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zoom RSS テーマ「伊藤 聖」のブログ記事

みんなの「伊藤 聖」ブログ

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「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺F
「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺F  「こみーどーりーのー」と歌いだすと、まぶたにあの木々の緑のあふれた公主嶺の街がひろがってくる。農事試験場のポプラ並木、畜産のニレ、北一条通りのアカシア、ロシア人墓地のヤナギ、まこと公主嶺は「濃緑の」街であった。毎朝、新校舎の講堂で、意味もよくわからずに声を張りあげたおかげで、メロディーはいまになお鮮明である。私はその美しい曲の校歌が大好きであった。 ...続きを見る

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2017/04/06 07:25
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 B
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 B  −『ビデオ』は石倉さんが1993年に訪中したとき、『公主嶺小学校の思い出』としてVHS(1時間2分)にまとめたものが、元になっている。同窓会で希望者に複製して頒布すると発表したところ、22人を超える申込者があった。 ...続きを見る

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2017/04/03 05:38
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 A
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 A  ー初めは『写真集』を作る予定はなかったのだが、『記念誌』の記述を裏付ける意味でも、写真を集め始めたところ、いい写真が多くて、途中で並行して『写真集』の構想が生まれた。(公主嶺小学校同窓会・会報「満洲 公主嶺」合本NO.52) ...続きを見る

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2017/03/29 06:02
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 @
座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 @  『満洲公主嶺』の3部作(記念誌、写真集、ビデオ」。その作成に携わった編集委員が、主宰の伊藤 聖さんの司会で完成後(2007年2月2日、於上野ターミナルホテル)、作成に当たっての苦心話を「座談会」で返り見ています。以下はその興味深い裏話しです。、 ...続きを見る

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2017/03/28 06:21
「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺E
「あのころ」 伊藤聖さん語る 満洲・公主嶺E  前に農事試験場のことを書いたところ、32回生の愛川(旧姓宮崎)和子さんから「私の家は畜産の前でした。羊の群れが官舎の側の原に出てき来て草を食べてくれましたので、芝生のようでした。その上大きな楡の木陰は絶好の遊び場でした」という便りをいただいた。 ...続きを見る

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2017/03/18 06:04
記念誌・「満洲 公主嶺」エピソード 完結
記念誌・「満洲 公主嶺」エピソード 完結  記念誌「満洲 公主嶺・過ぎし40年の記録」。全500ページを超える大冊のなかに散りばめられているエピソードの数々をブログに転載する作業がようやく終了した。カウントしたら総数292件の挿話。その一つ一つがページの中で、折々の時代の背景とリンク、読ませてくれる。 ...続きを見る

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2017/03/14 05:59
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −終ー
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −終ー  14大正10年度の全満児童スケート大会は私には忘れられない大会であった。その千五百メートルの勝負は最初から終わりまでデッドヒートで、私と一緒に出た安東の宍戸君も遼陽の多田君も、生きていれば共に忘れられない思い出だったと思う。(4頁下段) ...続きを見る

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2017/03/13 06:43
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −15−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −15−  公主嶺小学校は運動が盛んで、秋の運動会も大変盛大だったが、冬の体操は道一つ隔てた校庭にリンクを作って凍るらせ、スケート一本やりだった。(記念誌144頁上段) ...続きを見る

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2017/03/11 06:20
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −14−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −14−  大正9年5月、4年生のとき神戸から公主嶺小学校に転校した。鮫島通りのほぼ中央、浅野醸造に向かいあった雑貨および食料雑貨商の丸福洋行内に居住し、養父は店主として経営一切を任されていた。丸福洋行の主人は丸福旅館の主人と兄弟だったが、このときには二人とも他界していた。(記念し143頁下段) ...続きを見る

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2017/03/09 05:38
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −13−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −13−   私が小学校3年生の大正8年ごろ、農事試験場に北海道の大学を出た小松八郎さん、突永一枝さんら6名(?)の方がっ着任された。私たちチビ共は、よく農事試験場に遊びに行って、この方たちからテニスを習った。(記念誌143頁上段) ...続きを見る

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2017/03/07 06:51
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −12−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −12−  二年生のとき、唱歌を教えて頂いた斉藤秋子先生とのお別れ式のことは今も目に残っている。講堂の白い壁を背に壇上に立たれたお美しい先生の袴姿。先生のお好きな「故郷を離るる歌」を全校生徒が歌った。(記念誌142頁下段) ...続きを見る

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2017/03/03 05:11
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −11−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −11−  私が6年になった大正9年春のこと、斎藤繁樹君の長姉で小学校の先生だった秋子(ときこ)さんが突然に来て「今日、奉天のイギリス人宣教師あ来るんだけど、日曜学校は幼稚園児と低学年の生徒ばかりだから出席して頂戴」という。不承不承、幼稚園に行って後ろの方で席に着いた。(記念誌142頁上段) ...続きを見る

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2017/03/02 07:04
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −10−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −10−  第一次大戦中、オーストリア帝国の支配下にあって、ロシア戦線深く戦っていた6万のチエコ軍団がボルシェビ革命軍と衝突、危機に瀕した。それを救援するため、日本も要請を受けて、米英佛伊加などの連合軍と一緒に出兵することになった。 ...続きを見る

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2017/02/23 07:25
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード ー9−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード ー9−  僕が物心がつき、幼稚園に2年間通った大正7,8年ごろの住まいは「新宿舎」と呼ばれる当時としては一番近代的な建物であった。時代が変わって古くなったためか、会報では「軍艦長屋」となっている。(記念誌141頁上段) ...続きを見る

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2017/02/22 06:16
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −8−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −8−  木下町の満鉄社宅の道路の両側はたしか柳並木であったが、即溝はなく、ただ溝のように土を掘ってあって草ぼうぼうであった。(記念誌140頁下段) ...続きを見る

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2017/02/21 06:29
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −7−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −7−  公主嶺幼稚園(当時はまだ幼児運動場といった)の主任さんは田中菊江という方で、長崎県の活水あ(いけみず)保育専門学校のご出身。熱心なクリスチャンだった。(記念誌140頁上段) ...続きを見る

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2017/02/17 06:46
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −6−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −6−  大正7年秋、同級生の橘美佐雄君と下校のとき、泰平橋を渡りながら橘君が「お前も見たんだってなあ」「エッ、何?」「あれさ、支那人の幽霊のことだよ。だれにも話さんから教えろよ」。(記念誌139頁下段) ...続きを見る

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2017/02/13 06:21
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −5−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −5−  大正7年4月、青森県から公主嶺小学校の3年生に転校した。担任の先生の諏訪免先生、鹿児島の方で、お宅に伺ったとき奥様とのお話がちっとも分らなかった。(記念誌139頁上段) ...続きを見る

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2017/02/11 05:58
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −4−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −4−  公主嶺駅前の小学校に着いたのは大正7年春4月、私は18歳で、旅順の女学校を出たばかりの西も東もわきまえぬ小娘だった。商店街もなく、社宅の並ぶ街は静かで、若い女性はほとんど見受けない。(記念誌138頁下段) ...続きを見る

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2017/02/09 07:17
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −3−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −3−  父が満鉄に勤めていて、私が尋常2年生のときに転勤になったため、安奉線の草河口尋常高等小学校から公主嶺小学校に転入した。勿論、当時は駅前の煉瓦造りの校舎であった。住んでいた社宅が堀町にあったので、学校の裏門から近かった。 ...続きを見る

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2017/02/08 05:49
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −2−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −2−  私が公主嶺小学校に在学した当時(大正5〜10年)始業の朝礼からラッパ吹奏により開始、当時のラッパ手は13回生の伴野満寿美氏で、名手として有名でした。全員集合から正午の知らせ、その他常に規律よく進行したものです。(記念誌137頁下段) ...続きを見る

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2017/02/04 05:36
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −1−
公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード −1−  私は大正6年、4年生のとき、撫順小学校から公主嶺に転校して来た。一番珍しかったのが、授業開始、修了、食事などがラッパの合図だったことだ。(記念誌137頁上段) ...続きを見る

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2017/02/03 06:24
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −終ー
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −終ー  幼いころ、お正月に小山良江さんと可愛い名刺を持ち、よく近所へお年始に行きました。着物が長いので裾を踏まないように浅野さんの石段を上がり、「おめでとう」というと、奥様が笑顔でキューピーや女の子を描いた絵葉書を下さった。(181頁上段) ...続きを見る

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2017/01/30 06:40
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −13−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −13−  公主嶺の母親たちは、いまから考えると大変な働き者だったようだ。男の子の洋服は買えるけれど、女児服は数が少なく、ほとんどの子供がお手製の洋服を着ていた。母親たちはいつもいつも洋服を縫ったり、セーターを編んだりしていた。(記念誌181頁上段) ...続きを見る

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2017/01/28 06:09
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −12−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −12−  送って頂いた『80周年記念誌』目次によると、公主嶺小学校にスチーム暖房が備わったのは大正末期のゆである。冬の満州を偲ぶよすがにと北国の雪を訪れ、静まり返った夜の宿でスチームの音を耳にしたとき、ふっと心に浮かんでくるのは、小学校の廊下で聞いた幼いころのスチームの音である。 ...続きを見る

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2017/01/26 05:26
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー11−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー11−  私は大正13年から2年間、公主嶺の幼稚園に通った。もうそのころは2年保育が珍しくなくなっていたのだと思う。小さい組のときは田中清子先生にお世話になった。(記念誌180頁上段) ...続きを見る

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2017/01/25 05:32
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −10−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −10−  大正14年、大連から公主嶺に移り住んだのは、5歳のときであった。駅から馬車(マーチョ)にゆられ、橘医院を左折して、一路騎兵隊を目指して走り、たどり着いた所は高い土塀に囲まれた広大な敷地であった。土塀の角々には哨楼があり、昼夜交代で見張りが立って、馬賊の襲来に備えていた。(記念誌179頁下段) ...続きを見る

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2017/01/22 05:51
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −9−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −9−  大正14年僕が5年生の終わりに、満洲日日新聞主催で高塚社長が団長となり、第7回母国見学団があり、丸福旅館の浜本義一君と一緒に参加した。この見学団は毎年2,3人の死者が出るので、これが最終回となった。(記念誌179頁上段) ...続きを見る

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2017/01/19 05:32
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −8−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −8−  19回生の私共は山下昌平先生が公主嶺小学校赴任最初の生徒で、5,6年の2年間を受け持っていただきました。(記念誌178頁下段) ...続きを見る

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2017/01/17 05:18
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −7−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −7−  大正14年の秋と思います。初めての陸上競技大会が奉天で行われました。凄い風が吹いていたような気がします。参加校をA組、B組に分けて、公主嶺はB組でした。学校の生徒数が町の大きさで分けられていたようです。(記念誌178頁上段) ...続きを見る

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2017/01/16 06:05
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −6−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −6−  大正11年に父は渡満していたが、家族は2年後の大正13年5月、関釜連絡船で渡満した。私は当時8歳で3年生、着物姿に学帽をかぶった渡満記念の写真が残っている。一緒に写っている弟はまだ2歳だった。(記念誌177下段) ...続きを見る

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2017/01/14 05:50
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −5−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −5−  5年の遠足でコーセン山に行ったとき、何が面白かったのか、気がついたら橘淑子さん、伊藤久子さん、安部さん、渡辺まっちゃんら女の子ばかり7,8人になっていたのです。(記念誌177頁) ...続きを見る

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2017/01/13 05:42
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −4−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −4−  大正12年の夏かもしれません。4年生でした。当時、5,6年は星ケ浦海水浴、4年が熊岳城だったと思います。熊岳城温泉までは駅からトロッコが4台くらい一列に並んで線路の上を行くのです。後の車のロバが前の車のなかに、あの長い顔を出すので悲鳴があがり、大変な騒ぎ、屋根だけあるトロッコでした。 ...続きを見る

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2017/01/10 05:53
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −3−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −3−  公主嶺で住んでいた官舎は小学校正門前の通りを南西へ2,3分行った右側にあった。父の井田竹蔵が公主嶺警察支署の翻訳県高等科として勤務していたので、職業柄、中国の人の来訪もあり、「チンテンシャン ユウ?」(井田さんいますか)と私には聞こえたが、その声の調子が耳に残ってる。(記念誌176頁上段) ...続きを見る

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2017/01/08 05:49
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー2−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー2−  大正12年、元白系ロシアの文部大臣でいらしたとかのアレキサンドル・ジュコフスキー氏が満鉄に亡命して来られ、農試病理昆虫科で父三浦道哉(のち蜜成と改名)の仕事を手伝って、赤石行雄氏と植物の絵などを書いておられた。お住まいは農試のなかのロシア建て住宅だった。 ...続きを見る

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2017/01/07 05:14
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −1−
公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −1−  私の母、小野かのの人生は即、実科女学校と家政女学校の歴史でもあると私は今でも思っている。あのころの母は必死になって働き、学校の内容充実と発展に努力していた。それは今でも瞼の裏にやきついて忘れられない出来事である。(記念誌175頁上段) ...続きを見る

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2017/01/05 05:08
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −26−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −26−  公主嶺の朝日新聞は三村高次郎さんのあとを浅野兼右衛門さんが受け持っていました。浅野のじいさんは私宅に毎日のように夜遊びに来ていました。(記念誌220頁下段) ...続きを見る

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2016/12/27 05:29
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード ー25−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード ー25−  私は生後間もなく、多分大正15年頃に両親と共に公主嶺に移住した。そして小学校を卒業するまでの約13年を、公主嶺で過ごしたから、私は正に満洲育ちであり、公主嶺は私の故郷である。(記念誌220頁上段) ...続きを見る

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2016/12/26 05:30
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −24−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −24−  昭和5、6年の小学校のころの記憶は断片的で、すぐ消え、また現れる。楠町二丁目は鉄道の北で、公主嶺駅前の通りから二つ目の道路である。(記念誌219頁下段) ...続きを見る

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2016/12/23 05:30
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −23−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −23−  昭和5年、父神田勝亥の退任で、楽しい5年生も一学期で内地に帰ることになった。小山先生は気づかって、白雲寮の自室で、勉強の特訓をして下さった。(記念誌219頁上段) ...続きを見る

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2016/12/22 06:50
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −22−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −22−  昭和5年3月、3年生修了のときに父の転勤で公主嶺を去った。東京府荏原郡世田谷町の小学校は当時の国定教科書の挿絵そのままのコの字型の木造校舎だった。児童の三分の一が着物に袴、鞄を肩に掛けていた。(記念誌218頁下段) ...続きを見る

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2016/12/21 06:33
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −21−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −21−  当時、新進気鋭の満鉄マンの教育への情熱が、新天地で結実したと思われるのが教科書だった。理科の本は口絵に満州特産の蝶類の天然色写真が載っていた。厚さ1センチくらいで、横書きの楽しい本だった。おかげで、その後、昆虫や植物に興味を持つようになった。(記念誌218頁上段) ...続きを見る

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2016/12/20 06:59
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −20−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −20−  てんびん棒の前後にマクワ瓜5〜60個入った籠をぶらさげて、霞町も道をゆらりゆらり通るのはお百姓のニイヤン。緑に白い縞入りの小型マクワ瓜。(記念誌217頁下段) ...続きを見る

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2016/12/17 07:11
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −19−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −19−  私の住んでいた蔡家(さいか)のような中間駅には、年に2度ほど慰安車というものが来ました。大賞末か、昭和でも極初めだったと思います。それは2両ばかりつながった列車のマーケットとでもいうのでしょうか。(記念誌217頁上段) ...続きを見る

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2016/12/16 07:29
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −18−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −18−  昭和3年3月、19歳で香むら畜産科長のお世話で農事試験場の毛皮鞣製加工試験係の助手として採用された。以後、16年間、専業に終始した。(記念誌216頁下段) ...続きを見る

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2016/12/13 05:39
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −17−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −17−  昭和5年2月公主嶺仮種羊場から農事試験場に転じ、丸4年間畜産科にいましたが、小松八郎科長はじめ北海道、東北の人達が多く、おおらかな牧場生活でした。(記念誌216頁上段) ...続きを見る

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2016/12/12 05:59
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −16−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −16−  昭和5年、夏休みのある日、一級下の塩原幸男君と魚釣りに行くことになった。途中、芳原勇君のところで生餌をもらい、現地の様子も色々教えてもらう。二人とも太公望気取りであった。(記念誌215頁下段) ...続きを見る

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2016/12/10 04:27
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −15−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −15−  鉄道線路の草むらの茂みに、きりぎりすが鳴いていた。果てしなく広がる高粱畑から、さわさわと葉づれの音がしていた。帰りの通学列車に乗り遅れた私は、公主嶺をあとに大車(ターチョ)の轍のある凸凹道を大楡樹に向かって歩いていた。(記念誌215頁上段) ...続きを見る

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2016/12/09 07:12
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −14−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −14−  昭和5年5月、いまは亡き秩父宮が満洲へおいでになった。ところは軍都であった公主嶺、お召し列車から降りられた殿下は、馬で守備隊司令部へ向かわれることになっていた。(記念誌214頁下段) ...続きを見る

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2016/12/08 05:55
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −13−
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −13−  幼稚園時代から、満州、支那、朝鮮、白系ロシア等各系の人達と仲良く遊んだ。「五族協和」などの言葉は知らなくても、子供たちは無意識にこの言葉を体現していた。何をしゃべっていたか覚えはないが、子供の世界は結構話が通じていたようだ。(記念誌214頁上段) ...続きを見る

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2016/12/06 05:49
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −12−
 公主嶺は空気も良く、水も清く、健康地であったと思うが、寒冷地の住み方にうとい日本人にとってはいろいろ苦手なことが多かったらしい。そこは、内地よりも一歩先んじているという自負のある満鉄のこと、小学児童に対する健康指導は早くから考えられていた。(記念誌21頁下段) ...続きを見る

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2016/12/05 07:19
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −11−
 小学校の運動会は、守備隊から軍楽隊がきて盛り上がってくれるなど、町を挙げての行事だった。観覧席の外側はアンペラで囲まれていた。中国人が大勢、アンペラの隙間から覗いていた。(記念誌213頁上段) ...続きを見る

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2016/12/04 07:34
満洲に栄ゆる 「公主嶺十六景」など 絵はがき @
 公主嶺の絵はがきは大正時代から主として兵隊の記念土産として数種類があった。昭和10年代には「公主嶺16景」の絵はがきが売り出された。16景の組み合わせは多彩で、現在4種類、3枚ほどが残っている。    このような絵はがきが発行されたのは、公主嶺が軍都であったことが大きく影響している。それと同時に16景となるような風景に恵まれた土地であったことも見逃せない。しかし、それにしても、畜産の風車やロシア墓地などが入っていないのは、なぜであろうか。    この16景とは別に当地の写真館(やな... ...続きを見る

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2016/12/03 06:34
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −10−
 昭和4年の5年担任は満洲教宣地歴専攻の菊田善重先生で、身嗜みの良さと授業がわかりやすく楽しい雰囲気だった。一年足らずで先生は兵役に就かれたが、師弟の絆は音信の交流で益々深まった。(記念誌212頁下段) ...続きを見る

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2016/12/02 06:46
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −9−
 4年生のとき担任になられた小山司六先生は、満洲教育専門学校卒業したてで、お若くて、神経がピリピリしてて、何でもキチーンとしていないとオカンムリだった。机の中に無造作にハンカチを放り込んでいて叱られた。(記念誌212頁上段) ...続きを見る

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2016/11/30 06:08
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −8−
 夏休みを利用して虚弱児のために熊岳城温泉で合宿が行われていた。4、5校共同の温泉聚樂は、町はずれの林の中にあった。赤い立葵の花、ガマの穂のゆれる小川の岸、暖かな温泉の湧く砂地、バラックの合宿所、おぼろに見えてくる遠き思い出、それはすべて幼き日の美しいメルヘンである。(記念誌211頁) ...続きを見る

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2016/11/29 06:34
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −6−
 昭和3年ごろの公主嶺小学校にウラジミール・ジュコフスキーという名の碧い目の上級生がいた。私より4歳上の兄と同級生だったから、21回生ということになる。この方のお父さんは農事試験場に勤めておられ、一家は場内のロス建て社宅に住んでいた。(記念誌210頁下段) ...続きを見る

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2016/11/25 07:05
「あのころ」 伊藤 聖さん 語る 満州・公主嶺D
 公主嶺といえば農事試験場を思うほど、満鉄の農事試験場は有名であった。初代満鉄総裁だった後藤新平の雄図によるといわれているが、設立されたのは1913(大正2)年だから、2代総裁の中村是公のときである。(会報第3号) ...続きを見る

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2016/11/24 06:19
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −5−
 昭和2年ごろ機関庫の前の建物に住んでいた。昭和3年ごろは木下町に住み、農事試験場が近くにあった。私達兄弟は長男、次男、私が三番目と二つ違いのたずら兄弟だった。(記念誌210頁上段) ...続きを見る

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2016/11/23 07:06
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −4−
 運動会の練習にどんなことをしたかの記憶は薄らいだ。自分達が練習していた同じ運動場での下級生の練習風景の方がはっきり印象に残っている。(記念誌209頁下段) ...続きを見る

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2016/11/22 06:45
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −3ー
 2年生の受け持ちの清水辰男先生は大きな声が特色。当時は活動写真といった映画の説明役はいつも先生だった。海軍記念日の「広瀬中佐と杉野兵曹長」には涙が止まらず、手に汗を握ったものだ。(記念誌209頁) ...続きを見る

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2016/11/21 06:43
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −2−
 私は昭和2年6月、兵庫県多紀郡篠山町小学校の6年生のとき公主嶺尋常高等小学校に転校した。何しろ当時の丹波篠山町は軽便鉄道によるしか町に入ることができない田舎であり、小学校は木造平屋建てであった。(記念誌208頁下段) ...続きを見る

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2016/11/20 06:04
公主嶺小同窓会誌 第6章 エピソード −1−
 一年担任、久保田教頭先生は、式典の時、日ごろにまさる謹厳なお顔で、フロックコートに白手袋で奉安室から講堂まで、しずしずとお勅語の箱を捧げもって来られた。壇上の堀井校長先生も白手袋で、全校生徒、シーンと静まる中、お受け取りになる。(記念誌208頁上段) ...続きを見る

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2016/11/18 05:48
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −10−
 「かねを鳴らして夜汽車が通る/からんからんと鳴らして通る」と満洲小学唱歌「夜汽車」で歌われたように、夜汽車といえば、なによりもまず、あの鐘の響きが思い出される。(記念誌104頁下段) ...続きを見る

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2016/11/13 06:22
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −9−
 記録によると佛心寺の開基は大正2年ということだが、東祖心師はそれ以前の明治末期には、すでに公主嶺にいて布教につとめていた形跡がある。というのは、のちに血盟団事件を起こした右翼の大物、井上日召が東祖心師と会っているからである。 ...続きを見る

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2016/11/11 06:12
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −8−
 内地では珍しくなった煉瓦造りの建築を見ると、いつも懐かしきを憶えるのは、かつて煉瓦造りの家に住んでいたからだろうか。我が家が、古いロシアの劇場だったとは、幼いころから親達によく聞かされていた。(記念誌104頁上段) ...続きを見る

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2016/11/08 06:09
満洲・公主嶺小学校 37回生の歩み −14−
■その15回 37回生同期会は、1972(昭和27)年11月5日に東京で第1回が開かれて以来、毎年1回東京、その他の会場で開催しています。2001(平成13)年8月に「中村裕将さんを偲ぶ会」として集まりましたが、それを加えると今回で31回になります。  今回初参加の森田妙子さんは、小学1年生から数十年を経た空白を感じないほど、溶け込んでくださったように思いました。41回生の有江勝弘さん、溝口康子さんの参加は、公主嶺にいたという共通の思い出が、学年の違いを感じさせない強い絆になっていると... ...続きを見る

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2016/11/07 05:55
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −7−
 私は明治43年大連で生まれた。父が公主嶺の機関庫に勤務することになったので、両親と姉てい(9回生)、兄次郎(12回生)とともに、明治45年に公主嶺に移住した。(記念誌103頁上段) ...続きを見る

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2016/11/05 06:32
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −6−
 木下町の満鉄社宅はカマボコ型の煉瓦造り平屋が道路の両側に兵舎のように並んで建てられていた。典型的なロス建てで、四つの部屋の真ん中に円筒型黒塗りの鉄製ペチカがはめ込まれていた。中国人のニーヤが朝に石炭を投げ込んで、あの満洲の厳寒の冬をしのいでいた。 ...続きを見る

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2016/11/02 06:50
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード ー5−
 大正2年の秋、父の転勤で私たち一家が最初に住んだ家はロス建ての8畳四っつを田の字のように四角に並べた家で、真ん中にはペチカがありました。裏には試験場お空き地をへだてて中国人の家が並んでいました。そのころは霞町という名はなく、守備隊までがずっと木下町でした。 ...続きを見る

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2016/10/31 06:26
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −4−
 農事試験場の東側の畜産との間に、田舎から駅に通じる大きな道路がありました。多分、公主陵のほうから来る道だったと思います。公主嶺は背後の田舎が広くて、大豆の集散地でしたから、大車(ターチョ)が何台も何台も通りました。(記念誌101頁下段) ...続きを見る

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2016/10/21 06:24
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −3−
 大正はじめ、浅野醸造がまだ出来る前はあそこが共楽座という劇場で、その隣に満鉄病院があった。公園のなかに公会堂が設けられて共楽座はなくなり、前後して満鉄病院も公園の東側に移転した。鮫島通りに橘医院ができたのも、そのころだった。(記念誌101頁冗談) ...続きを見る

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2016/10/19 05:43
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −2−
 大正2年に札幌の師範学校付属小学校から公主嶺小学校の1年生に、姉の愛子は4年生に編入しました。母校では授業の始めも終わりも上級生の吹く軍隊式のラッパが合図でした。神社参拝などの全校集合のときには違ったラッパの曲が吹かれて、大急ぎで集まったものでした。 ...続きを見る

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2016/10/17 05:13
公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −1−
 午前6時半といっても、真冬の凍りついた路上は暗く、家から提灯をもったボーイに送られて四平街駅にたどりつくと、「おーい、千代ちゃん、発車するぞー、早く、早く」と列車乗務員の高木さんがホームに立って手を振っている。(記念誌100頁上段) ...続きを見る

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2016/10/14 05:59
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −11−
 父高取恵市は明治40年8月、独立守備隊の御用商人だった叔父三宅濱治を頼って満20歳で渡満、守備隊の酒保に勤めました。酒保では兵隊さんの日用品や雑貨、食糧などを売っていましたから、そこで仕入れや経理のコツを覚えたのでしょう。 ...続きを見る

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2016/10/10 05:59
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −10−
 小久保勇八は明治16年1月4日滋賀県生まれ、小松光治氏と同い年でした。日露戦争の前年、大津の歩兵第九聯隊に入営、日露戦争のときは足に貫通銃創をうけましたが、野戦病院からすぐまた前線へ戻りました。その後また負傷して兵庫県有馬の陸軍病院へ帰されてるうちに戦争が終わりました。(記念誌67頁下段) ...続きを見る

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2016/10/09 06:43
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード ー9−
 私の父三宅濱治は日露戦争に従軍したのち、いったん本籍の赤穂市に凱旋したが同じ赤穂出身者ですでに公主嶺で活躍していた丸福洋行の福浦重吉氏、丸福旅館の浜本芳太郎氏(カメさんの夫)に誘われ再び渡満した。明治41年だった。私はその2年あとの43年に渡満して小学校2年に入った。 ...続きを見る

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2016/10/07 05:51
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −8−
 祖父長尾由次郎は万延元年(1860年)大阪に生まれた。日清戦争のころ姫路で友人大矢奈良吉氏を社長として合名会社大矢組を設立し、陸軍の御用達商人となった。日露戦争直後、軍の要請だったのだろう。死を覚悟して社長夫妻、社長夫妻、祖父夫婦は若者を連れて大連に渡った。(記念誌66頁) ...続きを見る

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2016/10/06 06:35
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −7−
 父小松光治が書き残した手記から。「当時公主嶺には大機関庫の外、鉄道工場もあり、軍部としては東西大営に一個旅団が駐屯し居り(児玉少将)、付属地の広さは鉄道沿線中最大、確か300万坪(周囲約四邦里)を有し、私の行った時はまだロシアの教会堂(のち小学校となる)、民間小雑貨店1軒残って居た。(記念誌66頁) ...続きを見る

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2016/10/03 06:26
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −6−
 明治43年の冬、公主嶺にもペストが流行し、緑町のオンドルの家から武士道の陸軍官舎に引っ越しました。軍隊では武士道の入り口で外から来る人に消毒をしていました。当時、このあたりで家族でいたのは私共と連隊長のコックさん夫妻だけでした。(記念誌65頁) ...続きを見る

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2016/10/01 05:53
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −5−
 学校から行ったのか、汽車に乗って寛城子にコサック騎兵の馬術を見に行ったことがありました。寛城子から2キロほど離れた長春場内には、まだロシア兵が残っているといわれたころで、野球ができるような広い原っぱに大勢の見物人が、それも300人や500人ではなかったように思いました。(記念誌65頁) ...続きを見る

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2016/09/29 05:37
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −4−
 私が母に連れられて兄2人と公主嶺に行きましたのは、明治41年、数え年6歳のときでした。父大川信次郎は日露戦争に従軍、戦後ロシアに語学留学して、当時は独立守備隊のロシア語通訳として勤務していました。(記念誌64頁) ...続きを見る

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2016/09/27 05:38
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −3−
 明治42年に入学して、45年7月明治天皇が亡くなられたとき、四平街文教場へ転校しました。その間、公主嶺と郭家店で何回か引っ越し、汽車通学もしましたが、とにかく明治時代の公主嶺小学校を知っている数少ない一人になってしまいました。(記念誌64頁上段) ...続きを見る

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2016/09/26 06:27
公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −2−
 私が公主嶺に行ったのは明治40年で、数え年3つのときだった。父は一足先に渡満していたので、母に連れられて行った。当時はこのように、まず単身で渡満し、2,3年たって家族を呼び寄せるという例が多かった。(記念誌63頁下段) ...続きを見る

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2016/09/25 05:58
公主嶺小同窓誌 第2章 エピソード −1−
 公主嶺小学校は駅の正面にあって、くろずんだ赤煉瓦の大きな青柳(どろやなぎ)の枝間にのぞかせ、楡(にれ)のまばらな生垣に囲まれていた。古色蒼然として、新設校の現代的様式からは、およそ縁遠い非学校的なものであった。(記念誌63頁上段) ...続きを見る

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2016/09/24 05:59
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −14−
 折角満開の桜花も昨日からの風と雨で、まるで雪が舞うように散り始めた。その花弁(はなびら)を両手に受け、私は公主嶺に咲いていた四季の花々を思い出した。(記念誌30頁下段) ...続きを見る

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2016/09/17 06:26
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −13−
 昭和58年8月、公主嶺訪問のバスが旧小学校の門に入ったとき、胸が一杯になり、感無量だった。見上げれば、玄関の左側二階、私達6年生の教室はガラス窓も閉まって、ひっそりしている。(記念誌30頁) ...続きを見る

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2016/09/15 05:50
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −12−
 「柳絮」(りゅうじょ)なんとやさしくなつかしいひゞきをもった言葉だろうか、杳(はる)かな記憶の中のまぼろしの空に、今も柳絮は舞う、舞う、舞う。長い酷寒の冬が過ぎ、大地が一せいに息づく春、柳絮舞う空は、大らかに、おごそかにさえ思われる春の饗宴だった。(記念誌29頁下段) ...続きを見る

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2016/09/14 05:41
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −11−
 父の任地として公主嶺の駅に初めて降りたのは、昭和12年3月15日、そしてこれを書いている今日が昭和62年3月15日。まさに半世紀、50年丁度にあたるのも奇遇とはいえないだろうか。(記念誌29頁) ...続きを見る

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2016/09/11 07:12
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −10−
 ゆっくりと移ろう春も炎天の夏へと入る。見渡す限りのルーサン畑の緑色に、牧舎が点在する畜産、水遊び、魚とりの水源地とプール、コーセン山から転がっておりたときの草いきれ、夏休みの早起きをした林間学校の集い、暑さはアスファルト舗道に照り返していたが、木陰はさらっと涼しかった。(記念誌28頁下段) ...続きを見る

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2016/09/09 06:47
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −9−
 公主嶺の自然は子供心に豊な躍動を与えてくれた。冬はスケートに煤煙で真っ黒になって戯れ転がり、スチームに暖を求め、積雪の夜は深々と更けゆき、白銀世界になった朝は、吐く息も白く、一歩一歩足跡を印してゴム長靴で登校した。 ...続きを見る

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2016/09/08 05:50
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −7−
 公主嶺駅には何匹の動物がたかーー。まずだれもが思いう浮かべるのは、大棟(おおむね)の玉を間にして向かいあっていた六対の竜であろう。(記念誌27頁上段) ...続きを見る

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2016/09/06 06:06
公主嶺同窓会誌 第1章 エピソード −6−
 公主嶺の「ロス建て」については資料が乏しく、やっと明治建築研究会の柴田正己先生(堺市立工業学校)から、以下のご教授をうけた。(記念誌26頁下段) ...続きを見る

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2016/09/05 05:32
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −5−
 町はずれのロシア墓地には、子供たちに未知の西欧文明があった。白い大理石の墓標、そこに刻まれた紋章とロシア文字、高くそびえる十字架、軽快な木々の葉かげ、木漏れ日・・・。張りつめた空気までが別世界のもののようだった。(記念誌26頁) ...続きを見る

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2016/09/04 06:09
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −4− 
 町の西の端に「武士道」という地名があった。練兵場の南端に沿って走る細い未知の入り口あたりに「壮烈」と大書した自然石の碑があり、満州事変のとき南嶺で戦死した倉本中隊長の事跡が刻まれた。(記念誌25頁) ...続きを見る

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2016/09/03 05:56
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −3−
とき 1899年 ところ 露都ペテルブルグ 皇帝 マンチュリア(満洲)を軍事占領したあと、どこに防衛拠点を設けたらよいだろうか。(記念誌25頁) ...続きを見る

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2016/09/02 05:33
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −2−
戦前、小久保商行で働いていた樊来祥(はんらいしょう)という老人がいる。樊氏は現在82歳だが、彼から聞いた公主伝説を公主嶺にいる友人、夏雲氏(記念誌を中国語に翻訳した)が伝えてくれた。(記念誌24頁下段) ...続きを見る

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2016/09/01 05:11
公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −1−
今から七十年ほど前、公主嶺駅北約2里にある陵は「源義経の墓なり」の伝説を聞いたことがある。悲劇の将、義経は奥州衣川で果てたというのに、なぜかこの人の伝説はロマンに満ちて、とどまるところを知らない。(記念誌24頁上段) ...続きを見る

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2016/08/31 06:04
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −50−
昭和8年、吉林から公主嶺に、教会牧師の中塚さんのご縁で住むことになりました。2,3歳のころ、公園の入り口あたりで私と見知らぬ中国人が歩いているのを、山本時計店のおばあちゃんが見つけました。(記念誌292頁下段) ...続きを見る

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2016/08/24 06:13
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −49−
公主嶺の河南街に興発園という大きな飯館があった。この店の料理は味がいいので、日本人が来客の招待や家族連れで利用し、いつも繁盛していた。(記念誌292頁上段) ...続きを見る

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2016/08/23 06:30
「あのころ」 伊藤 聖さん 語る 満州・公主嶺C
小山司六先生(1909〜1945)は昭和4年4月から13年3月まで公主嶺小学校に在職され、24,32,35回生を担任された。私は直接には教わらなかったが、関係者の名簿を作成しているうちに、終戦の前日に亡くなられていることが気になっていた。(公主嶺会会報 第18号) ...続きを見る

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2016/08/22 06:02
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −48−
白雲寮の近くに住んでいた私は、小学生のころ寮生活をしていらっしゃる先生方のところへ友達とよく遊びに行ったものです。(記念誌291頁上段) ...続きを見る

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2016/08/22 05:20
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −47−
私が公主嶺に行きましたのは昭和10年8月末で、2年生のときでした。父は一年前に渡満していましたので、母が小学校3年の姉を頭に4人の子供を連れて行くのは大変なことで、祖母と伯父が一緒について来てくれました。50年以上も前のことですから長い長い道のりでした。(記念誌291頁下段) ...続きを見る

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2016/08/19 05:17
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −46−
花園町2号地。これは私の生家、鮫島通りに面し公園を背にしていた。明治の末から乳が住みついた所で、公主嶺が満鉄幹線の終点になるとのことで現地除隊をした元気な若者が多勢公主嶺に集まっていた。その後、長春まで延長されるとのことで金泰(きんたい)、森野は長春に移動したと幼いころによく聞かされた。(記念誌290頁下段) ...続きを見る

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2016/08/18 06:30
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −45−
昭和10年ごろ当時、私の家は二軒一棟のロス建てで、隣は大連高女に在学中の竹原さんの家だった。姉さんが寿江さん(24回生)、妹の巳恵子さん(25回生)、その下に富代さん(27回生)の三姉妹の御一家だった。お母さんは色白で、いつもニコニコした顔が優しかった。(記念誌290頁上段) ...続きを見る

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2016/08/17 06:26
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −44−
5年生のときであった。まだよく滑れもしないのにリレーの選手に出され、さかんな声援の中で見事ころんで最後になった恥ずかしい経験。(記念誌289頁下段) ...続きを見る

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2016/08/16 07:07
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −43−
杏の花と柳の綿毛「柳絮(りゅうじょ)」の春。冬は北風の吹くスケートリンクのざわめき。町の様子が生き生きと目の前に広がって、とても和やかな思いに満たされる公主嶺でした。(記念誌289頁上段) ...続きを見る

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2016/08/13 06:26
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −42−
「テツ・カイ・シ・コウ」聞いただけではなんのことだかわからないこの言葉は、鉄嶺、開原、四平街、公主嶺の四つの町が回り持ちで開く陸上競技大会のことでした。当時の子供にとっては、たいへん楽しい行事のひとつでした。(記念誌288頁下段) ...続きを見る

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2016/08/12 05:40
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −41−
五年生のとき香西先生と小山先生に引率されて新京でおこなわれた満鉄各小学校の陸上競技会に参加した。私は400メートルリレー選手の一人だった。あとの三人は、清水幸子、高畑登美子、大友聖子さんだった。(記念誌288頁上段) ...続きを見る

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2016/08/11 05:57
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −40−
島崎が内地の小学校で6年生を卒業させて、渡満の決意をしたのは昭和10年の3月。愛児を失くした放心のときに、大連の教育事務所に勤めていた親戚のすすめもあり、勇躍「吉林丸」に乗った。(記念誌287頁下段) ...続きを見る

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2016/08/10 05:31
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー39−
「・・・幼い交友の思い出としては旧満州(現中国東北)公主嶺尋常小学校時代がある。父の職業の関係で小学校後半を満洲でおくったが、担任の香西新史郎先生に目をかけられ、五年生で新京中学に入学することができた」(記念誌287頁上段) ...続きを見る

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2016/08/09 06:59
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −38−
私は軍人だった父の転勤につれて、小学校を5回変わった。その4回目が公主嶺で昭和10年4月からまる1年間、5年の香西(こうさい)学級いお世話になり、翌年また転校して、最後は九州の大分で小学校を卒業した。(記念誌286頁下段) ...続きを見る

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2016/08/07 06:04
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −37−
父藤山新一の転勤で、奉天一の繁華街にある春日小学校から公主嶺駅に降り立ったのは、6年生の5月ごろだったと思います。奉天とは比べものにならない寂しい駅周辺のたたずまいに、とまどいを感じたことでした。これが私と公主嶺との出会いです。(記念誌286頁上段) ...続きを見る

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2016/08/06 06:22
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −36−
父の待つ公主嶺に着いたのは昭和9年12月も末のことだった。厳冬の公主嶺。古いロス建ての陸軍官舎だった。近くには今まで見たことのないロシア墓地、射撃場などがあった。(記念誌285頁下段) ...続きを見る

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2016/08/05 05:11
「あのころ」 伊藤聖さん 語る 満洲・公主嶺B
手もとに「分水嶺の駅」と題した古い1枚の絵はがきがある。その写真説明を読むと「公主嶺は海抜695尺の高地にあり、此の停車場はロシアが兵站基地を兼ねて設置したのに始まり今日の隆盛をみる」と書いてある。 ...続きを見る

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2016/08/03 05:19
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −35−
連絡船で大連に下船し、新京行きの列車に乗り込んだとき、中国人の発するニンニクの匂いと、未知のところへ行く不安とで、やや気勢をそがれた形。公主嶺へ下車したとき、全部の先生方の出迎えをうけてほっとしました。(記念誌285頁上段) ...続きを見る

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2016/08/02 06:36
「公主嶺小学校史」 中国語訳本 朝日新聞が紹介
日露戦争の1907(明治40)年に南満洲鉄道(満鉄)が創設した旧満洲・公主嶺小学校の校史の中国語訳が出版され、このほど同小同窓会に届いた(朝日新聞夕刊−1991年8月17日付) ...続きを見る

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2016/08/01 05:17
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −34−
公主嶺にはこれといった川がなかったが、町の北西に「朝鮮ダム」と呼ぶ釣り場があった。川の名も知らないし、ダムがどこにあったのか確かめたこともなかったが、朝鮮ダムといっていたことだけは覚えている。(記念誌284頁下段) ...続きを見る

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2016/07/30 05:14
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −33−
昭和7年に発足した少年団体は5年6年と高等科からの募集であった。私は5年生になった昭和9年に入団た。つばの広い帽子、緑のネッカチーフ、腰のロープ、ジャックナイフ。何か素晴らしいことが起こるようでわくわくしたものである。(記念誌284頁上段) ...続きを見る

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2016/07/28 06:32
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −32−
隊長官舎に付いている大きなベルが、毎晩のようにけたたましく鳴り響く。すると、家中がとび起きて父の身支度を手伝い、送り出すのです。父は兜のような火除けの帽子をかぶり、助手席にとび乗ると発車。あっという間の出勤です。(記念誌283頁下段) ...続きを見る

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2016/07/27 06:01
DVD『満洲公主嶺〜』作成の裏話 土屋洸子 
これまでに公主嶺関連のメモリー三部作のうち「記念誌」「写真集」はすでに書いた。ここでは最後のDVD『満洲公主嶺ー百年の変貌』と労作・「中国語への翻訳誌」作成の裏話について書き記したい。先ずは映像を編集した杉山兼弘さん、翻訳に携わった中国人・夏 雲さんに登場願おう。 ...続きを見る

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2016/07/26 06:08
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −31−
公主嶺に長年住まわれた人でも、こんな場所があったことを知らないのではないでしょうか。公主嶺の西、武士道の一番奥の守備隊の真ん前にあり、昭和8年創立の小さな部隊、それが軍用鳩育成所で、父の勤め先でした。(記念誌283頁上段) ...続きを見る

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2016/07/25 06:39
満洲・公主嶺 「中国の旅」 服部一男
1970年6月の1号から2008年3月の53号まで発行された会報「満洲 公主嶺」。散逸する恐れがあるため全号を合本にした大冊が手元にある。時折引き寄せ、当時をしのんで一人感慨にふけている。で、そんな中から気にとまった記事を順次披露していきたい。 ...続きを見る

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2016/07/24 05:36
「あのころ」 伊藤聖さん 語る 満州・公主嶺A
公主嶺の給水塔ーーそれはあの土地につながる思い出の象徴的な存在であった。私たちのあの時代が再びかえってこないと同様、あの塔も戦火に失われてしまって、もう見ることはできなくなってしまった。かぎりなく懐かしい存在として、私たちの追憶のなかにしか残されてはいないのである。 ...続きを見る

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2016/07/23 06:00
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −30−
私は公主嶺小学校に1年生の終わりか2年生の初めごろ、転校してきました。4年生までは体が弱く欠席ばかりで、まともに通学した記憶がなく、やっと4年生の終わりごろから丈夫になり、欠席も少なくなりました。(記念誌282頁下段) ...続きを見る

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2016/07/22 06:13
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −29−
5年生になると遠足は本格的に遠出となる。5年以上高等科と合わせて公主廟に行くのがきまりだった。まだ治安が悪く、匪賊への警戒もあったのか、騎馬の警察官が前と後ろに5人ほどついて行った。(記念誌282頁上段) ...続きを見る

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2016/07/20 07:02
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −28
私が小学校に入学する昭和5年の3月に父高次郎は死去した。弟の悟郎はまだ4歳であった。母春子は当時18歳の長兄正二の手助け、それに忠実でよく信頼してくれていた中国人の従業員の協力を得て、父の事業を継続し、男5人、女2人の私たち7人の子供を育て上げてくれた。(記念誌281頁下段) ...続きを見る

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2016/07/19 06:01
「あのころ」 伊藤 聖さん 語る 満洲・公主嶺@
旧満州公主嶺小学校同窓会の会報集が手元にある。第1号(1970年)から53号(2008年)までの会報を合本・縮刷したものである。その中から主筆だった伊藤聖さんが、折にふれて綴った公主嶺に関する随想や解説をテーマ別にシリーズで転載することにした。いずれも関係者にとっては珠玉のメモリーだ.。 ...続きを見る

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2016/07/18 06:02
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー27−
冬の思い出として、毎年12月14日に義士祭が学校行事として行われました。厳冬の夜道を敷島台の忠魂碑まで雪中行軍をするものでした。1時間余りの行軍を終えて帰校すると、冷え切った身体、歌い疲れた喉を癒してくれる熱いアメ湯が待っていました。あのときのおいしさが忘れられません。(記念誌281頁上段) ...続きを見る

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2016/07/17 05:19
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −26−
旧校舎講堂の右側に衛生室があった。部屋は普通教室より広かったように思えた。ここで人工太陽灯の照射をうけた。ドームのような照射室にパンツ一枚で入り、紫外線よけの遮光メガネをかけ、戸外の寒さを忘れて、その暖かい光を浴びたものである。(記念誌280頁下段) ...続きを見る

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2016/07/14 05:14
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −25−
3,4年組と称する養護学校に私は二年間御厄介になった。担任は大塚先生で、4年生の授業中は3年生が自習。3年生が授業のときは4年生が自習という、よく見かける文教場のような風景であった。一年違いの兄とは同じ教室で勉強したこともある。(記念誌280頁上段)  ...続きを見る

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2016/07/13 05:29
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −24−
58年夏、公主嶺公園を再訪した。動物や鳥小屋は残っており、神社は鳥居だけ建っていた。ふと子供のころの夏祭りのことが頭の上を通り過ぎた。(記念誌279頁下段) ...続きを見る

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2016/07/12 06:08
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −23−
鉄道北の飛行隊に行く道のそばに橋立町警察官派出所があった。その付近に満洲電業の社宅が警察官長屋に沿って一列に並んで居たと思う。確か木下町3丁目だったと思うが、そこに変電所の冷却地があって、危険防止のため針金が張りめぐらされていた。(記念誌279頁) ...続きを見る

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2016/07/11 07:24
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −22−
長い冬が終わると、新緑のころの満洲の草木には日本とは違った美しさがあったと思う。当時は家庭では草花が栽培されていなかった時代であったのか、農事試験場のルーサン畑は僕たち子供の夢であり、遊び場であった。(記念誌278頁下段) ...続きを見る

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2016/07/09 05:56
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー21−
「我が家には大きな杏の木があった。幼き頃よく登っては甘酸っぱい実を食べたものだった。枝から遥か東に青い山が望まれた。広野に生まれ、山を知らない私は、そこにどうしても行って見たい憧れを感じた。 ...続きを見る

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2016/07/07 06:26
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −20−
大楡樹には鉄道員や農事試験場など満鉄社員家族が12軒、あとは中国人の家族でした。これらの人を守るため、公主嶺の守備隊から、7,8人ずつ交代で分遣隊に兵隊さんが来ておられました。(記念誌277頁下段) ...続きを見る

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2016/07/04 06:15
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピーソド −19−
まだまだ治安の悪いときのことだった。満州事変後、日本人は何時襲撃されるかわからない不安のなかで日々を過ごさなければならないような時期があった。(記念誌77頁上段) ...続きを見る

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2016/07/02 06:38
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −18−
試験勉強で遅くなり、凍った道をつるつる滑りながら家路を急いだ六年生の冬、家々の煙突からモクモク吐き出される黒い煙と、夕モヤに黒ずんだ空の向こうに沈みゆく真っ赤な夕日、夕焼けの空を覆う真っ黒な鴉の大群、冬が訪れるたびに、私にはこの情景が蘇ります。(記念誌276頁下段) ...続きを見る

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2016/07/01 06:14
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −17−
戦線が遠のいて、公主嶺が元の静かな街に戻った。昭和7年の1月ごろだった。キリスト教会の日曜学校で衛戍病院を慰問することになった。出し物は他愛もない桃太郎物語だったが、退屈している兵隊さんにはとてもよろこばれたようだった。(記念誌276頁上段) ...続きを見る

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2016/06/29 06:20
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード ー16−
杏の花で有名な郭家店から汽車で6年間、公主嶺の小学校まで通学した。汽車通学には、列車時刻が大きく日常生活に影響した。授業に遅刻したり、帰宅が遅くなったり、自由時間が制限されたりの日課が宿命だった。(記念誌275頁下段) ...続きを見る

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2016/06/27 06:09
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −15−
3歳のときから、6年生を卒業するまで、郭家店で暮らしました。一年生に入ったときから、公主嶺小学校への汽車通学が始まります。郭家店、蔡家、大楡樹、公主嶺と、卒業するまで、あの連京線のお世話になりました。(記念誌275頁上段) ...続きを見る

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2016/06/26 05:57
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −14−
私の父は南満州鉄道株式会社に勤務しておりました。日露戦争のとき従軍兵として、乃木将軍と共に兵隊さんに交じって鉄道をひくために満洲に渡ったと聞いております。大連から奉天、四平街、公主嶺と鉄道線路を改修しながら進んだそうです。(記念誌274頁) ...続きを見る

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2016/06/25 06:14
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −13−
小学校に入学してから卒業するまでの丸6年間、大楡樹から汽車通学をいたしました。そのころは一日の列車本数うがごく少なく、始業時間に間に合う列車がなかったのでしょう。(記念誌274頁上段) ...続きを見る

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2016/06/23 06:20
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −12−
在留日本人の親善を図ることを目的とした親善野球大会が、当時の公主嶺では非常に盛んであった。チーム名は忘れたが、駅・機関区の満鉄チーム、商店関係の実業団チーム、その他警察、守備隊、地方事務所などのチームが、毎年春秋二回、公園の野球場で対抗試合をして、平素の練習の成果を競い合っていた。(記念誌273頁下段) ...続きを見る

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2016/06/21 06:09
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −11−
小学校4年から6年にかけて、郭家店から公主嶺へ汽車通学をしていた。汽車の便がわるく、貨物列車の後尾の車掌車に便乗することも度々あった。低学年生には、乗り降りが大変だった。公主嶺まで、蔡家、大楡樹に停まり、約1時間かかった。(記念誌273頁上段) ...続きを見る

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2016/06/20 05:45
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −10−
公主嶺と四平街の中間にあった郭家店(かっかてん)には杏(あんず)の花の咲く公園がありました。蒙古のパプチャプ将軍が進軍中、駒を休めて杏の花を眺め、以来そこがパプチャプ公園と名づけられたとのことです。(記念誌272頁下段) ...続きを見る

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2016/06/18 05:41
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −9− 
炎天下に1・5センチくらいの牛糞球を二匹が前になり後になり、協力しながら転がしてゆく、おなじみの小さな黒い甲虫--。昭和6年の夏に阿佐ヶ谷に帰り。一年くらいたつと昆虫好きの仲間も出来、あの虫がそんなに内地では珍しいものだったのか、と再認識させられた。(記念誌272頁上段) ...続きを見る

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2016/06/16 07:17
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −8−
「ああ南嶺三十八士」の無言の凱戦を迎えたころから、われわれの遊びは戦争ごっこ一色になった。天気さえよければ、泰平橋を境として町側と宮舎側に分かれての戦いに明け暮れたのである。 ...続きを見る

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2016/06/15 06:17
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −7−
その日は郭家店に慰安車が来る日だった。慰安車は二両編成で、一両は日曜雑貨品などを販売、一両は座敷車で映画の上映などをした。中間駅に住む人達にとっては、年に一度の楽しいお祭りの日だった。(記念誌271頁) ...続きを見る

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2016/06/13 05:35
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −6−
公主嶺駅構内の東寄りに、駅を警備する独立守備隊の詰め所があり、兵隊さん達が駐屯していた。ここには守備隊の上官が毎日巡回して来ていたのだろう。私はその上官の当番の兵隊さん可愛がられ仲良しになった。(記念誌270頁) ...続きを見る

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2016/06/12 06:27
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −5−
昭和6年ごろ住んでいた私の家は水源地と和田牧場に近い泉町の郵便局官舎で、ロシア建てのだだっ広い殺風景な家だった。裏は広い畠で、それに続いて広いグラウンドがあり、その先には満鉄の白雲寮の白い建物が見えていた。(270頁上段) ...続きを見る

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2016/06/10 05:52
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −4−
いたずらをすると「馬賊にやるぞ」とおどかされ、「チョ−サクリン、チョーガクリョウ」等の名前も聞き覚えた昭和4、5年ごろから、満洲各地の土匪の跳梁が何となく活発化する気配が感じられた。(記念誌269頁) ...続きを見る

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2016/06/08 05:55
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −3−
昭和6年9月19日の明け方、私は地の底からひびいてくる大勢の足音に目覚めた。それはザックザックザックと整然とした、そしていつまでも続く軍靴の音だった。力強い響きだったが、異様な恐ろしい体に伝わるようだった。 ...続きを見る

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2016/06/07 06:05
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −2−
私の満洲での思い出といえば、何といっても満州事変のことである。その当時は小学校1年生であり、しかも家が河南の中国人街のちかくにあった。時刻は忘れたが、突然、匪賊の襲来を受けたことがあった.。(記念誌268頁) ...続きを見る

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2016/06/06 06:31
公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −1−
私の生涯で恐ろしく忘れることの出来ないのは、昭和6年9月18日の満洲事変の前夜である。夜、床についてすぐだったと思う。パンパンという銃声が聞こえ、私と妹はすぐ枕元にあった洋服に着替えた。父橘十一郎が何やら出て行く様子、母が慌てて止める。 ...続きを見る

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2016/06/04 04:37
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード 終
シリーズ「満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード」が69本でようやく終わった。スタートが2月9日であるからおおよそ3ヵ月半余り。よくもまあ、との感慨深いものがある。このシリーズに踏み切った思いは私にはそれなりにあった。 ...続きを見る

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2016/05/26 06:13
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −69−
スケート場への注水は一般家庭の水道使用時刻をさけて、午後7時から消火用ホースで始める。初日に思い切ってたくさん注水すると、水温で地表の凍結が解けて、せっかくの水が全部地中にしみこんでしまうので、ころ合いを見計らいながら次の注水を継続することになる。(記念誌373頁下段9 ...続きを見る

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2016/05/23 05:43
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −68−
九月下旬に柳の葉が散り尽くしたかと思うと、10月10日ごろには必ずといってようほど小雪がばらついて、ながい冬の到来を告げる。(記念誌373頁上段) ...続きを見る

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2016/05/22 06:09
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −67−
どろ柳の陰になった赤煉瓦の舎(いえ)/パテの剥げかかった窓枠と/地下の暖房室への黒い鉄の手摺り/ところどころアーチ型をした白い壁/拭いたあとの床が濡れて光っている/そんな情景が 潤いをもって 夢のように瞼に浮かんで来ます(記念誌372頁上段) ...続きを見る

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2016/05/21 06:05
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −66−
寒い北風吹いたとて/おじけるような子どもじゃないよ/まんしゅうそだちのわたしたち/それに雪さえ降ったとて/たまげるような子どもじゃないよ/まんしゅうそだちのわたしたち(満洲小学唱歌三年・記念誌372頁下段) ...続きを見る

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2016/05/20 05:51
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −65−
菓子は池田パン店の味つけパン(サンライス)、藤井菓子店の宇治金時、文化饅頭(まんとう)、駅構内売店の車輪型あん入り焼き饅頭、郭家店のお花見での醤油をつけた焼きダンゴ。(記念誌371頁上段) ...続きを見る

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2016/05/19 06:44
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −64−
鮫島通りのつき当たり中国人街の入り口、鮫島橋を渡ると中華飯店の興発園があった。その手前には数軒の食料小売店があったが、店頭に置いてある白い包子(パオズ=肉まん)にハエが群がって、まるでおはぎのようにみえたのには驚いた。大陸的というか、中国人はあまり気にしない。(記念誌370頁下段) ...続きを見る

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2016/05/18 07:07
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −63−
地方事務所長の主催であったと思うが、すごく上天気な初秋の一日、農事試験場の広大な草原の一隅に、大きな天幕を張りめらして、学校職員と全家族、幼稚園の先生たちでジンギスカン料理を食べた(記念誌370頁上段) ...続きを見る

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2016/05/17 06:51
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −62−
楠町にあったロシア帝政時代の劇場の廃屋が、ずっと後、製氷会社となるまでの間、しばらく無人の時代があったこの大きである。な建物のうしろには数本の楡の大木が高く茂り、屋根には草が生い立ち、庇(ひさし)の下ではいつも鳩がクウクウと鳴いていた。 ...続きを見る

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2016/05/16 05:34
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −61−
父と共に、心配とチョッピリの期待に胸をふくらませて、公主嶺小学校の門をくぐったのは、昭和15年9月の初めでした。5年女子組の古谷先生に連れられて教室に入りました。(記念誌369頁上段) ...続きを見る

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2016/05/15 05:40
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −60−
父が公主嶺の消防隊長を退職し、住みなれた官舎からぐっと小さな家に引っ越したときの話です。その家のお風呂は、話には聞いたことがある五右衛門風呂でした。(記念誌368頁上段) ...続きを見る

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2016/05/14 05:48
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −59−
あれは三年生の秋だったろうか。私たちの担任は大和田先生だったが、ある日の放課後、他の先生から(お名前は思い出せない)「大事なものを撮ってきたから、ちょっと手伝ってくれないか。先生が合図したら、黒いカーテンをあける役目をしてくれ」。(記念誌367頁下段) ...続きを見る

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2016/05/12 06:56
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −58−
昭和14年の秋のころだったか、講堂のステージの緞帳(どんちょう)がなくなった。大騒動になったことがある数日後憲兵隊から、学校から盗み出したといっている盗賊を逮捕し、緞帳も押収してあるから取りに来るようにと連絡があった。(記念誌367頁上段) ...続きを見る

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2016/05/11 06:26
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −57−
「お前のチンチンどれーくらい」---ふくよかな体つきのオケラが、考えあぐねたように静止して、前肢を釣り人が魚の大きさを自慢するような仕草をすると、子供の歓声が一段と喧(かしま)しい。(記念誌366頁下段) ...続きを見る

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2016/05/09 05:29
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −55−
いまの子供たちと違って私が小学生のころは「よく学びよく遊べ」ではなく、学校から帰るとひたすら遊んだものです。陸軍官舎の入り口の鉄道に沿ったところにあった小高い丘は、子供たちの格好の遊び場所で、雨や雪でないかぎり、毎日のように遊びに行ったものでした。(記念誌365頁下段) ...続きを見る

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2016/05/04 06:24
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −54− 
ノモンハン事件が起きたのは私が4年生の夏のことでした。深夜、サイドカーの音がして菊地町のわが家に止まり、父があわただしく出動していくのを見送りました。(記念誌365頁上段) ...続きを見る

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2016/05/03 06:04
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −53−
冬のスポーツといえば、満州でスケートは唯一の屋外の運動で、冬が近づいてくると楽しみで、スケート場が出来るのが待ち遠しいものでした。(記念誌364頁下段) ...続きを見る

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2016/05/01 07:12
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −52−
冬の花形はやはりスケートだ。私はスケートを幼稚園時代からやっていて、得意だった。旧校舎の薄暗い廊下で、かじかんだ手をこすりながら、8の字にスケートを研いだり、靴の紐がほどけなくて、スケートのまま家に帰ったことなど、懐かしい。 ...続きを見る

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2016/04/30 06:59
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −51−
2年生か3年か、記憶は定かではないが、ある夏の日に学年全員が学校に泊まる行事があった。各自が毛布や歯みがきなどを自参し、親たちが校庭で作ったサツマ汁を、外で食べる。そして、講堂で全員毛布にくるまって寝ることになっていた。(記念誌363頁下段) ...続きを見る

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2016/04/29 06:02
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −50−
昭和13年11月18日5時半、公主嶺小学校創立31周年記念学芸会が、講堂で始まりました。私が2年生のときです。(記念誌363頁上段) ...続きを見る

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2016/04/27 05:41
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −49−
畜産試験場。引込み線を越えると、赤煉瓦の建物が点在し、木陰に中国人がのんびりと、これも仕事のうちと遠くに草を噛(は)む羊にものうげな目をやり、また雲の行方でも見定めるように、ひっくり返る。(記念誌362頁下段) ...続きを見る

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2016/04/26 06:40
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −48−
霞町の我が家の裏庭越しに、帝政ロシア時代の劇場の廃屋があった。この建物の楠町小公園側、東方角の高窓のある一室に、馬冠標先生という東京文理大学出身の満洲建国大学教授が、日本人妻とひっそり暮らしておられた。(記念誌362頁上段) ...続きを見る

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2016/04/25 06:22
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −47−
列車が公主嶺駅を出て北へ向かうと、すぐ右側に草原が広がる。さらに北側に位置して、各部隊の練兵場がある。その一角に立ってみても、子供の視線の高さでは全体が見えないが、実際は水たまりや丘などの起伏に富んだ地形である。(記念誌361頁下段) ...続きを見る

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2016/04/24 06:21
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −46−
学校からの帰り道だったのだろうか。夏草の蒸れるような繁みを通り抜けて、線路ぎわに辿りつく。特急アジア号が、あっというまに近づき、轟音を残して飛ぶが如くに去る。(記念誌361頁上段) ...続きを見る

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2016/04/22 05:13
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −45−
昭和13年7月31日、単身で6月に軍経理部技師長として赴任した父のあとを追って、家族一行8人夕闇の公主嶺駅に降り立った。小学3年生の私の第一印象は、満洲は寒いと聞かされていたがそうでもないな、ということだった。 ...続きを見る

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2016/04/21 06:06
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −44−
霞町3丁目から西北に伸びて練兵場に向う林の道、それは忘れもしない「武士道」であった。この道入り口の左側に高さ約1メートル、幅約30センチほどの石碑が建てられていた。(記念誌360頁上段) ...続きを見る

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2016/04/19 07:55
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −43−
公主嶺駅を出て左に足を向けると、なだらかなアスファルトで舗装された坂が伸びている。市街地へ行く跨線橋としての泰平橋につながる。父が満洲勧業銀行に勤めており、桜町の社宅に住んでいた。(記念誌359頁下段) ...続きを見る

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2016/04/18 05:36
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −42−
家が桜町で高野山のお寺をしていた関係で、年中行事にもそれぞれの思い出がある。なかでも節分とお盆はその感が強い。年が明け節分の二、三日前になると、大豆を沢山いり、福豆袋に入れて約200個分を用意する。(記念誌359頁上段) ...続きを見る

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2016/04/16 12:31
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −41−
公主嶺駅をへだてた一角に、ロシア建ての構内食堂があり、私はここを経営していた伯父井本賢治夫妻から父母同様に可愛がられた。この食堂は駅員や満鉄関係の方々が利用されていたらしい。(記念誌358頁下段) ...続きを見る

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2016/04/04 05:53
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −40−
朝鮮ベースの呼び名が、なぜ「チョッコンベース」に変わったのか。多分、朝鮮語の「チョッコンカマイソ」からの転化であろう。楊柳の小枝、40センチの打棒と15センチほどの飛棒をとりそろえ、船形の小穴を掘れば準備完了.。 ...続きを見る

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2016/04/02 07:35
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −39−
あるとき、垣見三吉君がだれに聞いたのか、給水塔にコウモリが居るらしいといってきた。僕は駅の助役の景山弥之助さんに頼んで入れてもらった。なかは薄暗く、ラセン状の階段がついていた。(記念誌357頁下段) ...続きを見る

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2016/04/01 05:56
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −38−
昨年の同窓会の二次会で、伊藤聖君、一昭君らと敷島台でリスを追いかけた話をしたらしく、それを書いてくれという。確かに夢中になってしゃべった覚えはあるが、ディテールは一切ぼんやりしていて、ぴょんぴょん逃げるリスの姿がみえるだけだ。(記念誌357頁上段) ...続きを見る

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2016/03/29 06:33
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −37−
新校舎の体育館は色々な体育施設が設置されていた。跳び箱・鉄棒・肋木・平均台等々。体操の時間には山口先生がこれらの器具を使って演技を指導された。跳び箱は三段ぐらいの低いところから始め、次第に五段、六段と高さを上げていき、私達も新しい高さに懸命に挑戦した。(記念誌356頁下段) ...続きを見る

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2016/03/28 06:50
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −36−
満洲の春はおそいが、急に暖かくなる。六年生の5月に郭家店(かっかてん)へ杏の花見の遠足があった。郭家店は公主嶺から南へ大楡樹(だいゆじゅ)、蔡家(さいか)と三つ目で、汽車で40分、まわりに小さい山が多く、平地の少ない町である。(記念誌356頁) ...続きを見る

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2016/03/26 07:03
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −35−
私の住んでいた陸軍官舎は、前が畜産の放牧地の広場で、羊の大群が時々官舎の庭までぞろぞろ入って来たので、そのたびに門を閉めなければならなかった、父が花を作るのが好きで、庭にはいつも美しい花が咲いており、羊に食べられないように注意しなければならなかったからである。(記念誌355頁下段) ...続きを見る

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2016/03/25 06:09
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −34−
今年還暦を迎えた私は、ジーッと鏡を見つめている。前歯だ。そこには50年前、公主嶺小学校新校舎移転時の、腕白時代の記念品が残っている。(記念誌355頁) ...続きを見る

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2016/03/24 06:21
写真集「満洲公主嶺」第一部 回想の公主嶺 −4−
明治40(1907)年11月、満鉄によって設立された「公主嶺尋常高等小学校」は、もとはロシア正教のキリスト教会だった。のちに昭和10年から農事試験場の苗圃に新校舎が建設されて、この旧校舎は公主嶺街公署となり、満鉄地方事務所もここに移った。 ...続きを見る

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2016/03/23 07:35
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −33−
航研機が無着陸長時間飛行の世界記録を樹立したのは昭和13年5月のことであった。前年には神風号が東京ーロンドンの間の飛行時間で記録を樹立したこともあって、航空日本の誇りが私達少年の胸にも急激に高まっていた。(記念誌354頁) ...続きを見る

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2016/03/22 07:06
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −32−
新校舎へ移って、すべてが新しく設備も立派だったし、教室も相当余裕があった、いろいろ特別教室が出来ていた。地理教室はの中の印象は残っていないが、歴史教室では、大きな青龍刀や紅槍匪の槍があったのを覚えている。(記念誌353頁上段) ...続きを見る

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2016/03/20 05:28
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −31−
公主嶺に佐竹という駅長がいた。俺は鉄砲撃ちの名人だと、いばるほどの名人にふさわしいきじ撃ちの達人だった。土曜から日曜にかけての遠出のきじ撃ちは大したもの、ちよっと出かけて麻袋に一ぱい獲って来ることは珍しい事ではなかった。それほどきじの多いところでもあった。(記念誌353頁下段) ...続きを見る

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2016/03/19 05:42
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −30−
みんな率直で明るく、気持ちのよい生徒ばかりだった。六年間の教育経験をもちながら、指導技術も何もなく、ただ血気と熱意だけを頼りにしているような自分を省みて、いつもみんなに済まないと思っていたが、クラスの雰囲気がのびのびとして、活気に満ちているのが何よりも嬉しかった。(記念誌353頁上段) ...続きを見る

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2016/03/18 06:18
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −29−
中国との不幸な戦争が始まって、公主嶺からも機械化兵団が北支へ出動して行った。太源陥落の旗行列など戦勝の一方で、無言の凱旋があり、私たち三年生以上は公主嶺駅に英霊を迎える日もあった。(記念誌352頁下段) ...続きを見る

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2016/03/16 10:03
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −28−
小学校の講堂での学芸会についての思い出は、とても強烈だった。50年経った現在でも、脳裏に鮮明に焼きついている。これは単に小学校の年中行事の一つというだけにとどまらず、公主嶺在住の日本人全員、さらには駐屯する陸軍将兵にとっても、大きな楽しみであった。(記念誌351頁下段) ...続きを見る

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2016/03/15 05:26
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −27−
真夏のギラギラした太陽の下での練習は辛かった。色の白い男前の大西先生の顔が、眼鏡の奥で鬼のように見え、他の級友が呑気にプールで泳いでいるのが羨ましかった。(記念誌351頁上段) ...続きを見る

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2016/03/14 05:56
写真集「満州公主嶺」第一部 回想の公主嶺 −4−
旧満鉄・連京線(大連⇔新京)の公主嶺。駅をはさんで北西側は官公庁と住宅が立ち並び、南東側は商店街が軒を連ねていた。地元の中国人街は遠く離れたところに雑居していた。このページはその北西側の駅前通り(泉町)の写真5葉である。 ...続きを見る

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2016/03/12 06:34
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −26−
昭和10年ごろから公主嶺は建設ブームになった。膨張する軍隊の受け入れのため、軍官舎が続々と建ち出した。官舎建設予定地のあたりは、苦力の仮宿舎アンペラ小屋が沢山あり、建築資材を運ぶトラックが出入りして、活気があった。(記念誌350頁下段) ...続きを見る

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2016/03/11 06:18
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −25−
昭和10年から小学校新校舎の建設が始まり、南満工専付属の工業学校を卒業したばかりの私はオヤジの助手として竣工までの三年間苦労をともにした。 ...続きを見る

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2016/03/10 06:16
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −24−
天野良治先生は昭和11年4月、郷里の山梨から公主嶺小学校に単身赴任された。高等科一年、二年を継続して担任されたのち、昭和13年度には当時4年生だった33回生以上の音楽を受け持たれた。(記念誌349頁上段) ...続きを見る

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2016/03/09 06:48
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −23−
松本先生は剣道二段で堂々たる体躯をされていた。公主陵へ遠足の途中、護衛の警官の小さな支那馬に先生が乗られたら、馬が閉口して、いくら尻を叩いても全然動かなったのに、軽い岩森先生が乗られたら、すぐに動き出したので、皆で大笑いをした。(記念誌349頁下段) ...続きを見る

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2016/03/08 05:45
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −22−
昭和12年9月19日、小生の誕生日の早朝、公主嶺の地に第一歩を記した。気のせいか、少々寒さを感じる。父の転勤で転校しなければならなかった。朝もやのかかった広々とした大地、きれいな空気、なんとなく狭く圧迫感のある大連と比べると、広々として全く違った印象。(記念誌348頁下段) ...続きを見る

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2016/03/07 07:13
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −21−
私は小学校を卒業する迄の6年間に、七回も転校していますので色々な思い出が交錯しています。昭和12年4月に開原小学校から公主嶺小学校に転校しました。担任は古谷先生でした。(記念誌348頁上段) ...続きを見る

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2016/03/05 06:51
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −20−
白雲寮は鉄北地区楠町二丁目の西にあり、満鉄社宅と共に、地方事務所管轄の満鉄社員の独身寮であった。寮の前は広い草原になっていた。(記念誌347頁上段) ...続きを見る

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2016/03/04 07:05
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −19−
「夏が来れば思い出す」の歌の尾瀬沼、そして日光いろは坂につながる奥利根の山また山の片品村に生まれ育つ。学生生活は群馬県女子師範学校第一部。(記念誌346頁下段) ...続きを見る

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2016/03/03 05:30
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −18−
小学校時代を公主嶺ー廣島ー東京と転校した私にとって受け持ちの先生は11人になるが、戦後にその消息が判明してお目にかかれたのは、公主嶺小学校での一年生と二年生の受け持ちの先生だけだった。お二人とも女の先生というのも珍しい体験だろう。 ...続きを見る

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2016/03/02 06:32
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −17−
昭和9年から13年まで公主嶺小学校で教鞭をとった荒井 翠先生。34回生の大橋道男さんがこのシリーズ(352頁「幼き日の二人の先生」)で、先生に寄せる甘い思いを書きつづっている。先ずそこから始めよう。 ...続きを見る

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2016/03/01 06:19
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −16−
大陸ならではのスケールの大きな入道雲や雷鳴や稲妻に感嘆していた夏も終わり、ポプラ並木が黄ばみはじめて秋が深まる。空は限りなく青かった。(記念誌345頁下段) ...続きを見る

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2016/02/29 05:54
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −15−
橋立町の陸軍官舎の前は、農事試験場に続くひろびろとした野原だった。夏の夕食後など、家族づれ浴衣がけでそのあたりを散策することも多かった。そんな折、高射砲隊の夜間演習に出逢うと、私達は時の経つのも忘れて、それを眺めていたものだ。 ...続きを見る

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2016/02/28 06:19
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −14−
小学校を卒業する年、昭和11年の2月に、いわゆる二・二六事件が起きた。そして日本内地だけでなく、満洲でも、関係者の検挙が相次いだ。佛心寺に足繁く通っていた正二兄は捕らえられ、思想犯として新京の刑務所に収容された。新京商業の入学式の後、母に連れられて刑務所に兄を訪ねた。 ...続きを見る

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2016/02/26 09:53
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −13−
私が公主嶺駅の助役をしていたとき、どういうわけか、寺倉部隊の将校2,3人が何回も私を訪ねて来て、部隊の将校集会所に話に来るように誘った。そこで行くことを約束していた。ところが、昭和10年の暮れに、急に新京駅に転勤が決まったため、約束を果たせなかった。 ...続きを見る

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2016/02/26 05:41
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −12−
支那事変の始まるまでは公主嶺も比較的のんびりしていたように思うが、その後段々と戦時体制に入っていった。秩父宮殿下が公主嶺に来られたのは昭和12年ごろであったろうか。父が飛行隊で爆弾についてご進講申し上げることになり、当日の朝、家で講話の予習をしていたことを覚えている。 ...続きを見る

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2016/02/25 07:08
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −11−
私が公主嶺に転校したのは3年生の春で、もうスケートの季節は終わり、蒙古風がこまかい黄砂を運んでいた。それまでスケートを滑ったことがなかったし、人一倍寒がりであったので、十月になると冬など来なければよいと、吹き抜ける木枯らしに首をすくませていた。 ...続きを見る

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2016/02/23 07:09
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −10−
私は昭和12年東京の保育科を卒業し、叔母のいる公主嶺に行き、9月から実習生として、12月からは正式に職員として、峯タウ先生とともに、公主嶺幼稚園に終戦まで勤めさせていただきました。 ...続きを見る

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2016/02/22 05:45
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −8−
旧校舎の校庭で見たことなので多分、昭和12年だったと思うが、その日はロウソクの煤(すす)で黒くしたガラス片を用意して、日食を皆で待っていた。(記念誌343頁上段) ...続きを見る

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2016/02/20 06:20
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −7−
私が大連の光明台小学校から公主嶺に転校したのは3年生のときで、旧校舎でした。菊池町、霞町、堀町、泉町と転宅し、町内を知り尽くしていたつもりですが、長い年月が経つと記憶も薄れてきます。(記念誌343頁上段) ...続きを見る

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2016/02/19 05:16
写真集「満州公主嶺」第一部 回想の公主嶺 −3−
写真集「満州公主嶺」のシリーズ2回目。全部で515枚という膨大な数の内のまだ奔りに過ぎない。なにせ半世紀も前の写真の数々、不鮮明なところはご容赦いただきたい。しかし、掲載される映像は貴重なものばかりだ。 ...続きを見る

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2016/02/18 07:07
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −6−
月ヶ浦海浜聚落から帰って体調をくずし、満鉄病院での診断は腸チフスであった。伝染病だからその場で隔離病棟へ即入院させられた。一週間くらいは40度以上の高熱が続き、頭髪が全部抜けて、丸坊主になってしまった。 ...続きを見る

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2016/02/17 06:55
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −5−
厳しい指導で生徒から恐れられていたK先生が、あるとき、智仁勇の三つの徳目についてお話になった。黒板に正三角形を描かれ、三つの頂点に上から右左と智・仁・勇の三文字をお書きになり、それぞれの徳目が均等に備わってこそ、立派な人間になれる。(記念誌342頁上段) ...続きを見る

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2016/02/15 06:08
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −4−
公主嶺! 私はこの地名を聞くと、懐かしい故郷を思います。父の転勤で東京、千葉、台北と移り、公主嶺には昭和11年8月から13年8月まで、5年生の二学期から小学校を卒業して、新京の錦ヶ丘高女1年1学期までの2年間、住みました。(記念誌341下段) ...続きを見る

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2016/02/13 07:08
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −3−
昭和11年の夏だったと思いますが「公主嶺の夕べ」が催されました。新京から放送局の方が来られて公会堂で行われた会に私も参加することができました。 ...続きを見る

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2016/02/12 06:21
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −2−
闇の中を、長さ1メートルほどの厚い板と荷物をもった男女が、三々五々公主嶺駅へ集まって来た。昭和12年の夏休みに入って数日後のことだった。(記録誌340頁) ...続きを見る

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2016/02/10 05:40
満洲・公主嶺同窓会誌 第8章 エピーソード −1−
満洲・公主嶺小同窓会誌のエピソードのシリーズ3。今回は同誌、第八章「支那事変・ノモンハン事件」(昭和11〜15年)の中から順次紹介する。全68編という膨大な思いを注釈付きで展開しよう。 ...続きを見る

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2016/02/09 05:44
満洲・公主嶺『記念誌』 語り伝えたい
「満洲・公主嶺(過ぎし40年の記録)」が発刊されてから来年は30年。関係者も他界する人多く、「過ぎし70年の記録」の風化を危惧せざるを得なくなった。歴史的にも稀有なこの貴重な記録を後世に伝えるためにも、当時の編集者たちの熱い思い(同書・あとがき)を、今一度反芻してみたい。 ...続きを見る

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2016/02/08 06:18
写真集「満州公主嶺」第一部 回想の公主嶺 −2−
写真集「満洲・公主嶺」の第一回目。最初は「公主嶺駅」の20枚を表示する。明治、大正、昭和の三代にわたる貴重な映像に望郷の念が強く迫ってくる. ...続きを見る

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2016/02/02 06:43
写真集「満州公主嶺」第一部 回想の公主嶺 −1−
公主嶺は中国東北部(旧満州)のほぼ中央に位置する小さな町でる。町の北約6キロには、清朝の公主(天子の娘)が蒙古の王家に降嫁する途中、病を得てこの地に薨じたのを祀る公主陵がある。(写真集7頁) ...続きを見る

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2016/01/21 05:23
写真集 「満州公主嶺」 公主嶺小同窓会編 はじめに
 みはるかす満洲野(ますの)、その地平線に落ちる赤い夕日、黙々と牧舎に帰る群羊、サイロの乾草の山、暮れなずむロシア墓地。残照に立つ十字架、楡の葉のそよぎ、どれほどか熱く、私たちは幼い日を育んでくれた公主嶺の自然と風物を語りあってきたことだろう。あれらの日々も、もう遠くなった。(あとがき) ...続きを見る

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2016/01/20 05:56
伊藤聖さんと満洲公主嶺 土屋洸子 A
旧満洲(現中国東北部)の公主嶺という町の記録誌(三部作)の作成を主導した伊藤聖さんが昨年(2015年10月)亡くなられた。その編集にあたって、補佐役を務めた土屋洸子さんが、彼のたぐい稀な優れた編集作業と、三部作の発刊にいたるまでのプロセスと内容を振り返った。 ...続きを見る

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2016/01/14 07:02
伊藤 聖さんと満洲公主嶺 土屋洸子
満洲の公主嶺という町の記録誌等(三部作)の作成を主宰した伊藤 聖さんが、この10月28日に逝かれた。訃報に接して編集の補佐役を務めてきた一人土屋洸子さんが、彼の無類の業績と三部作が上梓されるまでの苦難の作業経過・裏話を溢れる思いで追憶する。 ...続きを見る

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2015/12/09 07:15

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