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zoom RSS テーマ「雲ながるる果てに」のブログ記事

みんなの「雲ながるる果てに」ブログ

タイトル 日 時
八月に戦死 海軍学徒飛行兵
八月に戦死 海軍学徒飛行兵 これは69年前、軍国少年だった「満洲っ子」の忘れられないメモリーの一つである。1944(昭和19)年の12月にフイリピンでゼロ戦に搭乗、特攻死した兄(神島利則=かみしまとしのり)の戦友たちが、遠く大陸・満洲に飛来。その数日のあいだに起きた悲しくも辛い話だ。内山光雄海軍中尉(石川県出身=駒沢大出)ほか5人の若者の顔が、8月になると、今でもよみがえる。 ...続きを見る

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2014/08/13 06:34
美空ひばりと反戦歌 今日生誕77年
美空ひばりと反戦歌 今日生誕77年 今日(5月29日)は、昭和が生んだ最大の女性歌手、美空ひばり(1937年5月29日〜1989年6月24日)の生誕77年、没後25年にあたる。生誕地横浜の旧宅が一般に公開されるなど各地で記念式典が催される。 ...続きを見る

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2014/05/29 09:02
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 終
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 終 海軍飛行学生の主力は東京六大学をはじめ、ほとんどの大学、高専、師範学校の出身で占められていた。以下の二人は、奇しくも早稲田と慶応。「都の西北」と「丘の上」が4月29日という同日、搭乗機も同じく零戦、沖縄の空に散っていった。早慶のエールの交換は神宮球場だけにしよう。 ...続きを見る

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2014/04/29 05:48
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 G
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 G 特攻隊員の選出は形式上は志願という形がとられていた。しかし、内実は、上官から”大義”への道を説かれ、あるいは、周りの状況にやむを得ぬものを感じて自らも名乗り出ているのだった。こうしてわれに死を覚悟させ、ただひたすらに”不惜身命”(ふしゃくしんみょう)だけを考えて敵地へ突入させられていった者が少なくなかった。 ...続きを見る

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2014/04/28 04:49
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 F
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 F 特攻隊員の遺書。そのなかには”母上様””母を思う”という言葉が多い。国を護る。母を思う。特攻隊員たちの心には、果たして、どちらが深く沈んでいたのだろうか。 ...続きを見る

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2014/04/23 05:43
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 E
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 E 4月6日呉の軍港を片道の燃料だけを積んで出撃した日本海軍の戦艦「大和」は7日、奄美大島沖で撃沈された。戦没者3千数百人と聞く。一方、空からは残り少ない「ゼロ戦」を全国からかき集め沖縄へ突っ込ませる無謀な作戦を強行した。 ...続きを見る

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2014/04/16 07:42
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 D
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 D 海軍には零戦という艦上戦闘機があった。開戦当初は名機としてもてはやされたが、大戦末期は特攻機として使用され、250キロで爆装して若者の多くが南方で、沖縄で突っ込んでいった。名機どころか悲しい末路をたどっていったのである。熊倉中尉もその一人であった。 ...続きを見る

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2014/04/14 06:58
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 C
沖縄で戦死した 海軍飛行学生 C ●小島 博海軍中尉 「教え子へ」 東京第一師範 北海道出身。昭和20年4月12日沖縄方面にて戦死、特攻ロケット「桜花」搭載した一式陸上攻撃機上で戦死。 22歳。 ...続きを見る

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2014/04/12 06:10
沖縄戦で戦死した 海軍飛行学生 B
沖縄戦で戦死した 海軍飛行学生 B 以下に掲載する4人の海軍飛行予備学生。緊迫した状況の中で合作で川柳を百首つくり飛び立った。2人は6日、後2人も11日、相連れ立って突っ込んで行き、帰らぬ人となった。彼らがどのような心情で作成したのか推し量るすべもないが、読み込むほどに胸に迫ってくる。 ...続きを見る

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2014/04/11 08:37
沖縄戦で戦死した海軍飛行学生 A
沖縄戦で戦死した海軍飛行学生 A 昭和20年4月1日、米軍は千数百隻の艦隊と50万人に近い兵力をもって沖縄への攻撃を開始した。制海・制空権を奪われていた日本軍が最後の頼みとしたのが”特攻”だった。6日は呉軍港から戦艦大和が出撃、沖縄戦最大の特攻機が九州から飛び立ち帰らなかった。彼らの遺文を見てみよう。 ...続きを見る

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2014/04/06 06:54
沖縄戦で戦死した海軍飛行学生 @
沖縄戦で戦死した海軍飛行学生 @ 1945年4月に米軍沖縄本島に上陸。以来陸上では壮絶な死闘が6月まで続けられたが、軍部は空からも無謀な特攻作戦を強行した。その主力は学徒出陣による飛行予備学生、そして年端も行かない予科練習生が主力で死地に追いやった。本日から4月に沖縄方面で戦死した飛行予備学生たちの遺書を順次掲載していく。本稿はその第1回。 ...続きを見る

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2014/04/03 10:15
戦死した兄が歌った 「別れ船」
戦死した兄が歌った 「別れ船」 1943(昭和19)年、フィリピンで特攻死した兄が学徒出陣の別れの宴でうたった歌が田端義夫さんの「別れ船」だった。その田端さんが惜しまれて一昨日亡くなった。東京新聞が「筆洗」で書いた。彼の歌声は昭和の記念碑だったと書いた。 ...続きを見る

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2013/04/28 05:38
あのとき歌った この歌 −5ー
あのとき歌った この歌 −5ー 「沖の鴎と飛行機乗りは・・・」。この歌は戦時中、特攻隊員が出撃の前夜、送別の小宴で決まってうたった歌という。そろそろ酔いがまわりかかったころ、故郷の山や海や川を、おふくろの眼差しを、そして彼女の涙を想い出し、眼をしばたたきながら半ば虚ろ気味にうたった「さよならの唄」だ。 ...続きを見る

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2013/04/26 05:11
「雲ながるる果てに」 ブログ 一覧
「雲ながるる果てに」 ブログ 一覧 僕のブログ・「満州っ子 平和をうたう」のうちテーマ「雲ながるる果てに」が今回で99件、総アクセス数は8060になった。100回を前にしてアクセス数の多い順に20件を表示する。 ...続きを見る

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2013/04/25 05:57
4月6日 沖縄と「満州っ子」
4月6日 沖縄と「満州っ子」 1945(昭和20)年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸して以来、沖縄・南西諸島では陸・海・空で死闘が繰り広げられていた。そうしたなか、戦艦大和が沖縄戦最後の切り札として呉軍港を出港したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は420機。 ...続きを見る

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2013/04/06 14:38
兄 神島利則 特攻死 命日
兄 神島利則 特攻死 命日 兄・神島利則海軍中尉(大正13年生まれ)は旧満州・公主嶺小学校を卒業後、新京(現・中国東北部ー長春)中学に入学、その後拓殖大学に進む。1943(昭和18)年9月第13期海軍飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊、飛行訓練を受けた。 ...続きを見る

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2012/12/15 05:14
Si tratta di un concerto di Masako
Si tratta di un concerto di Masako Un anno e mezzo dal terremoto di Tohoku dello scorso anno. Per commemorare il 11 marzo 11 dicembre oggi, Masako ha tenuto un concerto. Ho cantato principalmente chanson. Si tratta di una foto di quel tempo.(Ushiyama de Reiko) ...続きを見る

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2012/12/14 10:39
山田和夫さんが逝かれた
山田和夫さんが逝かれた 山田和夫さんが亡くなられたお知らせを受けてもう10日余りになる。映画評論家としての卓越した評論もさることながら、私自身は個人的なふれ合いもあって死の衝撃は言葉にならない。「日本映画がいい」と題して講演された江東区高齢者集会でのこと、ブログに論文の掲載をご家族から快くご承諾をいただいたことは忘れられない。 ...続きを見る

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2012/08/20 05:13
中村メイ子さんと特攻隊員 続
中村メイ子さんと特攻隊員 続 作家だった父、中村正常(まさつね)は「戦争文学を書くのが嫌いだった」と戦争中に筆を折りました。文化財が多いから空襲を受けないだろうと考え、私が子どものころ一家で奈良に疎開しました。平和そうな村で電車を降りて、「三人で暮らせる家はありませんか」とメガホンで叫び、家を探しました。 ...続きを見る

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2012/06/07 05:05
4月6日 沖縄戦と誕生日
4月6日 沖縄戦と誕生日 昭和20年4月1日、米軍が沖縄に上陸して以来、沖縄・南西諸島近海では空、海で死闘がくりひろげられていた。そうしたなか、戦艦大和が沖縄戦最後の切り札、水上特攻として呉軍港を出港したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は420機。「満州っ子」が生まれた日も4月6日(昭和7年)。奇しくも同月同日が生死の別れ目だったとは・・・。 ...続きを見る

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2012/04/06 05:31
兄 神島利則中尉 特攻死
兄 神島利則中尉 特攻死 全日本年金者組合江東支部の機関紙・「江東・年金」の紙面に「心のファイル」とうコーナーがある。組合員の半生を書き記したいわゆる「人」欄である。他の記事と違って「ここだけは読みますよ!」と評判のページ。当時編集長だった木村清子さんが私、満州っ子の来し方をつづってくれた。(2008年12月) ...続きを見る

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2011/12/15 16:29
開戦70年 12月という月
開戦70年 12月という月 12月になりました。この国にとって、12月はあの戦争をしっかり考える月です。そして「二度と繰り返してはならない」と反芻する月でもあります。数年前東京新聞に投稿した12月8日によせる思いを再現してみます。コラム風にアレンジしてみました。 ...続きを見る

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2011/12/01 07:22
「満州っ子」英文で表示A
「満州っ子」英文で表示A 「満州っ子 平和をうたう」のうちテーマ「雲ながるる果てに」が英文に翻訳されています。前回@のように逐条記述します.今回は08年10月に掲載した「神風特攻隊の戦死者数」です。どなたが訳されたのか不明ですが、固有名詞、軍隊用語、日本語特有の言い回しについては私が若干の修正を加えました。 ...続きを見る

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2011/09/04 06:18
「満州っ子」英文で表示@
「満州っ子」英文で表示@ 昨日、私の「満州っ子 平和をうたう」にとっては驚くべき現象がネット上に表示されていました。それはテーマ「雲ながるる果てに」がすべて英文に訳されていたことです。ここで、2009年12月15日に、「兄、神島利則中尉特攻死」として配信したものを逐条的に転写、掲載しましょう。 ...続きを見る

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2011/09/01 14:42
神風なんか吹かなかった
神風なんか吹かなかった 1945(昭和20)年8月15日、前日にポツダム宣言受諾、この日連合軍に無条件降伏した。天皇がラジオ放送でその旨を放送した。日中戦争以来の損害は310万人、うち民間人は90万人ともいわれている。アジアの死者(日本軍の加害による)は2000万人。次は夫を亡くした一女性の述懐である。 ...続きを見る

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2011/08/15 08:12
1945年8月10日の記憶
1945年8月10日の記憶 これは66年前軍国少年だった「満州っ子」の忘れられないメモリーの一つである。前の年の12月にフイリピンで零戦に搭乗、特攻死した兄の戦友たちが遠く大陸に飛来、その数日の間におきた悲しくも辛いエピソードだ。内山光雄海軍中尉ほか五人の若者の顔がいまでも忘れられない。 ...続きを見る

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2011/08/10 10:08
あの日 ピョンヤンにいた
あの日 ピョンヤンにいた 今年は戦後66年。八月になればよみがえります。1945(昭和20)年の夏は、思い出すさえ暑かったと誰もがいいます。あの日、8月15日の夜、私の乗っていた避難列車は北朝鮮のピョンヤン(平壌)駅ホームに。「マンセイ! マンセイ!」と歓呼する朝鮮の群衆に囲まれていました。 ▼旧満州・新京駅前ひろば ...続きを見る

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2011/08/05 06:52
山田和夫描く「特攻映画」D
山田和夫描く「特攻映画」D 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」ー特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/06 05:08
敷島の大和心を人問わば
敷島の大和心を人問わば 「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜かな」といえば知る人ぞ知る一首。太平洋戦争の末期1944年10月神風特別攻撃隊の先陣を切った5隊のネーミングに使われた本居宣長の短歌である。今日5月7日(1789年)は宣長が松坂に生まれた日。敷島、大和、朝日、山桜という美名に当時の若者はあおられうように死地に旅立った。 ...続きを見る

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2011/05/07 06:10
俺の言葉に泣いた奴が一人
俺の言葉に泣いた奴が一人 「俺の言葉に泣いた奴が一人/俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人・・・」と胸に抱いて雲流るる果てに逝った慶應義塾大学出身の学徒飛行兵。宅島徳光が訓練の合い間に書いた手記・「くちなしの花」がある。この手記に感動した作曲家の遠藤実が曲をつけ、渡哲也が唄い大ヒットした『くちなしの花』を紹介しよう。  ...続きを見る

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2010/12/02 06:58
映画 「雲流るる果てに」
映画 「雲流るる果てに」 日本の文化人・三大「山田」(山田洋次、山田太一、山田和夫)と云われ尊敬の念を持って多くの人に受け入れられている一人山田和夫さん(映画評論家)が江東区の高齢者集会に来られ、映画・「今日本映画がいい」と題して講演されたことがありました。その時、この「雲流れる果てに」について触れられました。 ...続きを見る

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2010/11/12 08:30
映画 「雲流るる果てに」
映画 「雲流るる果てに」 戦後数々の特攻を描いた映画のなかでも秀作の一つ。「雲流るる果てに」は1953年、レッドパージで東宝を追われた家城巳代治が手がけた。制作段階では、脚本はもとより構成にまで紙一重で生還した同期生(第13期飛行予備学生)、遺族の体験や意見を取り入れ独立プロ・重宗プロが制作、大映により配給され感動を呼んだ。   ...続きを見る

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2010/11/11 10:38
「雲流るる果てに」−57−
「雲流るる果てに」−57− 神林睦夫 [かんばやし・むつお] 東京第三師範ー東京都出身、昭和20年3月18日南九州上空で迎撃戦のなか戦死。搭乗機・零戦 22歳。(「雲流るる果てに」208〜212頁) ...続きを見る

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2010/09/22 08:20
「雲流るる果てに」−56−
「雲流るる果てに」−56− 三宅精策 [みやけ・せいさく] 神戸高等工業学校ー東京都出身ー昭和20年1月6日、神風特別攻撃隊旭日隊、フィリピン、リンガエンへ向け北上中の空母を攻撃中戦死。搭乗機彗星。22歳。 ...続きを見る

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2010/09/20 08:00
「雲流るる果てに」−55−
「雲流るる果てに」−55− 土屋 浩 [つちや・ひろし] 拓殖大学ー岡山県出身ー神風特別攻撃隊第26金剛隊、昭和20年1月9日、フィリピンのリンガエン湾にて戦死、22歳。搭乗機・零戦。(「雲流るる果てに」262〜264頁) ...続きを見る

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2010/09/18 08:03
「雲流るる果てに」−54−
「雲流るる果てに」−54− 矢野 昇 [やの・のぼる] 中央大学ー長崎県出身ー昭和20年4月23日、沖縄方面にて戦死。25歳。搭乗機・零戦。(「雲流るる果てに」259〜261頁) ...続きを見る

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2010/09/16 06:24
「雲流るる果てに」−53−
「雲流るる果てに」−53− 清水正義 [しみず・まさよし] 慶応義塾大学ー東京都出身神風特別攻撃隊第三御楯隊員として菊水一号作戦に参加、昭和20年4月6日、直援機・零戦に乗って出撃、南西諸島にて戦死。24歳(「雲流るる果てに」256〜259頁) ...続きを見る

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2010/09/14 06:20
「雲流るる果てに」−52−
「雲流るる果てに」−52− 鹿野 茂ー中央大学予科ー栃木県出身、神風特別攻撃隊草薙隊、昭和20年4月28日、沖縄方面にて戦死。22歳。(「雲流るる果てに」254〜255頁) ...続きを見る

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2010/09/13 06:07
「雲流るる果てに」−51−
「雲流るる果てに」−51− 岸 文一 [きし・ぶんいち] ー新潟第二師範ー新潟県出身、昭和19年10月24日、台湾沖航空戦にて戦死。22歳搭乗機・月光(二座)。(「雲流るる果てに」252〜253頁) ...続きを見る

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2010/09/12 06:00
「雲流るる果てに」−50−
「雲流るる果てに」−50− 飯沼 孟ー横浜専門学校ー神奈川県出身、神風特別攻撃隊第二魁隊、昭和20年5月11日、南西諸島・沖縄方面で戦死。24歳。 搭乗機・零式水上偵察機。(「雲流るる果てに」245〜249頁) ...続きを見る

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2010/09/10 08:54
「雲流るる果てに」−49−
「雲流るる果てに」−49− 本川譲治 [もとかわ・じょうじ] 慶応義塾大学ー東京都出身ー神風特別攻撃隊菊水雷櫻隊、昭和20年5月11日、南西諸島にて戦死、25歳。搭乗機「天山」。 ...続きを見る

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2010/09/09 07:41
「雲流るる果てに」−48ー
「雲流るる果てに」−48ー 田中正喜 [たなか・まさき] ー中央大学ー東京都出身、神風特別攻撃隊第二白菊隊、昭和20年5月28日、南西諸島にて戦死。22歳。搭乗機・偵察機上練習機「白菊。(「雲流るる果てに」243〜245頁) ...続きを見る

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2010/09/07 06:29
「雲流るる果てに」−47−
「雲流るる果てに」−47− 中西斎季ー慶応義塾大学ー和歌山県出身、昭和20年4月29日、神風特別攻撃隊神雷部隊第九建部隊で出撃、南西諸島(沖縄方面9にて戦死。(「雲流rる果てに」242〜243頁) ...続きを見る

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2010/09/06 07:24
「雲流るる果てに」−46−
「雲流るる果てに」−46− 石橋申雄 [いしばし・のぶお] 東亜同文書院ー神風特別攻撃隊第一筑波隊、昭和20年4月6日、沖縄周辺輸送船団攻撃中、戦死。搭乗機・零戦。25歳(「雲流れる果てに」235〜238頁) ...続きを見る

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2010/09/03 06:30
「雲流るる果てに」−45−
「雲流るる果てに」−45− 横山輝衛ー早稲田大学ー青森県出身、昭和20年5月6日、南西諸島にて戦死。搭乗機・艦上攻撃機天山。(「雲流るる果てに」234〜235頁)   ▼海軍特有の「棒倒し」 ...続きを見る

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2010/09/01 08:21
学徒特攻士官の遺した短歌
学徒特攻士官の遺した短歌 昭和18年年、多くの学生がペンを銃に持ちかえ、飛行学徒兵となり大空に散って逝った。彼らは美しい故郷を想い、母を慕い、妻子を慈しむ歌を数多く残していった。あれから65年、読む程に胸に迫る。その幾つかを紹介しよう。 ...続きを見る

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2010/08/30 10:24
「雲流るる果てに」−44−
「雲流るる果てに」−44− 高久健一 [たかひさ・けんいち] ー東北大学ー秋田県出身、神風特別攻撃隊梓隊、昭和20年3月11日、内南洋ウルシーにて戦死、22歳。 (「雲流るる果てに」227〜233頁) ...続きを見る

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2010/08/26 13:16
美しさを護るために死ぬ
美しさを護るために死ぬ 慶大出身の神風特攻隊員が出撃にそなえた猛訓練中、日記に書き残した文言である。吉田満の遺稿集『戦中派の死生観』から引かせてもらった。との書き出しで松本 章男氏が東京新聞・「今週のことば」(8・14日付)で紹介した。この文言については本ブログでは既に紹介済み(注)だが再録しよう。 ...続きを見る

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2010/08/21 10:29
「雲流るる果てに」−43−
「雲流るる果てに」−43− 小久保節彌ー函館高等水産学校ー愛知県出身、昭和20年4月16日、南西諸島・喜界島南方にて戦死、26歳。搭乗機ー零戦。(「雲流れる果てに」225〜226頁) ...続きを見る

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2010/08/21 05:31
「雲流るる果てに」−42−
「雲流るる果てに」−42− 青木三郎 [あおき・さぶろう] 横浜専門学校ー神奈川県出身ー昭和20年7月13日、鳥取(米子)方面にて戦死。二十三歳、搭乗機・彗星。(「雲流るる果てに」222〜224頁)掲載。 ...続きを見る

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2010/08/19 05:06
「雲流るる果てに」−41−
鷲見敏郎 [わしみ・としお] 大阪商大ー兵庫県出身ー海軍少尉、昭和20年4月6日、神風特別攻撃隊第一七生隊に属して出撃、沖縄方面にて戦死。第14期飛行予備学生、24歳。(「雲流るる果てに」205〜208頁) ...続きを見る

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2010/07/23 06:51
「雲流るる果てに」−40−
永尾 博 [ながお・ひろし」 西南学院ー佐賀県出身ー神風特別攻撃隊第三草薙隊、昭和20年4月28日、南西諸島にて戦死。搭乗機・九九式艦上爆撃機、22歳。(「雲流るる果てに」203〜204頁) ...続きを見る

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2010/07/21 09:06
「雲流るる果てに」−39−
熊倉 高敬 [くまくら・こうけい] 専修大学ー栃木県出身ー神風特別攻撃隊第二筑波隊、徳之島東方の機動部隊、昭和20年4月14日戦死。搭乗機ー零戦 22歳。(「雲流るる果てに」195〜198頁) ...続きを見る

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2010/07/20 13:06
「雲流るる果てに」−38−
佐藤一馬 [さとう・かずま〕慶応義塾大学経済学部ー東京都出身ー昭和20年4月15日、佐多岬沖南方海上にて戦死。搭乗機・天山、23歳。(「雲流るる果てに」201〜202頁) ...続きを見る

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2010/07/18 09:31
「雲流るる果てに」ー37−
根尾久男 [ねお・ひさお] 早稲田大学ー富山県出身、神風特別攻撃隊 梓特別攻撃隊ーウルシー在泊の機動部隊を攻撃、昭和20年3月31日特攻死、搭乗機・銀河 25歳。 (「雲流るる果てに」199〜200頁) ...続きを見る

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2010/07/16 08:51
「雲流るる果てに」−36−
藤田暢明ー東京農大ー徳島県出身、神風特別攻撃隊第六筑波隊、昭和20年5月14日、種子島にて戦死、海軍少尉、23歳。第14期海軍飛行予備学生。(「雲流るる果てに」193〜194頁) ...続きを見る

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2010/07/14 16:27
特攻出撃直前 兄の姿が
コロンビアから出されている“音の楽園”という小冊子を見てあるページに釘づけになった。ドキュメント「特攻」というDVDだ。そこには写真に(左イラスト参照)「海軍神風特攻 第七 第九金剛隊が爆装零戦20機 彗星1機で出撃した」と書きこまれている。購入して見る。ナレーションは「12月15日海軍特別攻撃多隊出撃 護衛空母マーカス・アイランドに海面すれすれで突入」と流す。 ...続きを見る

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2010/07/13 09:11
「雲流るる果てに」−35−
溝口幸次郎 [溝口・江二郎] 中央大学ー静岡県出身ー神風特別攻撃隊神雷第一爆撃隊、昭和20年6月22日、沖縄方面にて戦死。22歳。(「雲流るる果てに」189〜192頁) ...続きを見る

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2010/07/12 06:28
「雲流るる果てに」−34−
古河敬生 [ふるかわ・のりお] 桐生高工ー滋賀県出身ー昭和20年4月21日、〇戦搭乗、特攻隊直援機として戦果確認帰投中、出水市桂島上空で敵機と交戦中戦死。25歳。(「雲流るる果てに」186〜188頁) ...続きを見る

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2010/05/12 05:02
「雲流るる果てに」号外F
これまで特攻隊の映画「月光の夏」についての所感二編(シャンソン歌手石井好子さん、シンガーソングライター大貫妙子さん)をお送りしてきましたが、今日はあのブルースの女王・淡谷のり子さんの悲しい思いを伝えてもらいましょう。(第十三期海軍飛行予備学生誌・294頁から) ...続きを見る

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2010/04/27 07:29
「雲流るる果てに」号外E
先にこのブログ「雲流るる果てに」号外Dで映画「月光の夏」についてのシャンソン歌手・石井好子さんの想いを掲載しましたが、今回はシンガーソングライター・大貫妙子さんに登場を願い、同映画について感想を語っていただきます。(「月光の夏」のパンフレットのシナリオ解説と朝日家庭便利帳からの抄録) ...続きを見る

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2010/04/26 08:30
「雲流るる果てに」−33−
安藤俊成 [あんどう・としなり] 大谷大学ー愛知県出身、昭和20年3月3日奄美大島より出撃、零式水上偵察機にて対潜哨戒中戦死、25歳。(「雲流るる果てに」185頁) ...続きを見る

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2010/04/21 08:43
「雲流るる果てに」−32−
富澤幸光 [ とみざわ・ゆきみつ] 北海道第二師範・北海道出身ー神風特別攻撃隊第一九金剛隊、昭和20年1月6日、フィリピン・マバラカット基地発進、戦死。搭乗機零戦。(「雲流るる果てに」182〜184頁) ...続きを見る

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2010/04/19 05:26
「雲流るる果てに」ー31−
市島保男 [いちじま・やすお] 早稲田大学・東京都出身ー神風特別攻撃多隊第五昭和隊、昭和20年4月29日、沖縄東南海上にて戦死。23歳(「雲流るる果てに」178〜182頁ー注・18年12月大竹海兵団に入団) ...続きを見る

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2010/04/17 08:57
「雲流れる果てに」号外D
映画『月光の夏』(原作・脚本 毛利恒之=小説「月光の夏」汐文社刊=監督 神山征二郎)の主役の特攻隊員は陸軍と海軍の違いはあるが、学徒出身のパイロットであるところに“すべての条件を超えて十三期と共感するものがある。 ...続きを見る

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2010/04/12 11:37
「雲流るる果てに」−30−
古橋雅夫 [ふるはし・まさお] 中央大学ー東京都出身ー昭和20年8月3日、フィリピン残留陸戦隊として戦死、20歳。(「雲流るる果てに」175〜177頁) 注・29号掲載の達夫は双子の兄。 ...続きを見る

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2010/04/12 05:31
「雲流るる果てに」−29−
古橋達夫 [ふるはし・たつお] 日本大学ー東京都出身、神風特別攻撃隊第三御楯隊第六〇一部隊、昭和20年4月3日、第一国分基地出撃、南西諸島にて特攻死、20歳。搭乗機「彗星」。(「雲流るる果てに」173〜174頁) ...続きを見る

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2010/04/10 08:58
「雲流るる果てに」−28−
安達卓也 [あだち・たくや]  東京大学法学部ー兵庫県出身ー神風特別攻撃隊第一正気隊、昭和20年4月28日、沖縄方面にて戦死、23歳。(雲流れる果てに・165〜173頁) ...続きを見る

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2010/04/09 10:04
「雲流れる果てに」−27−
市川 猛 [いちかわ・たけし] 浜松高工ー愛知県出身ー神風特別攻撃隊第18金剛隊、昭和19年1月5日、フィリピン・マバラカット基地出撃、特攻死、23歳。搭乗機・零戦。(「雲流るる果てに」164〜165頁) ...続きを見る

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2010/04/07 06:13
「雲流るる果てに」号外C
昭和20年4月6日、戦艦・大和は呉軍港を出港、翌7日、奄美大島東方で撃沈され三千余人が戦死。同日、「川柳合作」の作者・及川肇・遠山両中尉など78人が神風特別攻撃隊の一員として沖縄方面で特攻死し、還らぬ人となった。奇しくも僕の誕生日は4月6日(1932年)、あろうことか、あの日は「王道楽土」と嘯いて植民地・旧満州(現中国東北部)でのうのうと暮らしていた僕は、友人を招き豪華な誕生パーテーを開いていた。 ...続きを見る

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2010/04/06 16:23
「雲流るる果てに」−26−
■及川 肇―盛岡高工ー岩手県・昭和20年4月6日南西諸島にて戦死、23歳。■遠山善雄ー米沢高工ー山形県・昭和20年4月6日南西諸島にて戦死、23歳。■福知 貴ー東京薬専ー島根県・昭和20年4月11日南西諸島にて戦死、23歳。■伊熊二郎ー静岡県ー昭和20年4月11日南西諸島にて戦死、23歳。(「雲流るる果てに」155〜163頁) ...続きを見る

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2010/04/06 05:44
「雲流るる果てに」−25−
眞鍋信次郎 [まなべ・しんじろう] ー九州専門学校ー福岡県出身・昭和20年5月25日、南西諸島方面にて戦死、22歳。搭乗機ー銀河ー(「雲流るる果てに」151〜155頁) ...続きを見る

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2010/04/05 08:04
「雲流るる果てに」−24−
岸井廣孝 [きしい・ひろたか] 慶応義塾大学ー東京都出身ー昭和19年10月22日九州南方洋上にて対潜策敵中戦死。25歳。搭乗機二式大艇。−「雲流るる果てに」(149〜151頁) ...続きを見る

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2010/04/05 06:54
「雲流るる果てに」−22−
西田高光 [にしだ・たかみつ] 大分師範ー大分県出身ー神風特別攻撃隊第五筑波隊長、昭和20年5月11日、鹿児島県鹿屋基地発進、南西諸島にて特攻死。23歳 搭乗機零戦。 ...続きを見る

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2010/03/24 13:36
「雲流るる果てに」−21−
牧野 缶 −明治大学ー石川県出身・神風特別攻撃隊第六神剣隊を率ゐて鹿児島県鹿屋基地出撃、昭和20年5が11日南西諸島にて特攻死、22歳。搭乗機・零戦(「雲流れる果てに」・142〜143頁) ...続きを見る

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2010/03/21 08:08
「雲流るる果てに」−20−
打保 潔 [ うちほ・きよし] ー早稲田大学ー東京都出身。昭和20年6月10日、東京・小金井上空にてB29迎撃中戦死。海軍中尉 23歳。(「雲流れる果てに」ー139〜141頁) 搭乗機ゼロ式戦闘機。 ...続きを見る

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2010/03/20 07:08
「雲流るる果てに」号外B
見渡す限りの廃墟の街並み、紙一重で生還を果たした13期海軍飛行予備学生にとって、所在も食べるものもままならない時、物心両面にわたって励ましてくれた中に復員局勤務の越後郷子さんがいた。音楽学校出身の彼女、彼らとの交流の中で生まれたのが還らない青年たちに想いを馳せた歌、“雲ながるる果てに”だった。遺族会などで歌い涙したことが思い出される。 ...続きを見る

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2010/03/10 06:02
「雲流るる果てに」−19−
若麻績 隆 [わかおみ・たかし] 大正大学ー長野県出身ー昭和20年4月6日、神風特別攻撃隊第一 八幡護皇隊艦攻隊として出撃、南西諸島にて戦死。注 搭乗機は97式艦上攻撃機ー(「雲流るる果てに」・120〜127頁) ...続きを見る

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2010/02/23 08:15
「雲流るる果てに」号外A
ここに[第13期海軍飛行専修豫備学生誌]という1冊の書籍(B5/550頁)がある。1943(昭和18)年、学窓を後にして戦陣に駆けつけ、入隊者5千人のうち3分の1の学生が戦没した青年たちの生きざまを記した膨大な資料である。紙一重で生還した同期生が痛恨の想いをこめて1993(平成3)年に出版した。折に触れ掲載する。    ...続きを見る

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2010/02/15 06:39
「雲流れる果てに」−18−
石野正彦 [いしの・まさひこ] 神戸高商ー兵庫県出身ー昭和20年8月1日、千葉県木更津方面で殉職、24歳。海軍中尉。搭乗機は「流星」。(「雲流るる果てに」・113ページ) ...続きを見る

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2010/02/10 05:39
「雲流るる果てに」 号外@
「あと二週間終戦が遅れていたら私も特攻隊員として出撃していたかも知れない」、といわれる映画評論家の山田和夫さん(予科練出身)を江東区の高齢者集会に招いたことがあった。「今、日本映画がいい」と題して講演され、その中で「映画・雲流るる果てに」にふれ、「きけわだつみの声」とならんで戦後、平和・反戦映画の秀作の一つと述べられた。. ...続きを見る

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2010/02/08 06:01
「雲流るる果てに」−17−
野崎文太郎 [のざき・ふみたろう] 慶応義塾大学ー愛知県出身ー昭和20年5月7日、中部地方にて殉職、ゼロ戦搭乗、24歳。「雲流るる果てに」・(109〜112頁) (注) 先の大戦で戦没した慶大の学生、卒業生は2223人といわれている。 ▼終戦直後の丘の上・図書館 ...続きを見る

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2010/02/02 06:31
「雲流るる果てに」−16ー
池尾俊夫 [いけお・としお] 同志社大学経済学部ー東京都出身、昭和20年1月24日、フィリピン・ミンダナオ海域の輸送船団夜間攻撃にて戦死,25歳。注 搭乗機は「天山」。(「雲流れる果てに」101〜109頁) ...続きを見る

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2010/02/01 06:18
「雲流るる果てに」−15−
青木牧夫 [あおき・まきお] 高知師範ー高知県出身ー神風特別攻撃隊第三御楯隊、昭和20年4月16日、沖縄方面にて戦死、23歳。注・搭乗機はゼロ戦 (「雲流れる果てに」ー98頁) ...続きを見る

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2010/01/31 06:48
「雲流るる果てに」−14−
石川延夫 [いしかわ・のぶお] 法政大学ー岡山県出身ー昭和20年5月14日、滋賀県上空にて戦死、23歳 (注・搭乗機・夜間戦闘機「月光」・「雲流れる果てにー97頁」) ...続きを見る

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2010/01/26 05:31
「雲流るる果てに」−13−
遠藤益司 [えんどう・ますじ] 日本大学ー福島県出身ー神風特別攻撃隊第一神剣隊員として昭和20年4月6日、大村基地より出撃、沖縄方面で戦死、23歳。 注 搭乗機はゼロ戦。 ...続きを見る

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2010/01/24 16:58
「雲流るる果てに」ー12−
宅島徳光 [たくしま・とくみつ]慶応義塾大学ー福岡県出身 昭和20年4月19日、松島航空隊にて殉職、海軍中尉・24歳 「注」一式陸攻搭乗、金華山沖で事故。(「雲流るる果てに」 (66〜94頁)   ▼遺稿「くちなしの花」 ...続きを見る

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2010/01/24 06:28
「雲流るる果てに」−11−
富田 修 [とみた・おさむ] 日本大学卒ー長野県出身ー昭和19年9月3日、台湾高雄にて戦死。海軍中尉、23歳(「雲流るる果てに」・64頁) 注ー高雄西方で殉職、搭乗機は97式大艇。 ...続きを見る

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2010/01/20 08:55
「雲流るる果てに」−10−
鈴木孟志[すずき・たけし]東京臨時教員養成所卒ー東京都出身ー昭和19年10月12日、九七式大艇に搭乗、あの台湾沖航空戦で戦死。25歳。(「雲流るる果てに」−63頁)      朝  顔    昭和15年8月10日 (学生時代) ...続きを見る

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2010/01/18 13:11
「雲流るる果てに」 −9−
小城亜細亜[おぎ・あじあ] 立教大学卒ー東京都出身ー神風特別攻撃隊第四御楯隊、昭和20年8月13日、(あと2日で終戦)本州東方海上にて戦死、22歳。(注・彗星搭乗、犬吠埼東方機動部隊) ...続きを見る

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2010/01/18 09:44
「雲流るる果てに」 −8−
古川正崇ー大阪外語ー奈良県出身、神風特別攻撃隊振天隊、昭和20年5月29日、97式艦攻撃機に搭乗、沖縄にて戦死。23歳。(46〜58頁) 注・「雲流るる果てに」の呼称は本遺文から採られたという。 ...続きを見る

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2010/01/17 06:14
「雲流るる果てに」 −7−
吹野 匡 [ふきの・ただす] 京都大学卒・鳥取県出身ー昭和20年1月6日、神風特別攻撃隊旭日隊に参加、比島方面にて戦死、26歳。(数少ない旧帝国大学出身者)  ▼学徒出陣(昭和18年) ...続きを見る

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2010/01/15 06:03
「雲流るる果てに」 −6−
林 憲正 [はやし・のりまさ] 慶応義塾大学ー愛媛県出身ー昭和20年8月9日(あと6日で終戦)、神風特別攻撃隊第七御楯隊第二次流星隊で出撃、本州東方海上にて戦死。海軍中尉、25歳。(「雲流るる果てに」−35〜43頁) [注]彼の遺文は「きけわだつみの声」にも掲載されている。 ...続きを見る

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2010/01/12 07:57
「雲流るる果てに」 −5−
小島 博 [こじま・ひろし] 東京第一師範ー北海道出身ー昭和20年4月12日沖縄方面、特攻ロケット「桜花」搭載の一式陸上攻撃機上で戦死。海軍中尉、22歳。(注)この手紙はピアノ教師であった彼が在職中その教へ子たちに寄せたものである。(31頁) ...続きを見る

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2010/01/09 05:30
「雲流るる果てに」 −4−
植島幸次郎[うえしま・こうじろう]・明治大学ー東京都出身ー神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊、昭和20年4月6日、南西諸島にて戦死、海軍中尉 23歳 第13期海軍飛行予備学生。昭和18年9月土浦海軍航空隊入隊。 ...続きを見る

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2010/01/03 06:08
「雲流るる果てに」 −3−
緒方 襄[おがた・ゆずる]・関西大学・熊本県出身ー神風特別攻撃隊神雷桜花隊、昭和20年3月21日、沖縄方面で戦死。海軍中尉、23歳(「雲流るる果てに」22頁) ...続きを見る

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2009/12/27 06:19
「雲流るる果てに」 −2−
緒方 徹[おがた・とおる]京都大学法学部・熊本県出身ー昭和19年12月25日、フィリピン・ミンドロ島サンホセ攻撃で戦死。海軍中尉・25歳。(「雲流るる果てに」15頁) ...続きを見る

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2009/12/25 09:37
「雲流るる果てに」 −1−
植村真久[うえむら・まさひさ]立教大学・東京都出身、神風特別攻撃隊・大和隊、昭和19年10月26日、フィリピン・セブ島から3機発進してレイテ湾に向かったが全機帰らず。25歳(「雲流るる果てに」ー13ページ) ...続きを見る

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2009/12/22 06:38
「雲流るる果てに」 −序−
私、永井至正(旧姓神島)が座右の書にしているものの一つに『雲流るる果てに』があります。神風特別攻撃隊で戦死した兄・利則の同期生が昭和27年に編集、発刊した「遺稿集」です。ときが経ち、紙面は茶色がかっています。言ってみればセピア色した書置きとでもいうのでしょうか。あれから65年、私も残り時間が少なくなりました。兄が「あとを継いでくれ」と言い残した言葉を受け継いで、痛恨の思いで逝った若者たちの言葉・「雲流るる果てに」(317頁)をシリーズで全文紹介します。           =発刊の言葉=... ...続きを見る

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2009/12/17 07:32
兄・神島利則中尉特攻死
兄・神島利則[かみしま・としのり]海軍中尉(1923〜1944)12月15日、この日神風特別攻撃隊・第七金剛隊の一員としてフィリピン・ネグロス島近辺で特攻死。21歳だった。彼の郷里は当時日本が支配していた満州・公主嶺市。母神島トミが利則戦死の通知を受けたのは23日のことだった。 ...続きを見る

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2009/12/15 12:52
心のファイル 永井至正
「兄・利則が戦死した日、清澄庭園で結婚式を挙げた日、長女亜子が生まれた日が12月15日なんです」永井至正さんは語る。1932(昭和7)年旧南満州(現中国東北部)・公主嶺市生まれ、9人兄姉の末っ子。昭和の始め世界大恐慌は日本にも波及し、銀行の倒産、工場閉鎖、大量の失業者を生み、農村では娘の身売りまで起きていた。(木村清子記) ...続きを見る

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2009/01/22 08:29
雲流るる果てに 映画
一度出撃したら生きては帰れない特攻隊。若くして南の空のはてに散っていった学徒航空兵の遺族や紙一重で生還した戦友によって編集された遺文集「雲流るる果てに」のタイトルをかりて作られた反戦特攻映画の名作。今日限りの命をひたむきに生きる彼らの青春群像があざやかに描き出され、と同時に残酷な戦争への激しい憤りを感じずにはいられない。 ...続きを見る

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2008/12/28 07:08
神風特攻隊の戦死者数
昭和19年10月25日(フィリピン・敷島隊)から終戦の昭和20年8月15日(沖縄・宇垣特攻)までの総戦死者数は2483人。内訳は予科練などの出身者は1715人、飛行予備学生は649人、海軍兵学校は119人でした。年齢はなんと17歳から25歳ぐらいまでの少年、青年たちで驚くべきものです。「死んでいったのは少年と学生たち」 ...続きを見る

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2008/10/13 06:07
雲流るる果てに H
 「戦中派」の世代の生き残ったことで存在を認められるのではない。本来ならば戦争に殉死すべきものであり、たまたま死に損なったとしても、生きて戦後の社会をわが眼で見たことに意味があるのではなく、散華した仲間の代弁者として生き続けることによって、初めてその存在を認められるのである」と、吉田満の「戦艦大和の最期」の前書きに書かれているのを読んでひどく感動したことがある。 ...続きを見る

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2008/09/16 10:30
雲流るる果てに G
(前回よりつづく)緒方 襄さんの前のページに緒方 徹中尉の書き置きがあります。二人は兄弟です。兄徹さんは詩をよくしました。そこには母への思いが切々とつづられており、胸にせまります。あの大戦中、多くの日本の家庭でそうであったように子どもを奪われた母親の気持ちはいかばかりだったか、はかりしれません。 ...続きを見る

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2008/09/13 08:57
雲流るる果てに F
 昨年(01年3月)、『歴史教科書』(扶桑社)が世間を騒がせたとき、その中に特攻隊員の遺書が引用されていると聞いて驚き、もしかしたら特攻死した兄の戦友が戦後編集、発刊した遺文集・「雲流るる果てに」に掲載されているのではないかと、調べてみたらありました。22頁にです。 ...続きを見る

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2008/09/12 11:02
雲流るる果てに E
豪快に生きた神島君    敗色濃い太平洋戦争末期のころ、海軍の予備学生として横須賀対潜学校で猛訓練をうけていた私は、公主嶺から「神島利則君、特攻隊員として戦死」の通知をうけた。「ヤッタカ!」走馬灯のように在りし日々が思い出され、当夜は一睡も出来なかった。  彼とは小学校一年から六年まで大谷七郎先生の薫陶のもとに育った親友だった。泰平橋を渡って鮫島通り左側に彼の家、トミヤ洋品店があり、そばの公園でよく遊んだものである。彼もまた菊地町のわが家に来てくれた。悪童数人で、大谷先生の新婚早々のお宅に... ...続きを見る

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2008/08/11 08:54
雲流るる果てに D
昭和15年、世は戦時色であふれていた。八歳の小学生の私は兄貴に手をとられて九段坂を上っていた。「いつか、きっとここで会えるからなあ・・・。よく覚えていてくれ」と言われていた。 ...続きを見る

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2008/08/08 12:09
雲流るる果てに C
 「自爆テロもとをたどれば特攻隊」という川柳をある新聞の文芸欄でみて思わずクギづけになりました。自爆テロと特攻隊は同義語としてさげすんだのか、それとも大義に生きる人間のルーツは「日本にあり」と称賛したいのでしょうか。 ...続きを見る

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2008/08/07 14:24
雲流るる果てに B
 時は敗色濃厚のころ、1945(昭和20)年8月10日、前日、9日のソ連参戦で危険地域になったとして、旧満州(現中国東北部)では有数の公主嶺の陸軍飛行場から海軍の中型攻撃機・一式陸攻が三機飛び立った。 ...続きを見る

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2008/08/06 08:20
雲流るる果てに A
 神島利則(かみしま・としのり・大正13年生まれ)は、旧満州・公主嶺小学校を卒業後、新京(当時)一中に入学し、その後拓殖大学に進んだ。昭和18年9月、第13期飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊し、飛行訓練を受けた。19年10月ころ台湾の台南海軍航空隊に移り、19年12月11日、聯合艦隊布告第八五号により、神風特別攻撃隊第七金剛隊に命ぜられた。 ...続きを見る

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2008/08/05 11:11
雲流るる果てに @
私、永井至正が座右の書にしているものの一つに「雲流るる果てに」があります。神風特別攻撃隊で戦死した兄の同期生(第十三期海軍飛行予備学生)が昭和27年に編集、発刊した「遺稿・遺文集」です。ときが経ち紙面は茶色がかっています。ときにふれひもときます。8月はその頻度が増しますが、そのたびに思い出します。「後を頼む」と言い残した彼の言葉を・・・。このページはシリーズで続けます。題して「セピア色した 万感の記憶」 ...続きを見る

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2008/08/05 08:35

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