しい花が咲いており、羊に食べられないように注意しなければならなかったからである。(記念誌355頁下段) ...続きを見る

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2016/03/25 06:09
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −34−
今年還暦を迎えた私は、ジーッと鏡を見つめている。前歯だ。そこには50年前、公主嶺小学校新校舎移転時の、腕白時代の記念品が残っている。(記念誌355頁) ...続きを見る

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2016/03/24 06:21
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −33−
航研機が無着陸長時間飛行の世界記録を樹立したのは昭和13年5月のことであった。前年には神風号が東京ーロンドンの間の飛行時間で記録を樹立したこともあって、航空日本の誇りが私達少年の胸にも急激に高まっていた。(記念誌354頁) ...続きを見る

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2016/03/22 07:06
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −32−
新校舎へ移って、すべてが新しく設備も立派だったし、教室も相当余裕があった、いろいろ特別教室が出来ていた。地理教室はの中の印象は残っていないが、歴史教室では、大きな青龍刀や紅槍匪の槍があったのを覚えている。(記念誌353頁上段) ...続きを見る

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2016/03/20 05:28
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −31−
公主嶺に佐竹という駅長がいた。俺は鉄砲撃ちの名人だと、いばるほどの名人にふさわしいきじ撃ちの達人だった。土曜から日曜にかけての遠出のきじ撃ちは大したもの、ちよっと出かけて麻袋に一ぱい獲って来ることは珍しい事ではなかった。それほどきじの多いところでもあった。(記念誌353頁下段) ...続きを見る

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2016/03/19 05:42
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −30−
みんな率直で明るく、気持ちのよい生徒ばかりだった。六年間の教育経験をもちながら、指導技術も何もなく、ただ血気と熱意だけを頼りにしているような自分を省みて、いつもみんなに済まないと思っていたが、クラスの雰囲気がのびのびとして、活気に満ちているのが何よりも嬉しかった。(記念誌353頁上段) ...続きを見る

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2016/03/18 06:18
土屋洸子さん 関連ブログ投稿数 200超え
ブログ・「満州っ子 平和をうたう」に掲載している土屋洸子さん(旧満洲。公主嶺小学校同窓会の事務局長)関連の投稿数が200件に達し。総アクセス数も一万回を超えています。以下アクセス数のベスト12を紹介しましょう。 ...続きを見る

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2016/03/17 06:15
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −29−
中国との不幸な戦争が始まって、公主嶺からも機械化兵団が北支へ出動して行った。太源陥落の旗行列など戦勝の一方で、無言の凱旋があり、私たち三年生以上は公主嶺駅に英霊を迎える日もあった。(記念誌352頁下段) ...続きを見る

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2016/03/16 10:03
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −28−
小学校の講堂での学芸会についての思い出は、とても強烈だった。50年経った現在でも、脳裏に鮮明に焼きついている。これは単に小学校の年中行事の一つというだけにとどまらず、公主嶺在住の日本人全員、さらには駐屯する陸軍将兵にとっても、大きな楽しみであった。(記念誌351頁下段) ...続きを見る

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2016/03/15 05:26
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −27−
真夏のギラギラした太陽の下での練習は辛かった。色の白い男前の大西先生の顔が、眼鏡の奥で鬼のように見え、他の級友が呑気にプールで泳いでいるのが羨ましかった。(記念誌351頁上段) ...続きを見る

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2016/03/14 05:56
写真集「満州公主嶺」第一部 回想の公主嶺 −4−
旧満鉄・連京線(大連⇔新京)の公主嶺。駅をはさんで北西側は官公庁と住宅が立ち並び、南東側は商店街が軒を連ねていた。地元の中国人街は遠く離れたところに雑居していた。このページはその北西側の駅前通り(泉町)の写真5葉である。 ...続きを見る

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2016/03/12 06:34
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −26−
昭和10年ごろから公主嶺は建設ブームになった。膨張する軍隊の受け入れのため、軍官舎が続々と建ち出した。官舎建設予定地のあたりは、苦力の仮宿舎アンペラ小屋が沢山あり、建築資材を運ぶトラックが出入りして、活気があった。(記念誌350頁下段) ...続きを見る

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2016/03/11 06:18
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −25−
昭和10年から小学校新校舎の建設が始まり、南満工専付属の工業学校を卒業したばかりの私はオヤジの助手として竣工までの三年間苦労をともにした。 ...続きを見る

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2016/03/10 06:16
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −24−
天野良治先生は昭和11年4月、郷里の山梨から公主嶺小学校に単身赴任された。高等科一年、二年を継続して担任されたのち、昭和13年度には当時4年生だった33回生以上の音楽を受け持たれた。(記念誌349頁上段) ...続きを見る

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2016/03/09 06:48
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −23−
松本先生は剣道二段で堂々たる体躯をされていた。公主陵へ遠足の途中、護衛の警官の小さな支那馬に先生が乗られたら、馬が閉口して、いくら尻を叩いても全然動かなったのに、軽い岩森先生が乗られたら、すぐに動き出したので、皆で大笑いをした。(記念誌349頁下段) ...続きを見る

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2016/03/08 05:45
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −22−
昭和12年9月19日、小生の誕生日の早朝、公主嶺の地に第一歩を記した。気のせいか、少々寒さを感じる。父の転勤で転校しなければならなかった。朝もやのかかった広々とした大地、きれいな空気、なんとなく狭く圧迫感のある大連と比べると、広々として全く違った印象。(記念誌348頁下段) ...続きを見る

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2016/03/07 07:13
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −21−
私は小学校を卒業する迄の6年間に、七回も転校していますので色々な思い出が交錯しています。昭和12年4月に開原小学校から公主嶺小学校に転校しました。担任は古谷先生でした。(記念誌348頁上段) ...続きを見る

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2016/03/05 06:51
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −20−
白雲寮は鉄北地区楠町二丁目の西にあり、満鉄社宅と共に、地方事務所管轄の満鉄社員の独身寮であった。寮の前は広い草原になっていた。(記念誌347頁上段) ...続きを見る

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2016/03/04 07:05
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −19−
「夏が来れば思い出す」の歌の尾瀬沼、そして日光いろは坂につながる奥利根の山また山の片品村に生まれ育つ。学生生活は群馬県女子師範学校第一部。(記念誌346頁下段) ...続きを見る

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2016/03/03 05:30
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −18−
小学校時代を公主嶺ー廣島ー東京と転校した私にとって受け持ちの先生は11人になるが、戦後にその消息が判明してお目にかかれたのは、公主嶺小学校での一年生と二年生の受け持ちの先生だけだった。お二人とも女の先生というのも珍しい体験だろう。 ...続きを見る

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2016/03/02 06:32
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −17−
昭和9年から13年まで公主嶺小学校で教鞭をとった荒井 翠先生。34回生の大橋道男さんがこのシリーズ(352頁「幼き日の二人の先生」)で、先生に寄せる甘い思いを書きつづっている。先ずそこから始めよう。 ...続きを見る

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2016/03/01 06:19
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −16−
大陸ならではのスケールの大きな入道雲や雷鳴や稲妻に感嘆していた夏も終わり、ポプラ並木が黄ばみはじめて秋が深まる。空は限りなく青かった。(記念誌345頁下段) ...続きを見る

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2016/02/29 05:54
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −15−
橋立町の陸軍官舎の前は、農事試験場に続くひろびろとした野原だった。夏の夕食後など、家族づれ浴衣がけでそのあたりを散策することも多かった。そんな折、高射砲隊の夜間演習に出逢うと、私達は時の経つのも忘れて、それを眺めていたものだ。 ...続きを見る

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2016/02/28 06:19
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −14−
小学校を卒業する年、昭和11年の2月に、いわゆる二・二六事件が起きた。そして日本内地だけでなく、満洲でも、関係者の検挙が相次いだ。佛心寺に足繁く通っていた正二兄は捕らえられ、思想犯として新京の刑務所に収容された。新京商業の入学式の後、母に連れられて刑務所に兄を訪ねた。 ...続きを見る

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2016/02/26 09:53
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −13−
私が公主嶺駅の助役をしていたとき、どういうわけか、寺倉部隊の将校2,3人が何回も私を訪ねて来て、部隊の将校集会所に話に来るように誘った。そこで行くことを約束していた。ところが、昭和10年の暮れに、急に新京駅に転勤が決まったため、約束を果たせなかった。 ...続きを見る

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2016/02/26 05:41
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −12−
支那事変の始まるまでは公主嶺も比較的のんびりしていたように思うが、その後段々と戦時体制に入っていった。秩父宮殿下が公主嶺に来られたのは昭和12年ごろであったろうか。父が飛行隊で爆弾についてご進講申し上げることになり、当日の朝、家で講話の予習をしていたことを覚えている。 ...続きを見る

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2016/02/25 07:08
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −11−
私が公主嶺に転校したのは3年生の春で、もうスケートの季節は終わり、蒙古風がこまかい黄砂を運んでいた。それまでスケートを滑ったことがなかったし、人一倍寒がりであったので、十月になると冬など来なければよいと、吹き抜ける木枯らしに首をすくませていた。 ...続きを見る

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2016/02/23 07:09
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −10−
私は昭和12年東京の保育科を卒業し、叔母のいる公主嶺に行き、9月から実習生として、12月からは正式に職員として、峯タウ先生とともに、公主嶺幼稚園に終戦まで勤めさせていただきました。 ...続きを見る

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2016/02/22 05:45
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −9−
爆竹の音、大勢の着飾った人たちとざわめき。それはきっと祭りか祝いごとの日だったに違いない。人ごみの中で私たちは、いつまでも高脚(たかあし)踊りに見とれた。高脚は1メートル近くもあっただろうか。(記念誌371頁下段) ...続きを見る

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2016/02/21 05:24
満洲 「冬に想う」 則次美弥子(公主嶺小・35回生)
昨年(2015年)、上野の「水車」で開かれた「満州・公主嶺会」。隣席が小学校で二級上の則次美弥子さん。「さて、どなただろう?」、と思いめぐらしたが、旧姓を聞いて合点がいった、姉と同級だったあの芦田さん。岡山に住み、まだまだかくしゃく、話も弾み、筆も流れるよう。(会報「満州 公主嶺」合本32号) ...続きを見る

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2016/02/20 09:30
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −8−
旧校舎の校庭で見たことなので多分、昭和12年だったと思うが、その日はロウソクの煤(すす)で黒くしたガラス片を用意して、日食を皆で待っていた。(記念誌343頁上段) ...続きを見る

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2016/02/20 06:20
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −7−
私が大連の光明台小学校から公主嶺に転校したのは3年生のときで、旧校舎でした。菊池町、霞町、堀町、泉町と転宅し、町内を知り尽くしていたつもりですが、長い年月が経つと記憶も薄れてきます。(記念誌343頁上段) ...続きを見る

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2016/02/19 05:16
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −6−
月ヶ浦海浜聚落から帰って体調をくずし、満鉄病院での診断は腸チフスであった。伝染病だからその場で隔離病棟へ即入院させられた。一週間くらいは40度以上の高熱が続き、頭髪が全部抜けて、丸坊主になってしまった。 ...続きを見る

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2016/02/17 06:55
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −5−
厳しい指導で生徒から恐れられていたK先生が、あるとき、智仁勇の三つの徳目についてお話になった。黒板に正三角形を描かれ、三つの頂点に上から右左と智・仁・勇の三文字をお書きになり、それぞれの徳目が均等に備わってこそ、立派な人間になれる。(記念誌342頁上段) ...続きを見る

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2016/02/15 06:08
土屋洸子さん 戦争体験語る 新宿「すいとんの会」
新宿区が平和啓発事業の一つとして計画している「すいとんの会」でこのほど、土屋洸子さんが満洲からの引き揚げ体験を語ることになった。会では「すいとんを食べながら戦争を体験した方の話を伺い、平和の大切さを考えてみませんか?」と呼びかけています。 ...続きを見る

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2016/02/13 10:17
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −4−
公主嶺! 私はこの地名を聞くと、懐かしい故郷を思います。父の転勤で東京、千葉、台北と移り、公主嶺には昭和11年8月から13年8月まで、5年生の二学期から小学校を卒業して、新京の錦ヶ丘高女1年1学期までの2年間、住みました。(記念誌341下段) ...続きを見る

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2016/02/13 07:08
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −3−
昭和11年の夏だったと思いますが「公主嶺の夕べ」が催されました。新京から放送局の方が来られて公会堂で行われた会に私も参加することができました。 ...続きを見る

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2016/02/12 06:21
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −2−
闇の中を、長さ1メートルほどの厚い板と荷物をもった男女が、三々五々公主嶺駅へ集まって来た。昭和12年の夏休みに入って数日後のことだった。(記録誌340頁) ...続きを見る

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2016/02/10 05:40
満洲・公主嶺同窓会誌 第8章 エピーソード −1−
満洲・公主嶺小同窓会誌のエピソードのシリーズ3。今回は同誌、第八章「支那事変・ノモンハン事件」(昭和11〜15年)の中から順次紹介する。全68編という膨大な思いを注釈付きで展開しよう。 ...続きを見る

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2016/02/09 05:44
満洲・公主嶺『記念誌』 語り伝えたい
「満洲・公主嶺(過ぎし40年の記録)」が発刊されてから来年は30年。関係者も他界する人多く、「過ぎし70年の記録」の風化を危惧せざるを得なくなった。歴史的にも稀有なこの貴重な記録を後世に伝えるためにも、当時の編集者たちの熱い思い(同書・あとがき)を、今一度反芻してみたい。 ...続きを見る

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2016/02/08 06:18
2016年1月度 ブログ「満洲っ子」一覧
年が明けて2016年度初めてのブログ「満洲っ子」のアクセス一覧です。今月の特徴は文化欄・「なかにし礼の『赤い月』をみて」「淡谷のり子さんと特攻隊」などの著しい伸びです。頁数は33、アクセス数は3648の増となりました。 ...続きを見る

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2016/02/01 05:10
天皇のフイリピン訪問に思う 公主嶺会・阿部孝雄さん
天皇、皇后両陛下が訪問されているフィリピンは、先の大戦で日本人51万8千人が亡くなった激戦地。戦後71年となり、悲惨な記憶が風化しつつある中、多くの元兵士や遺族らが「後世へ伝え、忘れないことが大切」との思いを込めて、両陛下の慰霊を見守った。(東京新聞ー1月29日付夕刊) ...続きを見る

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2016/01/31 06:30
テーマ「満洲・公主嶺」ブログ 一覧
テーマ「満洲・公主嶺の一覧」は今回が初めて。頁数は200、アクセス数は2万を超えている。スタートは2008年で、同窓会誌に土屋洸子さんが特攻で戦死した兄のことを書いた。 ...続きを見る

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2016/01/30 07:56
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −終ー
私の母は17歳で結婚し、大正13年から昭和9年までに6人の子どもを公主嶺で産んだ。公主嶺では多くの日本人の子どもが生まれたと思うが、病院で生まれた赤ん坊は割りと少ないのではないだろうか。私の戸籍には「満州国吉林省公主嶺満鉄病院にて出生」と書いてある。(記念誌438頁下段) ...続きを見る

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2016/01/28 06:14
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −34−
私の父は大正10年独立守備隊を除隊し、公主嶺駅に勤務、昭和20年8月家族と共に引き揚げるまでの27年間公主嶺にいた。私は菊地町北公園西社宅で生まれ、母、姉(瀧子・27回生)の4人家族で、9歳まで近くの杉浦寛成君(36回生)と姉上の富子さん(34回生)とよく遊んだものだ。 ...続きを見る

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2016/01/27 07:16
新 満州・公主嶺小同窓会誌 エピソード −33−
戦争が激化しても、農事試験場の小原さんのお宅で、母たちは集まって造花やクッキーを作っていた。大広間に三角の出窓がいくつかあり、そこにヒヤシンスの球根やいろいろな花の鉢が置いてあるのを外から見ると、とってもきれいだった。当時のロシア風の建物には、三角窓が多く用いられていた。(記念誌436頁下段) ...続きを見る

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2016/01/26 06:06
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −32−
朝礼で「農学校の学生たちに草刈りをしてもらったが、刈った草の先で飛行機のタイヤがパンクするので、抜いてほしい」と山本校長先生の説明があり、私たち〜6年生は飛行場に行き、一列に並んで草抜きをした。 ...続きを見る

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2016/01/25 05:29
新 満州・公主嶺小同窓会誌 エピソード −31−
昭和19年夏ごろから、5、6年生が講堂の片隅で、やがては講堂全部を使って大規模に作業した。まず梱包する箱(30×30×100センチ)の組み立てから始めた。(記念誌435頁下段) ...続きを見る

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2016/01/22 05:52
新 満州・公主嶺小同窓会誌 エピソード −30−
昭和19年5月7日、朝日分会第四班第五組の第一回錬成会(運動会)が行われた。当日8時ごろ、五道街から朝日町に集合、泰平橋を渡り、武士道碑の側の道をかなり奥に進んで行くと野原があり、学校のグラウンドの半分くらいの広さを使った会場に着いた。(記念誌435頁上段) ...続きを見る

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2016/01/19 05:12
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −29−
冬になると毎年校庭にスケート場を造っていた。高学年になると、ホースで水撒きしながら竹箒で水をならして鏡のような氷にし、立派なスケート場を造ったものである。(記念誌434頁下段) ...続きを見る

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2016/01/18 05:34
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −28−
冬がくると毎年校庭にスケート場が造られる。生徒が土手を踏み固め、先生方やボーイさんが毎晩散水される。パリパリと音をたてて、水が凍ってゆく。くりかえし、くりかえし散水し、厚い氷のスケート場ができる。大変な苦労だ。(記念誌434頁上段) ...続きを見る

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2016/01/16 05:34
伊藤聖さんと満洲公主嶺 土屋洸子 A
旧満洲(現中国東北部)の公主嶺という町の記録誌(三部作)の作成を主導した伊藤聖さんが昨年(2015年10月)亡くなられた。その編集にあたって、補佐役を務めた土屋洸子さんが、彼のたぐい稀な優れた編集作業と、三部作の発刊にいたるまでのプロセスと内容を振り返った。 ...続きを見る

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2016/01/14 07:02
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −27−
公主嶺在満国民学校は、満洲でも設備の整った学校と聞いていました。6年生になると、男子生徒は自分の教室のほかに工作室の掃除当番もやりました。女子組みは裁縫室だったでしょうか。(同窓誌433頁上段) ...続きを見る

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2016/01/13 06:30
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −26−
戦争一色だったあのころ、国防色とモンペばかりで華やかな色はどこにもりませんでした。そんな中で華やかなオレンジ色の思い出が、今でもおぼろげに、走馬灯の絵のように浮かんできます。(同窓誌432頁下段) ...続きを見る

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2016/01/11 05:57
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −25−
昭和18年4月、南国・阿波踊りで有名な徳島県から出向してきた私は、公主嶺のきびしい冬に驚き、春になるのを待ち焦がれた。赤煉瓦の校舎は、スマートで設備もよく、担任の3年生の教室は、1階の南の中央であった。 ...続きを見る

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2016/01/10 10:53
新 満州・公主嶺小同窓会誌 エピソード −24−
 昭和18年、4年生の担任は志村先生。三学期は山本校長先生、横山先生(国語・修身)、塩野先生(理科)が交替でみてくださった。5年生男子組の担任は松原先生。「予科練の歌」「スキーの歌」を習った。(記念誌431頁下段) ...続きを見る

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2016/01/08 06:15
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −23−
私が住んでいた官舎の前の空き地に、昭和17年の夏頃と思いますが、防空壕が掘られました。官舎の人が全員入れるような大きなもので、木の柱を打ち込み、柱と柱の間は柴で覆い、屋根をつけ、その上に50センチくらい土を盛ったもので、入り口は2ヵ所、木の扉をつけたものでした。(記念誌430頁下段) ...続きを見る

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2016/01/07 07:05
新 満州・公主嶺小同窓会誌 エピソード −22−
昭和17年夏、担任の松本修司先生のイン引卒で、3年生の私たちだけで遠足に行った。学校の正門前に集合し、始業時間に元気よく出発、東へ木下町、陸軍病院前を通り、公主陵方面の道を山路郷開拓団目指して歩いた。目的地の開拓団は、なだらかな大地に畠が広がって見えた。 ...続きを見る

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2016/01/06 05:58
新 満洲・公主嶺小同窓会誌 エピソード −21−
私の住んでいた陸軍官舎の隣に和風荘という飛行隊の下士官級独身者の宿舎があった。この寮のまわりには赤錆びた鉄条網が張りめぐらされていて、子どもの足でも容易に踏みつけてくぐり抜けることができた。(429頁下段) ...続きを見る

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2016/01/05 05:07
与謝野晶子と満洲公主嶺 土屋洸子
満鉄(南満洲鉄道株式会社)は毎年、学者、教育者、芸術家らに満洲、蒙古を見学させ、一種の宣伝活動を行っていた。歌人の島木赤彦、北原白秋、斉藤茂吉、童謡詩人の野口雨情、作家の志賀直哉、里美ク、画家の有島生馬、正宗徳三郎らが満洲を訪れ、与謝野寛・晶子夫妻も昭和3(1928)年5月3日から6月17日にかけて、満洲、内蒙古を旅行した。 ...続きを見る

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2016/01/04 06:21
北原白秋と満洲公主嶺 土屋洸子
1990(平成2)年3月28日、所沢市立図書館のカウンターで、「あった!」と私は思わず大きな声を出してしまった。「秋の牧場」の楽譜をとうとう探しあてた日のことで、例年になく早い満開となった桜の花を見ながら、だれかに「聞いて、聞いて」と話かけたい思いで一杯であった。(会報「満州公主嶺」合本) ...続きを見る

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2016/01/02 05:21
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −20−
どうして知りあったのか、今はさだかでないのだが、飛行隊の軍曹殿2人と友だちになった。名前も忘れてしまったが、たしか幹部候補生だった。(429頁上段) ...続きを見る

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2015/12/30 07:53
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −19−
建国10周年に来満された高松宮様が公主嶺駅を通過されるので、私たち6年生がお迎えすることになり、ホームに整列したのは昭和17年5月末であったろうか。(428頁下段) ...続きを見る

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2015/12/28 06:06
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −18−
私が公主嶺にいたのは、昭和15年の秋4年生2学期から17年の春5年生3学期までの1年半です。父が懐徳県公署総務課に勤務していたからです。父省吾は暗号電報解読の仕事をしており、夜中でも電報が配達されると暗号を解読し、解読し終わると出かけていきます。(428頁上段) ...続きを見る

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2015/12/25 06:21
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −17−
昭和17年春、私は奉天皇姑屯(こうことん)国民学校から父の都合で公主嶺在満国区民学校2年生に転入しました。当時担任は吉田遠(とおる)先生でした。先生方の出征で3、4ヵ月で次々に担任が交代する時代でした。(427頁下段) ...続きを見る

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2015/12/23 07:23
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −16−
昭和17年5年生の春。担任は日本から来られたばかりの小南三夫先生。猛烈な頑固父ちゃん先生で、よく怒鳴る。「体操するときは裸が一番いいのだ」とパンツ一枚に裸足。あの時ぐらい運動場に出るのが恥ずかしかったことはない。 ...続きを見る

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2015/12/21 06:13
満洲公主嶺 写真集 ーその異例の一枚ー
1988(昭和63)年11月に発刊された公主嶺の写真集に異例な写真が掲載されているのをみて、取り上げたくなった。小5〜6のころ、実際に近くまで悪童どもと一緒に連れ立ち、見かけたことがあるからである。「ピーヤ」といわれたと記憶している。 ...続きを見る

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2015/12/19 05:56
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −15−
敗色濃い太平洋戦争末期のころ、海軍の予備学生として横須賀対潜水学校で猛訓練をうけていた私は、公主嶺から「神島利則君、特攻隊員として戦死」の通知を受けた。「ヤッタカ!」。走馬灯のように在りし日々が思い出され、当夜は一睡もできなかった。 ...続きを見る

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2015/12/18 06:51
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −14−
昭和20年4月、私は特別幹部候補生として千葉の騎兵学校に在学中、病気のため千葉陸軍病院に入院、そこで「とんちゃん」こと神島利則君が神風特攻隊の一員として戦死したことを知った。(437頁上段) ...続きを見る

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2015/12/17 09:48
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −13−
春は中国人町の広場での娘々祭。京劇寸劇曲枝を鉦(かね)、太鼓、笛、ラッパの合奏で、高脚踊り、竜舞がくり出して、大変賑やかだった。四月末は大楡樹(だいゆじゅ)の近くの東遼河(ひがしりょうが)で、網で魚を取る。 ...続きを見る

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2015/12/15 06:47
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −12−
昭和17年、六年生の春のこと。夜行列車では持参の板が無駄になり、床の上に新聞紙を敷き、ごろ寝した。初めて見る桜や海に興奮し、旅順港内の汚い海水を味わう者もいた。水師営、二〇三高地などの戦跡を軍歌を歌って巡り歩いた。(426頁上段) ...続きを見る

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2015/12/11 07:12
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −11−
3月は満洲の長い冬が終わりに近づき、雪解けが始まる季節です。そして10日は陸軍記念日(日露戦争の勝利記念日」)です。(425頁下段) ...続きを見る

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2015/12/09 12:42
伊藤 聖さんと満洲公主嶺 土屋洸子
満洲の公主嶺という町の記録誌等(三部作)の作成を主宰した伊藤 聖さんが、この10月28日に逝かれた。訃報に接して編集の補佐役を務めてきた一人土屋洸子さんが、彼の無類の業績と三部作が上梓されるまでの苦難の作業経過・裏話を溢れる思いで追憶する。 ...続きを見る

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2015/12/09 07:15
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −10−
昭和16(1941)年12月8日月曜日、私は5年生でした。その朝、ラジオは軍艦マーチに続いて「本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」のニュースです。私はとび起きて、寝ていた父を起こし「お父さん、アメリカと戦争になった。ラジオで放送している」と言いました。 ...続きを見る

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2015/12/08 06:24
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −9−
小学校から国民学校に変わった1941(昭和16)年、私は入学した。一年生の学芸会では、何人で何曲歌ったのか記憶がはっきりしないが、1曲だけふしぎに今でもはっきり覚えているのが、童謡「南京(なんきん)コトバ」である。(424頁下段) ...続きを見る

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2015/12/06 05:56
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −8−
日頃くちずさむこともない歌が何かの拍子に浮かんできて、それを歌った時の光景が鮮やかに蘇ることがある。私の「公主嶺」も一つの歌で蘇生した。(424頁上段) ...続きを見る

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2015/12/05 07:12
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −7−
4年生の秋の初めでしょうか。ある日誰かが「農事試験場の裏の方の農場のはずれに、ホオズキがたくさん生えている所がある」というので、話がはずみ、何人かで集まって採りに行くことになりました。(423頁下段) ...続きを見る

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2015/12/04 07:12
土屋洸子さん公主嶺を語る 「わがまち武蔵野人」 
11月27日、西東京市下保谷に住む、満洲・公主嶺会の事務局長土屋洸子さんが「むさしのFM放送市民の会」に招かれ、「敗戦70年特集」として,公主嶺からの筆舌に尽くし難い苦難の引き揚げの模様を、淡々と語り話題になっています。聞き手は亀井 薫さん。 ...続きを見る

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2015/12/03 11:55
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −6−
昭和16(1941)年、5年生の秋から僅か10ヵ月間の公主嶺だが、敗戦を迎えた吉林とは対照的に、校歌同様の明るいイメージを持っている。開戦のニュースを聞き緒戦の勝利に喜んでいたこともあるのだろう。 ...続きを見る

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2015/12/02 06:52
創業100年 上野ターミナルホテル
昨日、昨年亡くなった満洲・公主嶺小学校の同窓生・井本稔さんのことで調べものがあって、ネットで検索していたら「2016年創業100年を迎える老舗ホテル」の見出しが目に飛び込んできた。読み進むうちに、これは是非とも同窓の仲間たちに知らせなければと思い、その要旨をしたためることにした。 ...続きを見る

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2015/12/01 11:06
新 満州・公主嶺小同窓会誌 エピソード −5−
私の家は満鉄病院の並びの公主嶺駅寄りにあった。満鉄病院の正面は公園で、公主嶺神社の左手にテニスコートがあり、その横の林の中に小さく目立たないが靖国神社分社(?)もあった。 ...続きを見る

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2015/11/30 05:03
「私の戦後70年」 東京新聞ー発言 J
東京新聞「発言欄」に寄せられた特集投稿、「私の戦後70年」の11月号。今回も6篇。その中から「満州の話」を転載します。投稿者は佐倉市の堀 馨予さん。満洲っ子の年83歳と同じ、子や孫に体験を伝えることの重要さを訴えます。 ...続きを見る

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2015/11/28 06:15
新 満州・公主嶺小同窓会 エピソード −4−
あ私の夫宰平は昭和10年4月、三重県より公主嶺小学校に赴任し、在任7年のうち30回生、33回生、37回生の担任をさせていただいたようです。私たちは昭和13年暮れに朝鮮の釜山で結婚し、公主嶺で新婚生活に入り、2児が生まれました。 ...続きを見る

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2015/11/27 07:22
公主嶺 叶多嘉子先生を偲ぶ 土屋洸子
毎年届いていた叶多先生あての年賀状が今年は住所不明で戻ってきたので、妹さんの田村晴子さん(35回生)へ新住所を問い合わせたところ、平成13年6月6日80歳で逝去されたとのこと。ことばを失った。(公主嶺同窓会 会報47号) ...続きを見る

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2015/11/26 11:18
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −3−
昭和16年4月、春真っ盛りの徳島から雪が残る公主嶺在満国民学校に赴任した。一年間に2度の春を迎える珍しい経験をしたことになる。当時、井家誉策校長先生、山口寅蔵教頭先生であった。私は高等科一年を担当した。隣の教室は横山先生で、短歌をよく板書しておられた。 ...続きを見る

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2015/11/25 06:33
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード −2−
一枚の写真が出てきた。それは、母が東京に住んでいた祖父母に送ったものであるが、小学校の講堂に正座し、その前に書き終わったばかりの書き初めが置かれていた。 ...続きを見る

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2015/11/24 06:12
新 満洲・公主嶺小同窓誌 エピソード ー1−
私の履歴書の一項に次のことが朱書されている。「昭和12年12月1日。満洲国治外法権撤廃及満州鉄道付属地行政権の委譲ニ伴ヒ昭和12年大使館第七号ニ依リ月報五十七円ニ更生セラル。在満洲国大使館」 ...続きを見る

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2015/11/23 13:16
「満洲・公主嶺記録誌」 最終章に見る 
「満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録」の最終章(10章)の最終頁からの全文引用です。項目は「落日」「40年後」の二つ。600頁を超える大冊の締めくくりだけに、あの地への別離の想いが熱くつづられ、中国住民に対する謝意も行間にみてとられ、また「繰り返してはならない戦争」と繋ぎます。この項の記述は土屋洸子さんが担当したと聞きます。 ...続きを見る

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2015/11/23 06:15
LETTER FROM 公主嶺会 土屋洸子
公主嶺会にご参加の皆様ー紅葉の便りが届くころとなりました。 その後、お変わりなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。先日の2015(平成27)年度公主嶺会にご参加くださいまして、ありがとうございます。−土屋洸子 ...続きを見る

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2015/11/05 06:39
2015年 「公主嶺会」での点描 終
「『公主嶺会』での点描」、前回で終了のつもりだったが、ここにきて大きな「昭和の戦争秘話」が浮き上がってきたので続けなければならなくなった。それは、「会」が始まる前のロビーでの何気ない会話のひとコマがあったからだ、阿部孝雄さん(42回生)との平和論義だ。 ▼阿部孝雄さん=10月16日公主嶺会で ...続きを見る

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2015/11/04 06:20
2015年 「公主嶺会」での点描 C
2015年度の満洲「公主嶺会」の集いは、さる10月16日(土)、上野のターミナルホテル・地下「水車で」で開かれました。北は宮城から南は山口まで集った人は総勢35名。歳のころは喜寿から傘寿超えにもかかわらず、みな元気そのものでした。 ...続きを見る

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2015/10/29 05:27
2015年 「公主嶺会」での点描 そのB
この16日に開かれた満洲「公主嶺会」で、土屋洸子さんから手渡された浜崎裕子さんが書いた一冊の小冊子。B5版・全27頁の手作りの本である。この本作成にいたった「いきさつ」について、土屋さんが記してくれた。末尾に「桑野姉妹・弟妹たちの壮絶な体験を若い人々に伝えたいと願ったから」と結んでいる。 ...続きを見る

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2015/10/26 05:35
2015年 「公主嶺会」での点描 そのA
上野のターミナルホテル・「水車」で開かれた2015年度の満州「公主嶺会」。少し早いかなと思いつつホテルのロビーに座ると、前席の女性が一枚の新聞の切り抜きを差し出して、永井さんですか?と聞く。それを目にして驚いた。2001年7月22付の「しんぶん赤旗」・日曜版の1ページ。僕が投稿した「人生のうた」の一文だ。 ...続きを見る

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2015/10/24 06:26
2015年 「公主嶺会」での点描 その@
待ちに待った今年の「公主嶺会」。集った人総勢35人の年齢は77から87歳だが皆かくしゃくとしている。かつては同じ小学校で少年・少女だった同窓生たち。右隣の席が奇しくも姉と同期の則次美弥子さん。話が弾むうちに手渡されたのが以下のような敗戦時の苦難の手記。それはこの6月30日付けの日中友好協会・岡山市支部の機関紙「岡山と中国」に掲載されたものという。 ...続きを見る

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2015/10/23 06:18
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −完ー
広大な土地、多い人口、私たちの父祖の代から日本人が多く働いた国であった。多くの留学生が日本にも来て学んだ。そして私の故郷でもある。(523頁) ...続きを見る

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2015/10/01 06:52
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −25−
その時、私は公主嶺駅のプラットホームに立っていた。これからの話は夢の中の話で、私が実際に公主嶺に行ったのではない。ツアーで行っているのに不思議にも私一人である。 ...続きを見る

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2015/09/30 06:03
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −24−
中国鉄路部の招きで、主な六都市の駅環境視察のために、私は厳冬の中国を訪れる機会を得た。旅の前に生地公主嶺を通過することを知り、一目故郷を見たいと思ったが、公用なので言い出しかねていた。 ...続きを見る

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2015/09/29 06:06
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −23ー
昭和58年8月、第1回公主嶺友好訪中の旅で、公主嶺の我が家の前に立った時、啄木の「ふるさとの山に向いていうことなし ふるさとの山は ありがたきかな」の歌の心境そのものでした。よくぞ壊されず昔のままで残っていた、と涙が溢れました。 ...続きを見る

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2015/09/28 06:57
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −22−
吉林発の引き揚げ貨物列車は長春を通過し、公主嶺駅の泰平橋下をゆっくり南下した。昭和21年9月7日の真夜中であった。公主嶺は私が初めて満洲の土を踏んだ所である。 ...続きを見る

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2015/09/26 06:56
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −21−
・卯の花咲ける夏の日の 昼の日中にまどろみて うつらうつらと見し夢は 昔なつかしきあの丘よ 名も知られたり 公主嶺 ...続きを見る

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2015/09/25 06:43
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −20−
冬のある朝、ふと下をのぞくといつの間に成長したのか、今にもお尻にくっつきそうになっている。あの黄金のピラミッドは、子ども心に大変恐怖感を抱かせた。汲み取り屋さんに依頼すると、大きな鉄の棒で突き倒すのだが、その時に飛び散る黄金の破片は、冷凍なのにとても臭う。どうしてかん。 ...続きを見る

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2015/09/23 06:28
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −19−
父のひどい神経痛おために残留し、そのまま農事試験場に留用された。皆が引き揚げたあと、金光教教会跡で寺子屋式の学校が始まった。長春の学校と関係があったのか、教材の一部に同じものが用いられた。冬は高粱ヌカのストーブで暖をとった。 ...続きを見る

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2015/09/22 06:10
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −18−
「引き揚げ、延びろ! 延期になれ! 」 激しい雨の日が続く。いいぞ。今度もまた延びた。父左千代の神経痛がひどく寝起きにも激痛があり、この状態では担架で運ぶのに男手が6人もいるとのこと。父は隣組の人に迷惑をかけぬため、引き上げを断念した。 ...続きを見る

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2015/09/21 05:40
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −17−
昭和19年春、小学校を卒業した私は四平にある陸軍燃料廠(満洲第238945部隊)に付属する学校に入学した。日本からの学生が少なくなり、満州の子どもが募集されて私たちが初めて入学した。(517頁) ...続きを見る

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2015/09/19 06:27
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −16− 
昭和20年8月13日、関東軍の命令で「ソ連参戦により一時疎開」ということで、私と母は在満教務部関係の団体として、無蓋車に乗せられ新京を発った。下車した所は朝鮮の竜江で、その後鎮南浦に移された。(516頁) ...続きを見る

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2015/09/17 06:10
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −15−
敗戦翌年の3月ごろ、私の家族は藤井菓子店の2階に住んでいた。危険な生活の中でも何とか人間らしい生活を願う気持ちが少しずつ出てきて、町のどこかでは大福や桜餅が売られていたようだ。(515頁) ...続きを見る

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2015/09/16 06:08
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −14−
「サーホンメイユー!」 突如、父弥十郎の大きな声が飛んできた。先刻から事務室では数人の者が来て、父とやり取りをしている最中であった。何を調べに来たのか。私たちは母と居間で息を潜めていた。(514頁) ...続きを見る

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2015/09/15 05:31
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −13−
我が家(浅野醸造)に、八路軍の騎兵隊が入ってきたことがある。暴徒に追われた日本人の避難したあの酒倉(ロシアの劇場跡)に厩舎となった。酒倉はいつもほのかに酒の馨りを漂わせていたものだが、たちまち馬と飼い葉の匂いに消されてしまった。 ...続きを見る

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2015/09/14 06:48
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −12−
公主嶺は軍の町でした。早朝、薄暗いうちに軍用トラックが池田製パン工場の前に来ます。野外演習の食糧の受け取りです。工場では職人たちがパン釜から舟をこぐ柄のようなへらで食パンを取り出します。 ...続きを見る

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2015/09/11 06:42
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −11−
終戦直後の一時期、つはもの会館に日本人が集結して、何日間か生活をしたことがある。一部屋に150人以上はいただろう。ある日、一人の露助(当時ソ連兵をこう呼んだ)が部屋に入ってきて、一番奥の母のところへツカツカと土足のまま近づいた。 ...続きを見る

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2015/09/10 06:23
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード ー10−
ソ連軍の公主嶺占領を機に、暴徒が鉄北地区を襲い、商店街にもわーっと入ってきて、あちこちで略奪が始まった。戸井呉服店は放火され、我が家の二階の窓から公主嶺中の夜空を焦がすような真っ赤な火柱が見えた。 ...続きを見る

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2015/09/09 06:24
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −9−
昭和20年8月13日夕方、前郭旗(新京ー白城子間の京白線沿線)を有蓋貨車で脱出し鉄嶺まで南下したが、その先に行けず引き返した。貨車が、とあるところで停車したので扉を開けて外を見ると、どこかで見たような風景。なんとそこは3年前まで住んでいた公主嶺駅であった。(511頁) ...続きを見る

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2015/09/08 06:52
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −8−
昭和20年8月、私は朝日町五道街に住んでいた。ソ連軍が入公し身近がきびしい状態になったので、浅野醸造に避難した。何日かして兄と二人で自宅に行った。家のなかにいると玄関からマンドリン自動小銃を持ったソ連兵が一人入ってきた。 ...続きを見る

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2015/09/07 06:01
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −7−
「バン」一発の銃声が響き、Tさんの上半身は静かに後ろの壁に倒れた。Tさんの家族と私は車座に座っていたが、みんな「あっ」というような声をあげて床に伏した。ソ連兵の泥まみれの長靴が私の目と鼻の先にあり、Tさんの胸は鮮血に染まっていた。 ...続きを見る

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2015/09/05 07:04
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −6−
昭和20年8月14日、「明日15日正午、重大放送があるので、成人男子は小学校の校庭に集合するように」との通達がある。当日正午前に校庭に行くと、在郷軍人や男子の方たちが多数集まっていた。(507頁) ...続きを見る

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2015/09/04 10:01
満州・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −5−
敗戦とともにソ連軍が進駐してきて、ありとあらゆるものを持ち去った。最後には人間までも。塩野先生は、背が高くいかり肩で黒ぶちの眼鏡をかけ、目も口もいつも笑っていた。(507頁) ...続きを見る

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2015/09/03 06:49
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −4−
昭和20年8月、ソ連参戦によって私たちの生活は突然崩れだしました。13日公主嶺駅にただちに集まれという疎開命令が出て、母と私と幼い弟妹5人は着のみ着のまま貨物駅構内の集合場所に駆けつけましあた。(506頁) ...続きを見る

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2015/09/02 06:53
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −3−
昭和20年8月12日の朝、隣組を通じて「ソ連との開戦に伴う戦局不安の折から、幼児のいる所帯は、そう長い期間ではないと思うが、南満州方面へなるべく疎開するように」との伝達を受けた。(506頁) ...続きを見る

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2015/09/01 06:08
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード −2−
公主嶺陸軍病院の最後の院長を、須野先生と申し上げた。クリスチャンでとても立派なお方であった。この病院に、数人の婦人と共に私の母は週一度のご奉仕をしていた。(505頁) ...続きを見る

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2015/08/29 05:53
2015年度 「満州・公主嶺会」のご案内
残暑なおきびしい折ですが、皆さまにはご健勝のこととお慶び申し上げます。さて下記のように「公主嶺会」を開きます。昨年の公主嶺会の日に、「会」の大黒柱だった井本稔さんを失いましたが、公主嶺会のご縁を大切にしたいとのお気持ちをご遺族からいただき、会場を決めました。ぜひともご参加ください。 ...続きを見る

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2015/08/27 06:20
満洲・公主嶺小学校同窓誌 エピソード ー1−
昭和20年8月9日午前4時。けたたましいサイレンでとび起きた。半焼が響く。空襲警報だ。「ソ連機です。下へ入って下さい」と連絡がくる。そのうち爆音が聞こえ始めたが、南方へ去った。店の杉本さんは防火班に出て、店も家にも誰もいない。(504頁) ...続きを見る

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2015/08/21 06:55
公主嶺小出身 神島利則中尉 特攻出撃
「昭和20年7月、13期海軍飛行予備学生6人が公主嶺飛行隊に配属され、神島宅を訪れた。彼らは8月10日に3機で公主嶺を数回低空旋回し、日本へ向かったが、朝鮮半島北部上空で米軍飛行機と遭遇し、2機は撃墜されたという」(「満州公主嶺・過ぎし40年の記録」ー409〜410頁、同書編集委員の土屋洸子さんが執筆) ...続きを見る

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2015/08/15 06:27
土屋洸子さん 「引き揚げ体験」語る 新宿
東京・新宿の「平和祈念展示資料館」では、毎月海外からの引き揚げ者などから貴重な体験談を聞く会が開催されています。その語り部の一人として、このほど「公主嶺会」の土屋洸子さんが招かれ、この夏は、8月19日(水)にお話しすることになりました。以下はそのご案内です。 ...続きを見る

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2015/08/04 06:45
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 終
翌日外に出た。夜店が立ち並び、賑やかだった。これが敗戦国日本の姿か。町は負けた国とは思えない。静けさであった。皆それぞれ故郷をめざして散っていった。 ...続きを見る

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2015/08/03 06:17
土屋洸子さん関連のブログ 一覧
旧満州「公主嶺会」の世話人である土屋洸子さん.関連のブログ。以下にそのアクセス数のベスト10を表示します。総数では前回(4・27)より1425件の増で、今日現在で6459件となりました。なお、ページ数は78です。 ...続きを見る

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2015/07/31 07:49
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 I
胡蘆島(ころとう、引き揚げ船が出た港)というところに着いた。そこから船に乗るのである。アメリカの貨物船だと後で聞いた。船の御飯に昼は乾パンを配られた。私たちはいつもおなかをすかしていた。上の弟の毅ちゃんが風邪をひいた。 ...続きを見る

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2015/07/30 05:46
満州・公主霊 「思いだすままに」 浜崎裕子 H
何日汽車に乗っていたのか覚えていないが、やがて錦州というところで皆汽車を降りて、馬小屋のようなところに入った。畳一枚くらいの狭いところで親子五人が過ごした。母は初めのうちは元気を取り戻していたが、そのうち寝たり起きたりするようになった。 ...続きを見る

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2015/07/29 07:23
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 G
しばらくして私たち一家は一部屋に住むことができた。でもそれまでは町の皆様のお陰で、食事は配給されていたのが、個人で賄うようになった。母は野菜を売った。朝早くから町に仕入れに行って、昼お店をだして売るのである。私たちは弟の面倒や、食事の用意をして母を助けた。 ...続きを見る

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2015/07/27 05:27
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 F
8月15日、その日は朝から母はそわそわしていた。そして正午、天皇の声を聞いたのである(終戦の詔勅)。私はなぜかそこにいなかった。家に帰ると母が泣いていた。しばらくは信じられなかった。 ...続きを見る

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2015/07/21 08:12
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 E
母が父にすがって泣いた。私は死んではいないと心の中でつぶやいた。神様にお願いしたではないか、毎日行かなかったからいけなかったのかしら、そんなことを考えてぼんやりしていた。人の死に目にあうのは二度目だったが、おばあちゃんのときは幼かったので、おぼえてはいなかった。 ...続きを見る

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2015/07/18 06:37
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 D
満州に戻ってから、父は少し元気になった。また学校に出かけるようになり、安心していた。あんなに好きだったお酒もやめ、たばこも吸わなくなった。夕飯のときは、いつも父がいた。ひと時の幸せが我が家に戻っていた。 ...続きを見る

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2015/07/16 05:05
満洲・公主嶺 「豪快に生きた神島君」 小佐井守(28回生)
敗色濃い太平洋戦争末期のころ、海軍の予備学生として横須賀対潜学校で猛訓練をうけていた私は、公主嶺から「神島利則君、特攻隊員として戦死」の通知をうけた。「ヤッタカ!」。走馬灯のように在りし日が思い出され、当夜は一睡も出来なかった。 ...続きを見る

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2015/07/15 06:34
満洲・公主嶺 「神島利則君をしのぶ」 三村 勉(28回生)
太平洋戦争も末期海軍は兵力を補うため、学徒の出陣をもってあてた。昭和11年に公主嶺小学校を卒業、新京一中を経て拓大に進んだ神島利則。神風特別攻撃隊の一員として昭和19年出撃、戦死した。その報を受けた小学校で同窓の三村勉さんが記した。(「過ぎし40年の記録」437頁より) ...続きを見る

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2015/07/14 05:34
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 C
幸せな日々であったが、それは長くは続かなかった。戦争を前後にして、私たちの家族は不幸へとつき進むのである。三年生になったころ(昭和16年)、父は病いで倒れた。長い間の無理が祟り、胸を患ったのである。大阪の病院に入院するため、一家はそろって大阪に行くことになった。 ...続きを見る

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2015/07/13 05:06
満洲・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子 B
話が後先になるが、私たちが五歳のときに弟の毅(たけし)が生まれ、二年生のときに次の弟(晃 あきら)が生まれた。お産のときは家族で病院に泊まった。父は病院から学校に通い、私たちにお弁当を作ってくれた。おかずはみかんの缶詰とこげた甘辛くて苦いお揚げが入っていた。 ...続きを見る

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2015/07/11 07:51
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜崎裕子著 A
一年生のころ(昭和14年)、玄関で手毬をついて遊んでいると、兵隊さんが家の前を通りかかったので「兵隊さん、こんにちわ」と声をかけた。(注・・・公主嶺は関東軍が駐留していた。歩兵、戦車隊、飛行隊、その他の部隊が数千〜数万人いたという) ...続きを見る

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2015/07/08 09:01
満州・公主嶺 「思いだすままに」 浜埼裕子著 @
「思いだすままに」。なんの変てつもない、むしろ穏やかな表題ではある。だが、読みすすむうちにひとつの感慨がひしひしとこみ上げてくる。旧満州・公主嶺小学校の同級生だった浜埼(旧姓桑野)裕子さんが書いた。あの大戦後の大陸での桑野一家がたどった生き様が迫ってくる。 ...続きを見る

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2015/07/02 07:46
満洲・公主嶺「心の砂漠に響く歌声」 叶多嘉子先生A
歌は辛いとき、悲嘆にくれたとき、はたまた戦争のような凄惨のさなかにさえ人の心を癒し、狂気を正気に立ち戻らせてくれるものです。混迷の中、叶多先生らが引くオルガンに、聞く耳をたてたソ連兵のさまがありありと見てとれる。彼らもまた、故郷の山や川に思いをはせたのかも知れない。 ...続きを見る

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2015/06/22 05:14
満洲・公主嶺「恐怖で漢字を忘れる」 叶多嘉子先生@
幼少期、あの公主嶺で多くの「公主嶺っ子」たちが育まれた幼稚園の叶多先生。赴任されたときはいまだ二十歳代だと思われる。その初々しさに母親とはまた違う親密感をもっていたことがよみがえる。そしてその先生が敗戦時に遭遇した恐怖の体験をリアルに語ってくれる。 ...続きを見る

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2015/06/20 12:31
満州・公主嶺 「炎をみつめていた日」 三森正行先生A
満州・公主嶺「過ぎし40年の記録」のエピソード.。先生方のなかでも、敗戦時の戦後処理.に主導的立場にあった三森正行先生の第2弾。焼却しなければならない諸書類の燃える炎を「無言で見つめていた」そして「初めて体験する敗戦なので・・・」の言葉が印象的だ。 ...続きを見る

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2015/06/18 05:17
満州・公主嶺「過ぎし40年の記録」 三森正行先生@
昭和14年公主嶺小学校に入学した生徒は二組に分かれた。私は岩森学級だったが、もうひとつは三森正行先生が担任だった。大戦の末期にもなると召集されるなど教職員の移動も激しく、また生徒たちも学業どころではなく激変の時代になっていた。 ...続きを見る

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2015/06/16 07:00
満州・公主嶺「過ぎし40年の記録」 石川利一郎先生
「過ぎし40年の記録」(520頁)からの転載。あの頃は「男女7歳にして席を同じうせず」を規範(?)にして、公主嶺小学校でも3年生から男子組と女子組に分れた。石川先生は女子組の担当、思い出されるのは学芸会で女子組が総出で演じた「万寿姫」。その可憐で華麗のさまは町の話題になった。 ...続きを見る

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2015/06/15 06:42
満州・公主嶺「過ぎし40年の記録」 倉垣利男先生B
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」で恩師・倉垣利男先生が描く第3弾。頃は昭和20年の8月9日からソ連軍が公主嶺に侵入する数日間、やがて来る不気味な嵐の前の静けさを吐露した。その情景がひたひたと迫ってくるようだ。 ...続きを見る

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2015/06/13 07:27
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 倉垣利男先生A
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」のエピソードから倉垣利男先生の第二弾。あの年の8月9日、ソ連参戦後の公主嶺市の混乱ぶりを詳述。とりわけ教師と生徒の別れの模様などを、悲壮感ただようなか、むしろ坦坦と記しているのが印象的。(504頁) ...続きを見る

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2015/06/12 05:33
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 倉垣利男先生@
昭和18〜19年、満洲・公主嶺小学校5,6年生男子組の担任の先生だった倉垣先生。旅順師範卒の新進気鋭の快男児、年のころは26歳ぐらいだったか、私の忘れられない恩師。あの年の8月、公主嶺での邦人の受難の動静を冷静な目で見て書き続ける。 ...続きを見る

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2015/06/11 06:29
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 岩垂 司さん
満州・公主嶺「過ぎし40年の記録」のエピソード。今回は岩垂 司さん。確か父上は農事試験場の技師だったか、住まいが私の家から2〜3分の近隣だったので、ほとんど毎日のように行き来していた。国共内戦の中での記憶を書きしるしている。 ...続きを見る

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2015/06/10 06:13
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 中村祐将さんA
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」の中のエピソードから前回に続き中村祐将さんの第2弾。戦後の混乱、とりわけソ連軍の行為の理不尽さは目を覆うばかり、そのなかでの少年たちの必死の振舞いがストレートに伝わってくる。 ...続きを見る

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2015/06/09 07:19
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 中村祐将さん@
昭和62(1987)年に発刊された「満州・公主嶺 過ぎし40年の記録」のうちエピソード集からの転載(512頁)。今回は中村祐将さんの書きつづった一編で、戦後間もなくあの地で過ごした彼の苦闘の様が伝わってくる。私とは同期の37回生。今はもう故人であるだけにその姿が偲ばれてならない。 ...続きを見る

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2015/06/08 08:23
濃緑の満洲・公主嶺小 37回生 同窓会終わる
「例年より気温が高い毎日ですが、皆さまにはお元気でお過ごしのことと存じます」。このほど開かれた公主嶺小学校の同窓会、幹事を務められた栗林重夫君、土屋洸子さんから同窓会が無事に終了したことのお礼のあいさつ状が当日の写真を添えて送られてきました。 ...続きを見る

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2015/06/06 14:54
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 若杉泰子さん
旧満洲・公主嶺小学校の同窓会から出版された「満州・公主嶺 過ぎし40年の記録」。同誌に掲載されている同窓生のあの地への思いを綴ったエピソード。これまで本ブログでもたびたび紹介してきましたが、今回は若杉泰子さん。敗戦の年8月、苦難の様子を淡々とつづっています。 ...続きを見る

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2015/06/02 09:13
写真で見る 満州・公主嶺小37回生の同窓会
待ちに待った旧満洲公主嶺小学校の37回生の同窓会が昨日(2015年5月30日)、東京の「上野ターミナルホテル」の地下「水車」(割烹料理店)で開かれました。北は北海道から、南は鹿児島まで傘寿を超えた面々12人が集まり、欣喜雀躍の一日を過ごしました。 ...続きを見る

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2015/05/31 08:35
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 浜崎裕子さん
1987(昭和62)年に発刊された旧満洲・公主嶺小学校同窓会記念誌。「過ぎし40年の記録」に寄せられた同級生のエピソード(回想記)からの転載です。今回は同級生(37回生)女子組の浜崎裕子さん。(同誌431ページ) ...続きを見る

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2015/05/29 11:08
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 鹿子嶋 悦さん
明治40年に満州の公主嶺という町に創立された小学校。戦後、昭和62年に同窓生が寄り集い発刊した記念誌・「満州・公主嶺 過ぎし40年の記録」。そこへ寄せられた投稿のうち今回は、37回生(昭和20年卒業)・鹿子嶋 悦さん(旧姓藤田)のあの地への苦難の記憶を掲載する。 ...続きを見る

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2015/05/28 05:17
満洲・公主嶺「過ぎし40年の記録」 山田和行さん 
昭和62年11月に発刊された旧満州・公主嶺小学校の同窓会記念誌。「過ぎし40年の記憶」に投稿された同窓生の回想記(コラム)からの転載です。今回は僕と同級37回生(昭和20年卒業)の山田和行さん。(同誌の433ページ)。 ...続きを見る

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2015/05/27 05:05
「満洲っ子」ブログ アクセス数 ランキング
今年(2015年)三度目のブログ一覧です。スタートしたのが2008年6月ですから、ほぼ7年目です。多くの方のご支援で、アクセス数は316980に到達しました。PV数も1082912に。今後ともよろしくお願いします。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/05/01 06:35
旧満洲・公主嶺小学校 第37回生 同窓会
「今日、桜前線が北海道に上陸した、とテレビで報じています。公主嶺小学校37回生(昭和20年卒業)の皆さまには、お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます」と昨日、幹事の栗林重夫君、土屋洸子さんからお知らせをいただきました。 ...続きを見る

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2015/04/29 06:48
公主嶺っ子・土屋洸子さんブログ 5000超
旧満州公主嶺小学校同窓会の事務局長・土屋洸子さん関連ブログのアクセス数が5034件になった。前回(1月29日)が4010件だから1024件の急増だ。これは、同じく同小学校の世話人だった井本稔さんのブログとコラボにあったからと思われる。以下ベスト10を紹介する。 ...続きを見る

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2015/04/27 05:22
畏友 井本 稔さん逝って6ヵ月
上野ターミナルホテルの前会長・井本稔さん。「私の体の中には、今も赤い夕陽の残光が住みついて離れない」と言い遺して逝った「満洲・公主嶺っ子」。あれからもう6カ月。彼の言葉の余韻が繰り返し脳裡をよぎり、ブログで再現させてきた。以下はそのひとコマである。 ...続きを見る

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2015/04/20 06:09
随想 「駅前旅館」 井本 稔 
旧満州(現中国東北部)の公主嶺という町の国民学校(現小学校)で同窓だった井本稔さん。昨年、10月急逝された彼の随想をご遺族からいただいた。題して「駅前旅館」。よどみない筆致で描かれている読み応えのある一文。彼が東京の旅館業界で過ごした「来し方」の一端が偲ばれます。 ...続きを見る

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2015/04/11 05:25
「満洲っ子 平和をうたう」ブログ 3月一覧
今年(2015年)二度目のブログ一覧です。2008年6月にスタートしてからかれこれ7年目。多くの方のご支援でアクセス数は312036に、ページ・ビュウー(PV)数も1057896になりました。ありがとうございます。 ...続きを見る

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2015/04/01 06:01
上野ターミナルホテル前会長 故井本稔さん関連ブログ
上野ターミナルホテルの前会長だった井本稔さんが亡くなって今日で5ヵ月。氏は私と同じく旧満州「公主嶺市」生まれの同郷のよしみ。彼への想いをネットに掲載して今回で16回目。思はぬアクセス数の急伸ぶりに驚くばかり。なんと今日でもう2000件になんなんとしている。 ...続きを見る

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2015/03/20 05:08
旧満州「公主嶺小学校37回生」(昭和20年卒業)の同窓会
「ひと雨ごとに春めいて参りましたが、その後、いかがお過ごしでしょうか。下記のように『37回生同期会』を開きますので、ご多用とは存じますが、皆さまのご参加をお待ちしています」。幹事の栗林重夫、土屋洸子さんからの案内はがきを頂いた。 ...続きを見る

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2015/03/12 06:08
旧満州「公主嶺っ子」の井本稔さん ブログ一覧・三度
今日は2月20日。井本稔さん(昨年の10月20日)が逝かれた命日。もう4ヵ月、いや、まだ4ヵ月。月日が刻まれるごとに彼のことがよみがえります。あの日、あの頃の立ち居振る舞いが・・・。僕のブログで井本稔さんを偲ぶアクセス数が1300件を超えてきました。 ...続きを見る

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2015/02/20 06:02
革新的理想主義に生きる 井本稔さん
昨年の10月20日、家族の涙で見送られ、多くの友人に惜しまれて亡くなった井本稔さん(上野ターミナルホテルの前会長=80歳)。このほどその生い立ちと人柄を、という声があり、紹介します。昭和が終わる前の年、昭和63年10月31日に、彼にとっては日本の郷里(心の故郷は満洲・公主嶺)・「山口新聞」がシリーズ・「ふるさと有情」で取り上げています。 ...続きを見る

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2015/02/14 06:46
土屋洸子さん関連ブログ 4000を超える
ブログ「満州っ子 平和をうたう」のうち土屋洸子さん関連のブログが本日(15・1・29現在)そのアクセス数で4010になりました。前回の集計は昨年11月21日の3038。したがってこの二ヵ月で972件という著しい増加です。以下ベスト10を紹介します.。 ...続きを見る

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2015/01/31 06:15
「公主嶺っ子」・井本稔さん 関連ブログ再び
満洲・「公主嶺小学校同窓会」の世話人井本稔さんが、昨年の10月20日に亡くなられて今日で3ヵ月。これまで私のブログに10回載せてきましたが、今日でそのアクセス数が900件を超えました。その急増ぶりに、同じく世話人だった土屋洸子さんともども驚き、感動しています。 ...続きを見る

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2015/01/20 06:54
2014年12月 今年最後のブログ一覧
今年(2014年)最後のブログ一覧です。スタートは2008年6月8日、日数に換算すると今日まで2397日。従って毎日1.33件を投稿したことになります。アクセス数は下記の通りですが、PV数は百万件を超えました。「お気に入り」に登録されるなど多くの人にお世話になりました。感謝申し上げます。 ...続きを見る

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2014/12/31 07:21
「公主嶺っ子」 永遠に 井本稔さんブログ一覧
「満洲 公主嶺会」の世話人井本稔さんが多くの人の悲しみのなか逝かれたのが10月20日。あれからもう2ヵ月も過ぎ、やがて新年を迎えようとしている。井本さんが久遠の思いをもつあの公主嶺。その大地と彼が関連したブログをまとめてみた。これで10頁になった。 ...続きを見る

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2014/12/24 11:24
井本 稔さんを偲ぶ 土屋洸子
公主嶺小学校39回生の井本 稔さんが、10月20日朝、旅立たれた。その日は、夕方から公主嶺会が開かれるその日だった。いつもなら井本さんが司会されるのだが、その人がいない。私がマイクを握った。声が出なかった。涙とつばを飲み込んだ。 ...続きを見る

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2014/12/22 07:33
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ
昭和62年に旧満州 公主嶺小学校の同窓会が発刊した「満州 公主嶺過ぎし40年」という記念誌がある。そのなかには特別に紙面が割かれ、少年時代の同窓生が書いた兄・神島利則への追悼文が2篇掲載されている。いずれも友の死を悲しみ、追憶の言葉で刻まれている。 ...続きを見る

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2014/12/16 06:44
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ
1944年12月15日、満洲・公主嶺小学校出身の神島利則海軍中尉がフイリピンで特攻死した。あれから70年、1962年に発刊された「同窓会誌・満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録」に2ページを割いて彼の生き様が記述されている。以下紹介する。なお、同記事は土屋洸子さんが執筆したものと聞いている。 ...続きを見る

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2014/12/15 07:10
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ
兄・神島利則(かみしま・としのり)海軍中尉(1923〜1944)昭和19年12月15日、この日神風特別攻撃隊・第七金剛隊の一員としてフイリピンで突っ込んでいった。享年21歳。彼の故郷は当時日本の支配下にあった旧満州・公主嶺。母神島トミが利則戦死の通知を受けたのは同月23日のことだった。 ...続きを見る

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2014/12/14 08:35
夫の心には赤い夕陽が・・・井本知子
「〜生涯、夫の心には赤い夕陽と そして、同じ色の情熱が消えることはありませんでした〜・・・」井本知子さんからの喪中の書状をいただきました。永久の愛と哀切こもったその文面にしばし見入りました。 ...続きを見る

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2014/12/10 07:37
満洲・公主嶺っ子 井本稔さんをしのぶ
「満洲 公主嶺よ永遠に」の言葉を残され、多くの人に惜しまれて逝った井本稔さん。今日12月7日は49日と聞きます。どうか安らかに眠ってください、あなたの限りないあの大地への思い、そして、日中友好の願いを私たち公主嶺っ子が繋いでいきます。 ...続きを見る

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2014/12/07 06:27
「満洲・公主嶺」苦難の引揚げ 井本稔さん
終戦時の在満日本人は170万人といわれている。あの年に日本に帰国できた人はごく僅か。厳しい冬を住む所も食べ物もなく、死んでいったのは24万5千人という。ほとんどの人は翌年コロ島から引き揚げ船で苦難の帰国を果たした。その中に幼い弟妹を引き連れていた12歳の少年・井本稔さんが健気(けなげ)だった。 ...続きを見る

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2014/12/02 09:29
「満洲っ子 平和をうたう」ブログ 11月
恒例により11月30日現在のブログ、アクセす数の到達度を表示します。ページ数は41、アクセス数は3610、PV数は24526の増加となっています。特徴はランキングには入っていませんが、「公主嶺の会」の世話人・井本稔さん関連のページの著しい伸びです。 ...続きを見る

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2014/12/01 07:36
「公主嶺会」の土屋洸子さんからお便り
昨日、「公主嶺会」の世話人、土屋洸子さんからお便りをいただきました。10月に開かれた「公主嶺会の集い」のレポートです。加えてあの年、在満日本人が苦難のすえ帰国できた”秘話”です。そしてこの「会」をどうするか、の提案です。 ...続きを見る

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2014/11/30 07:34
土屋洸子さん関連ブログ 3000突破
「満洲っ子」に掲載の土屋洸子さん関連ブログのアクセス数が昨日(2014年11月21日)で3000を突破しました。スタートが昨年10月。ほぼ一年間でのスピードでここまでの増加は数少ない事例。以下アクセス数のベスト10を紹介します。 ...続きを見る

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2014/11/23 05:45
「満洲・公主嶺」亡き妹に 井本稔さん
これは満洲・公主嶺会の世話人だった亡き井本稔さんの望郷のエッセイ。あの地の日本人墓地に眠る妹さんに捧げる一文。頃は昭和15年。淡々とした筆致のなかにあの大地を、妹・弘代さんをしのぶ思いが伝わってくる。(「満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録」より) ...続きを見る

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2014/11/22 07:42
「満州・公主嶺」はわがルーツ 井本 稔さん
旧満州の公主嶺という町の国民学校で同窓だった井本 稔さん(80)。長らく「公主嶺会」という同窓会の幹事を務めていたがこの10月20日、惜しまれながら逝去された。その井本さんが同会の発行になる「満洲 公主嶺 過ぎし40年の記録」に寄せた思いあふれるエッセイを紹介する。 ...続きを見る

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2014/11/16 06:02
満洲 公主嶺よ永遠に 井本稔さんが逝った
この20日、旧満州の公主嶺という町の「同郷の集い」が上野で開かれた。久しぶりの再会にみな胸を弾ませて寄り合ったはず。しかしその冒頭、幹事の一人井本 稔さんが今朝亡くなったとの知らせに声を失い、ただただ会場は静まりかえった。闘病中とは聞いていたが、会の当日に別れが告げられるとは・・・.。 ...続きを見る

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2014/10/26 05:18
旧満州 「公主嶺会」いよいよ
その昔満洲と呼ばれたことのある中国の東北部。そこにある「公主嶺」という小さな町に生まれ、育ち、あるいは兵隊として駐屯したことのある人びとなど、関わる人々が集う「公主嶺会」がほどなく開催されます。なにせ平均年齢80歳、今回で最後になるかも知れません。それだけに懐かしさを惜しむ声が多く聞かれます。 ...続きを見る

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2014/10/11 06:28
1409 土屋洸子さん 関連ブログ一覧
ブログ「満洲っ子 平和をうたう」に掲載の土屋洸子さん関連(14年9月末まで)のページ一覧をご紹介します。ページ数は今回で30、総アクセ数は前回(7月)より228件増の2602となりました。以下はそのベスト12です。 ...続きを見る

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2014/09/29 07:01
9・18 満洲っ子は忘れない
今日、9月18日、(チュ・イ・パー)は1931(昭和6)年、柳条湖爆発の謀略により、日本が満洲侵略を始めた最初の日。その翌年4月にあの地で生まれた僕にとっては忘れられない日になっている。そして中国人には「怨嗟」の日であろう。 ...続きを見る

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2014/09/18 07:40
ブログ「満洲っ子」 公主嶺一覧
「満洲っ子 平和をうたう」ブログのうち「公主嶺」関連の数値を表示します。これは8月末現在のものですが、4月末からの推移を載せてみました。件数は78から94件に、アクセス数は9271から11094件となりました。なお、当面は必ずしも「公主嶺」関連に限定せず、広く「満洲」の事柄も取り上げる予定です。 ...続きを見る

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2014/08/31 08:54
八月に戦死 海軍学徒飛行兵
これは69年前、軍国少年だった「満洲っ子」の忘れられないメモリーの一つである。1944(昭和19)年の12月にフイリピンでゼロ戦に搭乗、特攻死した兄(神島利則=かみしまとしのり)の戦友たちが、遠く大陸・満洲に飛来。その数日のあいだに起きた悲しくも辛い話だ。内山光雄海軍中尉(石川県出身=駒沢大出)ほか5人の若者の顔が、8月になると、今でもよみがえる。 ...続きを見る

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2014/08/13 06:34
満洲・公主嶺会のお誘い 望郷の思い 再び
旧満州・公主嶺(現中国・東北部)に関わりのある人たちの集い・「公主嶺会」のお知らせをいただきました。来年は戦後70年を迎えますが望郷の思い絶ちがたく、今年も来る10月20日(月)に東京・上野で開かれることになりました。世話人の方々ご苦労さまです。 ...続きを見る

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2014/08/12 08:19
1407 土屋洸子さん関連ブログ一覧
土屋洸子さん関連ブログ(14年7月19日現在)の集計をお知らせします。総件数は27件。総アクセス数は2374件となっています。スタートしたのは昨年(13年)の10月22日でした。 ...続きを見る

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2014/07/20 06:25
土屋洸子さん 満州を想う 完
土屋洸子さんが「子どもの本棚」(1986年8月号)に書いた満洲に関連する書評の第4弾。表題は「スンガリー川の姉妹」(和田 登文 こさか しげる絵)だが、「満州と子どもたち」とでもいえる総論にもなっている。 ...続きを見る

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2014/07/05 05:01
’14年6月 土屋洸子さん関連ブログ
旧満州(現中国・東北部)「公主嶺小学校」で同学年だった土屋洸子さん。彼女に関連するブログのアクセス数一覧(6月30日現在)をご紹介します。スタートは昨年の12月。ページ数は25、総アクセス数は2203。昨月は1757でしたから446件の増加です。 ...続きを見る

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2014/06/30 13:44
郵便物は届き続けた 土屋洸子(旧姓池田)さん
昭和21年、父親が技術残留を余儀なくされたため、妹さんと二人で引き揚げてきた土屋洸子さん。親戚ほか知人の心やりがあったとしても、さぞかしご苦労の連続だったと思われます。そして、当時の現地は国共内戦など大混乱。そのなかで文通が出来たという話、ほのぼのとしたもの、また両国庶民の歴史的絆の深さを感じます。 ...続きを見る

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2014/06/29 05:56
満州からの引き揚げ秘話 土屋洸子
昭和21年7月21日、公主嶺を多くの人が引き揚げる日、私は農事試験場の技術者留用となった父、母と下の妹二人と別れ、7歳の妹と公主嶺を出発した。(満州・公主嶺 過ぎし40年の記録ー516ページから) ...続きを見る

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2014/06/24 11:12
土屋洸子さん 満州を想う B
土屋洸子さん(つちや・ひろこ)の「満州を想う」と題した「書評」の第3弾。今回は女優・小林千登勢さんが書いた「お星さまのレール」。「子どもの本棚」1983年3月号に掲載されたもの。自らの体験を重ねての述懐記でもある。「加害の立場を忘れてはいけない」との結びが極めて印象的。 ...続きを見る

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2014/06/20 07:34
土屋洸子さん 満州を想う A
土屋洸子さんが「子どもの本棚・1989年5月号」に書いた書評です。それは「ニーハオといわなかったころ」(かつお・きんや作)を取り上げ、満州でのさまざまな思いをこの書に託してコメントしたものと思われます。本ブログでは2回目になる彼女の書評シリーズ。どうぞ! ...続きを見る

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2014/06/12 06:00
土屋洸子さん 満州を想う @
旧満州・公主嶺育ちの土屋洸子さん。あの8月は新京・敷島女学校の一年生。戦後の苦難の一年間をかの地で過ごし、引揚げたのが北海道・札幌市。北大の農学部を卒業、いわゆるリケ女ながら文筆をよくし、満州に関する書籍の書評を書き記している。 ...続きを見る

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2014/06/09 10:59
満州・公主嶺小学校の同窓会に参加
「先月5月31日(土)、東京・アルカディア市ヶ谷7階「吉野」で開かれた第35回同期会にご参加くださいまして、ありがとうございました」。この会の幹事をされた栗林重夫君、土屋洸子さん連名の礼状が記念写真を添えて送られてきました。 ...続きを見る

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2014/06/06 10:34
満州・公主嶺小学校の同窓会に参加
昨日・5月31日に久方振りに少年時代過ごした小学校の同窓会に参加した。その時の感想を今日、フェイスブックで発信したところ、すぐさま返信があった。その方は町田市の前市会議員の佐藤洋子さん。ありきたりのメル友だけでなく、このごろは想いがすぐ通じる心友になってきた。 ...続きを見る

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2014/06/01 11:31
’14年5月 土屋洸子さん関連ブログ
旧満州(現中国・吉林省)「公主嶺小学校」の同窓会の世話人、土屋洸子さん「関連ブログ」の一覧をご紹介します。昨年の12月スタート以来6ヵ月になりますが、アクセス数は順調にのばしています。ページ数は16頁、総アクセス数は1787(5月28日現在=前回は1683)となりました。以下ベスト10を紹介します。                  ...続きを見る

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2014/05/28 09:53
’14年5月 土屋洸子さん関連ブログ
旧満州の公主嶺小学校同窓会の世話人、土屋洸子さんの「関連ブログ」の一覧をご紹介します。昨年の12月から始めてほぼ5カ月。ページ数は14.アクセス総数は1683件(4月30日現在)となりました。以下ベスト10を列挙します。 ...続きを見る

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2014/05/02 15:39
満洲っ子ブログ 「公主嶺」一覧
「満洲っ子 平和をうたう」ブログのうちテーマ「公主嶺」関連のものを披露させていただきます。スタートしたのが08年の4月。今回で78ページ。以下アクセス数のベスト20を列挙しますが、総アクセスすうは9271を数えることになりました。なお、広く旧満州の事柄も含まれています。 ...続きを見る

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2014/04/27 07:32
「海ゆかば」歌った卒業式 そして
弥生3月は「別れの月」。そして卯月4月は「出会いの月」。誰しもが回想するのは、子どものころの卒業式で何を歌ったかでしょう。僕が小学校(当時は国民学校)を卒業したのは、あの戦争の最終年、1945(昭和20)年の3月でした。 ...続きを見る

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2014/03/14 05:58
旧満州公主嶺小 37回生同窓会
旧満州公主嶺小学校、37回生(昭和20年3月卒業)の同窓会のお知らせを頂きました。5月31日東京で開かれるとのことです。あの年の8月に別かれて以来69年ぶりに再会できる方もいらっしゃると思うと懐かしさがこみ上げ、待ち遠しく思います。幹事の栗林重夫君、津山良子さん、土屋洸子さん お世話になります。 ...続きを見る

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2014/03/11 05:13
「満洲っ子」ブログ 14年1月一覧
今年はじめての私のブログ一覧である。ページのトータルは下記のように2769件となった。スタートしてから5年半であるから、月41ページUPしたことになる。ここのところ欠かす日が無いことから思えば、いささかクレージかもしれない。だが「止まらない止まらない・・・」はもう制御できなくなった。 ...続きを見る

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2014/02/01 09:17
土屋洸子さん関連ブログ14年1月
旧満州の公主嶺小学校同窓会の世話人、土屋洸子さんの「関連のブログ」としてスタートしたのは昨年12月1日。以来2カ月、それ以前のもの8ページを加えるとアクセス数は1222件を数えます。 ...続きを見る

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2014/01/30 07:10
「満洲っ子」ブログ 13年12月一覧
ブログ「満洲っ子」がスタートしたのは2008年6月9日。今日13年12月31日で5年半になります。以来ページ数は2716.以下アクセす数ベスト20を紹介します。 ...続きを見る

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2014/01/01 04:57
兄・神島利則中尉特攻死
昭和19年12月15日は兄・神島利則中尉が特攻死した日だ。この日神風特別攻撃隊・第7金剛隊の一員としてフイリピン・ネグロス島近辺で突っ込んでいった。21歳だった。彼の郷里は当時日本の植民地であった満洲・公種嶺市。母神島トミが利則戦死の通知を受けたのは23日のことだっった。 ...続きを見る

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2013/12/15 06:33
与謝野晶子と旧満州・公主嶺
与謝野晶子(1878〜1942年)12月7日、この日生まれた歌人。夫、鉄幹とともに雑誌「明星」の中心となる。肉体と感情の解放を歌い上げた。日露戦争での「君死にたまふことなかれ」は反戦詩として今日までうたい継がれている。 ...続きを見る

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2013/12/07 07:43
土屋洸子さん関連ブログ一覧
あの戦争中、旧満州の公主嶺という小さな町で少年、少女時代をともにした「満州っ子(永井至正)」と土屋洸子(つちやひろこ)さん。戦後内地で一時再会をはたしたものの、諸事情で別離の状態にあった。それがこの9月奇跡的に出会い、旧交を暖めるなかで彼女があの地のことを書き綴ってきたものに目を見張ってきた。 ...続きを見る

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2013/12/01 06:54
満洲 公主嶺”過ぎし40年の記録”
「満州公主嶺 過ぎし40年の記録」という500ページを超える記録誌がある。かって、日露戦争以後日本の傘下にあった南満州の公主嶺という町の始まりから、その終焉にいたるまでの全てを記録した大冊である。その上梓に至るまでの苦渋に満ちた編纂作業の一端を編集委員の一人土屋洸子さんが記している。 ...続きを見る

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2013/11/08 09:47
「満洲」若い世代にも 「安東市」の場合
満洲(現中国東北部)の安東(現丹東)出身者でつくる「安東会」(北区)の第58回大会が5日午前11時から、文京区の湯島天満宮で開かれる。満洲関係者の会の解散や縮小が相次ぐ中、「二世や三世にも知ってほしい」と若い世代の参加を呼びかけている。(東京新聞・11月3日付) ...続きを見る

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2013/11/05 09:34
故郷ー「満洲・公主嶺」ブログ一覧
僕の生まれ故郷は旧満州(現中国東北部)・公主嶺市。これまで、あの地での遍歴や想いなど関連のものは他のテーマに振り分けていましたが、このほど統一することにしました。名づけて「満州・公主嶺」。現在統合の準備をすすめており、今日まで57ページを集約することができました。以下はその主なものです。 ...続きを見る

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2013/11/02 14:06
「満州っ子」ブログ「公主嶺」一覧
「満州っ子」ブログに本日からテーマ「公主嶺」を新設します。これまで「公主嶺」関連のページは他のテーマに付記していましたが、独立ということになります。おおよそ100を超えるとおもわれますが、今回は14件をリンク、順次検索の上表示することにします。 ...続きを見る

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2013/10/29 09:26
写真で見る 公主嶺小の同窓会
旧満州・公主嶺小学校の同窓会が10月21日、上野で開かれましたた。終戦の年3月卒業の「満州っ子」。20数年ぶりの出席とあって、旧友との再会に懐かしさあふれ、和みの一夜を過ごしました。総勢40数人参加の中から同期生(37回生)のスナップ写真を以下掲載します。 ...続きを見る

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2013/10/26 13:26
夢でなかった 公主嶺との再会
「別れ」は悲しくて辛いものと相場は決まっているようだが「出会い」よりはまだいい。それは「出会い」は必ずその先に「別れ」が待っているが、「別れ」はいつか新しい「出会い(再会)」という、ふくよかな「夢と希望」が待っているかもしれないからだ。そう、この9月、確かに夢が向こうから手を差し延べてくれた。 ...続きを見る

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2013/10/22 14:14
ハルモニの言葉に感動
先にも引用したが、これも同日付(6月8日)東京新聞の「発言欄」である。橋下大阪市張の「慰安婦制度は必要だった」の発言に痛烈な批判の言葉を放っている。埼玉県草加市の奥長あきさん(50)の投稿を紹介する。 ...続きを見る

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2013/06/10 13:45
あのとき歌った この歌 −10−
昨夜、テレビが懐かしのメロディーを放映していた。聞くともなく耳に入ってきたのが「鈴懸の径」だった。思いで深いこの歌、思わず口ずさんでいた。三兄・信男(のぶお)のお気に入りの歌だった。 ...続きを見る

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2013/05/15 09:25
あのとき歌った この歌 −9−
「♪旅のつばくろ 淋しかないか/おれもさみしい・・・」ーころは、昭和12(1937)年、ところは旧満州・公主嶺街(現中国東北部)。おふくろが仕立物をととのえながら、蓄音器からながれる歌にあわせて口ずさみます。何を思うのか哀調がただよいます。 ...続きを見る

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2013/05/13 13:22
あのとき歌った この歌 −7−
敗戦の年、満州から命からがら引き揚げてきたぼく。帰国して見た日本の惨状、とりわけ東京・下町の凄絶な様は筆舌に尽くし難く、遠く隅田川を越えて日本橋は、三越の廃墟が望見できるほどの光景は忘れられません。 ...続きを見る

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2013/05/06 09:12
あのとき歌った この歌 −3−
弥生3月は「別れの月」。そして卯月4月は「出会いの月」。誰しもが回想するのは、子どものころ卒業式に何を歌ったかでしょう。昨年の3月、しんぶん「赤旗」の「家庭欄に寄せられた、静岡県の田中眞理子さんの卒業式に寄せる思いがよみがえる。 ...続きを見る

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2013/04/16 06:42
4月6日 沖縄と「満州っ子」
1945(昭和20)年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸して以来、沖縄・南西諸島では陸・海・空で死闘が繰り広げられていた。そうしたなか、戦艦大和が沖縄戦最後の切り札として呉軍港を出港したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は420機。 ...続きを見る

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2013/04/06 14:38
「満州っ子」永井瑞江さんの一周忌
1月19日は永井瑞江(みずえ=79歳)さんの一周忌だ。「鎮魂の満州ー3部作」を書いた彼女の想いを反芻する日だ。彼女とは名も同じなら齢も同じ、その上生まれが旧満州。ある時から、意気投合。あの大陸の地で繰り広げられた悔恨の事実を手紙でやり取りをする間柄になっていた。 ...続きを見る

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2013/01/24 06:55
兄 神島利則 特攻死 命日
兄・神島利則海軍中尉(大正13年生まれ)は旧満州・公主嶺小学校を卒業後、新京(現・中国東北部ー長春)中学に入学、その後拓殖大学に進む。1943(昭和18)年9月第13期海軍飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊、飛行訓練を受けた。 ...続きを見る

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2012/12/15 05:14
「満州」とは何だったのか
来る10月22日、日中国交回復40周年を記念して、中野ZERO小ホールで「講演と合唱の夕べ」が開かれます。これには脚本家のジェームス三木さんが出演、「『満州』とは何だったのか」と題して講演。この日が初演となる「合唱組曲・『再生の大地』」も演奏され、多くの人から期待されています。 ...続きを見る

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2012/10/10 06:14
9・18 満州っ子は忘れない
「今日、9月18日、(チュー・イー・パー)は1931年、柳条湖爆発の謀略により、日本が満州侵略を始めた最初の日。中国東北部に住む中国人は幼稚園でも『怨みの日を忘れるな』と教えるという日です。私も9・18を忘れないようにしたい、いろんな意味で」、こんな書き出しで始まる長文の残暑見舞いをいただきました。 ...続きを見る

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2012/09/18 07:29
「リンゴの唄」を 東北に
「NPO法人高齢者が住みよいまちづくりの会」編集部から連絡がありました。機関紙8月号に掲載するため「何か一文を?」 という要請を受けて書いた3本のうちの1編です。 ...続きを見る

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2012/08/04 08:53
夢みる 「謝罪と鎮魂の旅」
東京・江東区の日中友好協会江東支部では「事務局だより」に載せる記事を募集している。すでにこれまで何回か投稿し掲載されたが、なにせ紙面がA4版の裏表と狭いので、500字以内と制限されている。短文で意を尽くすことの難しさに敢えて挑戦してみたが・・・。 ...続きを見る

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2012/07/21 04:52
満州っ子 永井家の人々
1975(昭和50)年7月13日、永井家(旧姓神島)の四男、神島四郎が54歳で逝った。その年4月、弟の至正は江東区議選で次点で落選。喘いでる最中だった。戦犯としてシベリアに抑留され、辛酸をなめ帰国。以後天賦の商才を発揮、会社を経営していた兄・神島四郎。 ...続きを見る

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2012/07/13 07:05
永井瑞江さんを悼む −1−
しんぶん「赤旗」の書籍広告欄をみて思わず「アッ」と言っていました。そこには「永井瑞江の本・鎮魂満州」ー「大陸に散った邦人24万5千人の魂に捧げる渾身の遺作」と書かれているではないですか。「遺作」という二文字に目が釘付け、もしかしたらという不安がよぎりました。 ...続きを見る

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2012/07/04 05:38
日中友好 江東支部便りNO68号
先ごろ、日中友好協会江東支部事務局から、「たより」に載せるから何か書いて! と言われましたので、中国に関連のある2編を送り、どちらでも結構ですといったら二つとも載せられているので驚いています(下欄)。しかも初っ端に「永井至正さんのお話し」との見出しにしているではないですか。 ...続きを見る

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2012/05/28 04:58
「東京発北京行き」だって
東海道新幹線の「のぞみ」と「ひかり」号なら誰でも知っているし、乗ったことがあるでしょう。だが「戦争中に、僕は『のぞみ』と『ひかり』という急行列車に何度も乗ったことがありますよ」というと、みんな驚きます。 ...続きを見る

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2012/04/08 06:08
中国語との出合い「何日君再来」
 いまからちょうど60年前。1952(昭和27)年4月、慶応に入って通い始めたのは、東横線・「日吉」の教養学部。旧満州生まれの僕が第三語学として選んだのがやはり中国語だった。その初めての授業のことである。(日中友好協会江東支部に寄せた一文) ...続きを見る

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2012/04/07 04:28
満州に 望郷と自責の念絶えず
日中友好協会江東支部の「事務局だより」の編集長より紙面になにか書いてくれ、との要請にこたえた三本のうちの一本である。 ...続きを見る

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2012/04/06 09:45
4月6日 沖縄戦と誕生日
昭和20年4月1日、米軍が沖縄に上陸して以来、沖縄・南西諸島近海では空、海で死闘がくりひろげられていた。そうしたなか、戦艦大和が沖縄戦最後の切り札、水上特攻として呉軍港を出港したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は420機。「満州っ子」が生まれた日も4月6日(昭和7年)。奇しくも同月同日が生死の別れ目だったとは・・・。 ...続きを見る

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2012/04/06 05:31
「二度といや」 卒業式でこの歌
3月は「別れの月」、そして4月は「出会いの月」。誰しもが回想するのは子どものころの卒業式に何を歌ったかでしょう。しんぶん「赤旗」が「くらしと家庭欄」で「私の卒業」という欄を続けていました。23日付で静岡の田中眞理子さん(81)が卒業式の想いを寄せています。 ...続きを見る

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2012/03/24 12:14
なかにし礼の「赤い月」をみて
なかにし礼のテレビドラマ「赤い月」が放映された。旧満州で生まれ育ったものにとっては見逃せず五時間をいっきに見終えた。ストーリーもさることながら自分の少年期、少女期を過ごしたあの時代と赤い夕日の沈む雄大な無垢なまでの大地を想い遣って少なくない衝撃を受け郷愁を感じたに違いない。 ...続きを見る

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2012/03/20 08:21
今日は歌おう 「何日君再来」
日中友好協会江東支部から「中国語茶話会」の知らせをいただいた。お茶を飲みながら親睦を図り、中国語を勉強しようという趣旨でこれまで4回重ねてきたという。だったら「満州っ子」の僕も行って流暢な(?)中国の歌でもうたって自慢しようという魂胆で練習開始だ.。 ...続きを見る

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2012/03/18 12:57
兄 神島利則中尉 特攻死
全日本年金者組合江東支部の機関紙・「江東・年金」の紙面に「心のファイル」とうコーナーがある。組合員の半生を書き記したいわゆる「人」欄である。他の記事と違って「ここだけは読みますよ!」と評判のページ。当時編集長だった木村清子さんが私、満州っ子の来し方をつづってくれた。(2008年12月) ...続きを見る

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2011/12/15 16:29
中国残留婦人の娘として
日中友好協会江東支部の忘年会で図らずも一人の女性にお目にかかった。映画・「花の夢」の主人公、栗原貞子さんの娘さん、優子さんでした。満州っ子が来年はどうしても生まれ育った旧満州へ謝罪と鎮魂の旅をしたいと挨拶したら隣席にいた彼女から分厚い資料を寄せていただいた。 ...続きを見る

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2011/12/12 09:15
栗原優子さんに会えた
昨日、お知らせを頂いていた日中友好協会江東支部の「望年会」に参加して驚いた。12月初めにブログ・「中国残留孤児たちの今」と題して書きこんだ記事の主人公・栗原優子さんが見えられ、しかも席が隣り合わせだったからだ。彼女といえば中国残留婦人・栗原貞子さんの娘さんであることは先刻承知していたが・・・。 ...続きを見る

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2011/12/11 13:33
今日の一言 与謝野晶子
与謝野晶子(1878〜1942)12月7日、この日生まれた歌人。夫 鉄幹とともに「明星」の中心となる。肉体と感情の解放を歌いあげた。「君死にたまふことなかれ」は反戦詩として今日までうたい継がれている。(永井至正編) ...続きを見る

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2011/12/07 07:45
♪「別れ船」と「かえり船」
今年92歳になるバタヤンこと田端義夫さん。彼が戦前(昭和15年)に歌った「別れ船」と、戦後間もなくヒットした「帰り船」(昭和21年)の明暗がくっきりしている。「別れ」は出征した兵士の帰還を望んでいた思いがかなわず、という失意のうた。「帰り」は待ち望んでいた兵士たちが帰ってきた、という安堵のうただった。 ...続きを見る

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2011/09/28 05:10
「満州事変」から80年
1931(昭和6)年、9月18日、旧満州(現中国東北部)南部の中心都市・奉天(瀋陽)の東北方にある柳条湖付近で満鉄の線路が爆破された。いわゆる「満州事変」の勃発である。あれから80年。ほとんどの日本人はこの事件は忘却の彼方に・・・。「15年戦争」の口火になったこの事件。今一度反芻しなければ。 ...続きを見る

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2011/09/18 06:41
「満州っ子」英文で表示B
Activities that are vibrant and KOTO. The NPO "Livable City Planning Board of the elderly from" In August "peace and welfare," a sentence what the theme of the issue, wrote that at the request. Experience of suffering and pulled from a boyhood spent ... ...続きを見る

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2011/09/14 06:54
「満州っ子」英文で表示A
「満州っ子 平和をうたう」のうちテーマ「雲ながるる果てに」が英文に翻訳されています。前回@のように逐条記述します.今回は08年10月に掲載した「神風特攻隊の戦死者数」です。どなたが訳されたのか不明ですが、固有名詞、軍隊用語、日本語特有の言い回しについては私が若干の修正を加えました。 ...続きを見る

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2011/09/04 06:18
旧満州から苦難の逃避行
忘れもしない1945(昭和20)年8月9日未明、ソ連参戦。ソ連軍は戦車隊を先頭に怒濤(どとう)のようにソ満国境の東西北から一斉にアムール河(黒竜江)を越え、南方方面に手勢を割(さ)かれていた(当時、在満在留の日本人男性を45歳まで根こそぎ動員していたが、小銃は三人に一丁)斜陽(おちめ)の関東軍を急襲した。 ...続きを見る

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2011/08/26 08:34
1945年8月10日の記憶
これは66年前軍国少年だった「満州っ子」の忘れられないメモリーの一つである。前の年の12月にフイリピンで零戦に搭乗、特攻死した兄の戦友たちが遠く大陸に飛来、その数日の間におきた悲しくも辛いエピソードだ。内山光雄海軍中尉ほか五人の若者の顔がいまでも忘れられない。 ...続きを見る

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2011/08/10 10:08
あの日 ピョンヤンにいた
今年は戦後66年。八月になればよみがえります。1945(昭和20)年の夏は、思い出すさえ暑かったと誰もがいいます。あの日、8月15日の夜、私の乗っていた避難列車は北朝鮮のピョンヤン(平壌)駅ホームに。「マンセイ! マンセイ!」と歓呼する朝鮮の群衆に囲まれていました。 ▼旧満州・新京駅前ひろば ...続きを見る

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2011/08/05 06:52
“満州っ子”HP作成GO!
今日は6月21日。私のホーム・ページ・「満州っ子・平和をうたう」作成の準備が整いようやくスタートさせることができました。先ずはそのトップ・ページの絵作りの由来を紹介しましょう。順次、生まれた旧満州・公主嶺市の概要なども掲載していきます。 ...続きを見る

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2011/06/21 10:24
第1回母親大会から56年
いま、私の年から56を引くと23歳。慶応卒業の年、まだ決起盛んなときだ。思いだすのは母親(存命なら116歳)と手を携えて向かったのが豊島公会堂の母親大会。参加した人の誰しもが涙、なみだがとめどなく溢れたつどい。息子を特攻隊で失った私のおふくろもその一人。支えるのが精一杯の一日だった。 ...続きを見る

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2011/06/07 15:33
札幌発ロンドン行きだって!
今朝、東北新幹線が新青森まで開通したようです。一番列車・「はやぶさ」は東京ー新青森を3時間10分で突っ走るというから驚きです。新幹線といえば三年前だったかタイトルと同じような題名で、昔話を書いたコラムがありますので再録しましょう。 ...続きを見る

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2011/03/05 13:21

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