満州っ子 平和をうたう

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zoom RSS あの時加藤周一氏が語った

<<   作成日時 : 2008/12/12 06:38   >>

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1993(平成5)年十二月九日に、学徒出陣五十年記念事業の一環で、加藤周一・国際平和ミュージアム館長(当時)が立命館大学末川記念会館で記念講演をおこないました。その時の演題が「あの戦争が防げなかった五つの理由」でした。今なお胸にビンビンと迫ります。

  1.議会に反対政党がなくなった

戦争政策に賛成政党以外は非合法化されていました。したがって国会が、戦争政策に賛成する人々でしめられました。

  2.司法がチェック機能を失った

立法府が戦争をするための法律をつくっても、司法府がそれに歯止めをかける役割を果たすことができればよいのですが、司法もまたそういうチェック機能を失ってしまい、むしろ治安維持法などという法律をふりまわして戦争抵抗勢力を牢につなぐ方に協力していきました。

  3.労働組合が解散を命じられた

国が戦争をやろうとしても、労働者が武器、弾薬の生産をしなければ戦争政策を遂行することはできませんが、労働組合は解散させられ、戦争政策を推進する大政翼賛の一翼をになっていきました。

  4.マスコミが批判力を喪失した

軍部の大本営発表を報道するだけではなくて、人々を戦争にさらにかりたてる働きをしていきました。あの当時の新聞の紙は政府が供給していたので、政府にたてつくことを書くと紙を供給されないで新聞発行ができません。発行を維持するために政府の言うがままの記事を書いたという側面もありましたが、マスコミに期待される本来の役割とはまったく異なる姿でした。

  5.市民の抵抗運動が弾圧された

それどころか市民が、おたがいに非国民呼ばわりをして、足を引っ張り合うことさえしました。

加藤周一氏は、これらの五つを指摘したうえで「四つまでは最近似てきた」と言われました。不気味な警告です。加藤氏は、五番目の市民運動の高揚に期待を寄せることで、われわれを励まそうとしたのに違いありませんので、われわれはその期待に応えなければいけないとおもいます。(国民学校一年生の会・編ー「昭和の『小国民』からのメッセージ・安斎 育郎氏の講演から)
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 加藤周一さんを偲んで9条の会呼びかけ人の一人井上ひさしさんは「世の中の波動に動かされず、やがて、社会が復古調に右寄りに動いたときには、憲法を守ろうと運動のちゅうしんになった。『知の巨人』」(「赤旗」)。また同じく呼びかけ人のひとり澤地久枝さんは「呼びかけ人としてご一緒させていただいただけに、本当に残念でなりません。いま日本の政治に大きな変化の風が吹き始めていると、加藤先生も感じておられたはず。せめて、その行方を見届けていただきたかった。残された私たちが、先生の示唆を受け継いでいかなければ。小田実さんに続くことで、とてもつらい」(東京新聞)。

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