満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2008/08/06 08:20   >>

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 時は敗色濃厚のころ、1945(昭和20)年8月10日、前日、9日のソ連参戦で危険地域になったとして、旧満州(現中国東北部)では有数の公主嶺の陸軍飛行場から海軍の中型攻撃機・一式陸攻が三機飛び立った。

 空陸あげての「惜別の会」に
 
内山光雄(駒沢大)海軍中尉以下六人の13期海軍飛行予備学生が率いる若者たち。南満州・公主嶺市の私の家の上空を超低空で三度旋回、機上では挙手の敬礼、下ではおふくろをはじめ在住の日本人は、手をあげ、シーツを振りかざして空陸あげての「惜別の会」になっていた。

 涙こらえてうたう「同期の桜」

 これより先七月下旬、いよいよ迫る本土決戦に備え、温存のため海軍機が遠く満州に退避していた。明日をも知れぬ若者たちの日常は尋常ではなかった。紛らわすのは酒、任務以外の日は飲み明かしていた。
 到着するやいなや、街に繰り出した。「この街にも特攻隊で戦死した人がいるのよ」と「カフェー」で聞いた内山中尉ら六人の同期生たちは「よもや」の思いで神島家に駆けつけた。感動の対面。いきさつを聞いたおふくろは同期生を抱かんばかり。
 彼らは遺影の前で言った。「オオ やっぱり!」「あいつだ!」「神島だ!」と。そして、涙こらえ天を仰いで『貴様と俺とは 同期の桜/同じ航空隊の 庭に咲く」と歌い、酔いつぶれていった。

 神戸の空に灯りがついていた

 しかし、八月十五日、宝塚の海軍の飛行場に降り立ったのは内山中尉搭乗の一機のみ。他の二機は「島根上空に差しかかった時にみた六甲の先、神戸の灯りを見ずに」十日、北朝鮮・金剛山上空で米軍戦闘機P51に遭遇、山中に撃墜されていた。終戦五日前のことだった。
 奇(く)しくも内山光雄氏は石川県・金沢市の住職の長男、おふくろの郷里も金沢。再会を果たしたのは九月も半ば、手をとりあって涙、涙だった。内山氏は、それからその年の暮れまで岐阜県境の『白山』にこもった。

▼公主嶺市の神島家(中央の高い建物)が望見できる
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   同期の桜は賛美歌 
 
 昭和21年10月30日、第十三期海軍飛行予備学生戦没者の法要が築地の東本願寺で行われた。その時の様子をある生還者はこう述懐している「広い本堂は、遺族、同期生で埋めつくされ、空しさにうち沈む遺族の姿に、あの友この友の顔がうかび、「申し訳ない」想いが込み上げた。そして、愛息を憶い、友を偲び、溢れる涙に咽びながら『同期の桜』を歌ったと。法要後、「同期の桜」の斉唱について、GHQから詰問され、あれは日本の賛美歌であると説明し、事なきを得たという後日談がある。それ以来慰霊祭では必ず奉唱されている。少なくとも十三期は、巷間の酒席では歌わないだろう。いわんや手拍子を打つなどもっての外である。(第13期海軍飛行予備学生誌より)








 

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