満州っ子 平和をうたう

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zoom RSS 雲流るる果てに H

<<   作成日時 : 2008/09/16 10:30   >>

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 「戦中派」の世代の生き残ったことで存在を認められるのではない。本来ならば戦争に殉死すべきものであり、たまたま死に損なったとしても、生きて戦後の社会をわが眼で見たことに意味があるのではなく、散華した仲間の代弁者として生き続けることによって、初めてその存在を認められるのである」と、吉田満の「戦艦大和の最期」の前書きに書かれているのを読んでひどく感動したことがある。

 昭和20年4月、多くの若者たちが沖縄方面に出撃、還らなかった

 戦艦大和は4月6日出撃、翌7日、奄美大島東方海上で撃沈され、三千人が、同日「川柳合作」の作者・及川肇、遠山善雄両中尉はゼロ戦に搭乗し奄美近辺で、11日、福知貴、伊熊二郎両中尉は沖縄東方海上で還らぬ人となった。奇しくも私の誕生日は4月6日、あろうことか、あの日もうほとんど植民地化されていた「王道楽土」・旧満州(現中国東北部)で友人を呼んで豪華なパーテイを開いていた。「あゝ!」

 出撃の命下る(川柳合作)

 Z旗に、来たぞ長さん待ってたほい

 今日は先づこれまでなりと碁石置き

 夕食は貴様にやると友は征き

 記念品受けて従兵涙ぐみ

 犬に藝教へおほせて友は征き

 特攻へ新聞記者の美辞麗句

 特攻隊神よ神よとおだてられ

 特攻のまづい辞世を記者はほめ

 二十五で死んで若さを惜しがられ

 神様が野糞たれたり手鼻かみ
画像
〕 @「神風特攻隊と川柳」欄は今回から「雲流るる果てに」に吸収します。A 戦艦大和とともに撃沈された駆逐艦に同乗していた先輩から聞いた話だが、救出されたあと、情報の漏洩を防ぐため佐世保港近くの某所に数週間隔離されていたという秘話がある。

 

 

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