満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2009/02/15 16:54   >>

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佐藤 巌さんー現「江東区生活と健康を守る会」の会長。この人ほど数奇の運命をたどったのにもかかわらず、この人ほどその「信」を貫いた人を知らない。不屈の人である。福島県は会津が故郷。昭和8年8月28日生まれの74歳だが、若々しい。八人兄弟の七番目という。(聞き手・佐藤睦郎)

  福島で叔母さんの農業を手伝いながら福島で暮らす。23歳の時、山形県荘内地方(現温海温泉の近く)の五十川という小さな炭鉱で働くも、三年後には閉山で退職。昭和34年秋から三十七年秋まで青森県砂鉄鉱山で働いた。この間、いわゆる六〇年安保闘争を経験することになる。その後福島の炭鉱で八か月。これまた閉山の憂き目にあうのである。

  上京後も企業倒産など苦難の道を歩むが屈せず

昭和三十八年から一年間、職業訓練所で石に関する技術を身につけた。実習生として働いたのが足立区、東京での第一歩であったが、間もなく知人の勧めもあって、江東区大島も「日本鋳鋼」に就職した。日本鋳鋼も一年で倒産した。企業閉鎖、首切り反対の闘争が二年間続いた。しかし、会社が同じ大島の「手塚興産」い買収された段階で会社を追われる形になった。

 子の手塚興産は、工場に集塵装置もなく地域に煤煙をまき散らす「公害企業」であり、後に公害反対闘争の対象になる会社だったのである。石川島播磨重工東京大第三工場が次の職場になった。

  苦難をものともしない強い精神力と使命感
 日本共産党から区議会議員選挙の二か月前に立候補の要請を受け(本人は晴天のへきれき)見事当選」をした。37歳だった。佐藤さんの経歴をうかがう中で、たった二か月間で当選した訳が呑み込めた。それは苦難をものともしないつよう精神力と使命をまっとうしようとする誠実な努力である。文字通り脱帽の一語につきる。気さくな人柄は街の中でも「ガンさん」の呼び名で声がかかる。

  人間らしい生活は平和を守ることにつきる

 以後七期二十八年、65歳で勇退。「思い出に残ることは」とたずねると「江東区平和条例を最初にちあんしたこと。『手塚興産』や『日本科学』の六価クロムなどの公害反対闘争を地域住民、教職員組合などと連携して取り組んだこと」だという。「懐かしいな!」と目を細める。

 現在、「江東区生活と健康を守る会」の会長として病弱な夫人の健康状態を気にしながらの活動が続く。先日、生活保護を希望したが拒否され困っている人が事務所に飛び込んできた。いっしょに福祉事務所に行き受給できることになった。

 「人間らしい生活をするには平和を守るのが中心課題ですよ」と確信に満ちた言葉が返ってきた。

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