満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2008/08/11 08:54   >>

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豪快に生きた神島君
 
 敗色濃い太平洋戦争末期のころ、海軍の予備学生として横須賀対潜学校で猛訓練をうけていた私は、公主嶺から「神島利則君、特攻隊員として戦死」の通知をうけた。「ヤッタカ!」走馬灯のように在りし日々が思い出され、当夜は一睡も出来なかった。
 彼とは小学校一年から六年まで大谷七郎先生の薫陶のもとに育った親友だった。泰平橋を渡って鮫島通り左側に彼の家、トミヤ洋品店があり、そばの公園でよく遊んだものである。彼もまた菊地町のわが家に来てくれた。悪童数人で、大谷先生の新婚早々のお宅にお邪魔した記憶も浮かんでくる。
 新京一中時代も豪放闊達な少年であった。短躯にして気性激しく、確か柔道部の黒帯だったと思う。硬派でスタイリストのためか、数人の上級生ににらまれ、鉄拳制裁をうけ、顔面変形しながらも、翌朝堂々と登校し、制裁を加えた連中の前に立って、目をむき出したときには、驚き、あきれた。
 昭和十七年夏、新宿の街角で、羽織袴に高下駄、腰に手拭の拓大スタイルの彼と出会った。物資不足の折柄、盃を重ねることもなく別れたが、豪快な態度が、いまもなお脳裏に焼きついている。ー小佐井 守(「満州・公主嶺ー過ぎし四〇年の記憶」より)
画像
←兄、神島利則が生まれ育った旧満州・公主嶺の中心商店街・鮫島通り。左側にトミヤの名前がみえる。母の名前が「神島トミ」だったことによる。街では有数の洋品店だった。昭和9年ごろの写真と思われる。当時の満州では、街の中心部のほとんどは日本人で占められていた。

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内 容 ニックネーム/日時
どなたか大谷七郎先生のことで何か知っていることがあればお教えください。
はる
2012/05/11 16:53

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