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<<   作成日時 : 2008/08/27 10:48   >>

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第二次世界大戦の末期、爆弾を積んだ飛行機もろともアメリカ軍の艦艇に体当たりする神風特別攻撃隊が編制され、多くの青年が戦死した。戦後、この特攻隊をめぐる悲哀が小説や映画となり、国民に反戦平和を強く訴えたが、最近、靖国神社「遊就館」の展示など、特攻隊の行動を賛美する動きが生まれてきている。

  『雲流るる果てに』 第十三期飛行予備学生の遺稿集

 戦没海軍飛行予備学生の手記『雲流るる果てに』は、ペンを持つ手を操縦桿(かん)に代えた学生の遺書など六十余編を収録しており、彼らの切々たる心情が綴(つづ)られている。中には指導者の言葉を信じ、「神州の栄光を守る」「悠久の大義に生きる」などと書き残したものもあるが、彼らははたしてどのような思いで、死に直面する特攻に参加したのだろうか。
 この手記の中に、「川柳合作」とした四人の百句がある。いずれも昭和十八年(一九四三年)九月、学業半ばで志願し、航空隊で訓練後、同二十年(一九四五年)三月、特攻隊に編入され、鹿児島県の国分基地に集結している。川柳は、宿舎や指揮所、さらに出撃命令が下ってから作った句もあり、”川柳”という文芸形式によって、文章では表現しにくい真情が吐露されている。

  生きるのは良いものと気が付く三日前
  
  まだ生きているかと友が訪れる

  雨降って今日一日を生きのびる
 
 「生きるとは良いもの」という言葉が胸を打つ。特攻機は雨が降ると飛び立てず、天候が生死につながる。雨にホッと一息ついて、友と酒を酌みかわす青春がせつない。

  アメリカと戦ふ奴がジャズが好き

  痛かろういや痛くないと議論なり

  特攻へ新聞記者の美辞麗句

  必勝論 必敗論と手を握り

  勝敗はわれらの知ったことでなし

 まだ学生気分が抜け切れない彼らだけに議論の花が咲き、出撃を目前にしながらも、一瞬一瞬を生き生きと生きている。敗色濃い戦局に思いをはせ、期せずして本音ももれる。

  今日もまた全機還らず月が冴え

  父母恋し彼女恋しと雲に告げ

  黙送の中を静かに特攻機

 そうしているうちにも、友は次々と飛び立って行く。ついに出撃の日は訪れた。この四人の名は、及川肇・遠山善雄・福地貴・伊能二郎で、いずれも二十三歳。今、生きておれば八十三歳、私と同年であり、同窓生でこの人たちと予備学生同期の者もいる。たまたま私は、召集によって陸軍に入隊、本土防衛部隊に配属されたため、命ながらえて今日に至ったが、兄は南海の孤島で戦死しており、多くの学友が戦場で死んでいるだけに、戦没学生の思いが痛いほど分かる。

  大きな犠牲の上に憲法9条が結実した
 
 戦後60年、このような人たちの大きな犠牲の上に、日本は軍隊のない平和な国として再出発し、戦争放棄をうたった日本国憲法の第9条となって結実した。ところが今、この憲法を改め、再び戦争ができる国にしようとする企(たくら)みが進められている。私たち老兵は、命に代えても、これを阻止しなければならぬと、決意を新たにしている。(田中正坊・たなか しょうぼん/川柳作家ー「しんぶん赤旗・2005年9月8日/文化欄)
画像

 及川 肇 (盛岡高工 20年4月6日 沖縄方面で戦死 23歳) 遠山善雄 (米沢高工 20年4月6日 沖縄方面で戦死 23歳) 福地 貴 (東京薬専 20年4月11日 沖縄方面で戦死 23歳) 伊能二郎 (日本大学 20年4月11日 沖縄方面で戦死 23歳)
次回から順次百句総てを書き込む予定ー永井至正

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