満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2009/02/25 08:59   >>

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鈴木正男さんー江東年金者組合は今年で20年になる。元号での表現は好ましくないが平成とやらの元年に創立した。その初年から組合の役職を務めてる人が二人、岡田公明顧問と鈴木正男さんである。今回は鈴木正男さんに自己紹介という形で原稿をよせてもらった。ほぼ原文のままで紹介する。

  昭和を森林とともに過ごして60年
 
 八十歳のいま、昔を振り返ったりしている。昭和4年、東京府北豊島郡上板橋村(今の板橋区)で生まれ、練馬区で育った。世は世界大恐慌。昭和6年〜戦争と空襲、そして敗戦。昭和22年、苦学して旧制中学卒業。新憲法施行。以降、江東区の住人となる。

 母方は足立区の荒川べりの自作農だったが、父方の系譜がみえない。中学生のころみた戸籍謄本では「平民」「本所区石原町」などと書いてあった。祖父も酒好きであったらしい。時代状況、場所、「鈴木」という苗字などから察すると、長屋の熊さん、八さん級とと思っている。

 中学卒業ごろも就職難で「職業選択の自由」はなく、初級公務員の採用制度もなく、近所の山林事業のツテで、森林のシの字も知らず、東京営林局に就職できた。

 そのころ、本屋にはマルクスの本が山積みされ、アメリカから統計学が輸入(発生はイイリス)された。マルクス理論により林業経済本もできてきたが、そこに書いてある林業用語がわからない。現場主任と統計学の研修を受け、現場主任兼ヤマの立木調査担当ということで東京営林署に転勤してきた。しかし、統計学の利用はできず残念だった。国有林現場はいまも統計学を利用しない。ヤマのことは現場の人によく教わった。

 独居生活20年だが、労働組合ひとすじ
 
 まもなく、分会委員長。結婚、長女出生・死亡ということになった。結婚相手は営林局にいたウタなどが好きな人であった。「私は共産党よ」といった。この事実が、私どもの夫婦の行動の方向を規定した。例えば住居を移す転勤はなくなった。60年安保後、国有林の労組は大分裂に直面し、上部組織の大部分は第二組合に走ったが、うちの組合は一人も分裂していかなかった。私は心中敬意を抱いている。退職後は女房は亡くなった。独居生活20年ということになる。

   いま 必要な日本の人工林のケア
 
 日本の人工林は、私の退職時ごろ、自然保護者に批判されながらも、一千万haになったという。これらは外材輸入などで間伐などの手入れもせず、伐期は従来より、はるかに遅らしている。他方、CO2削減で、森林は京都議定書の日本の義務量の半分以上を負担しているので、間伐を進めなければならない。しかし、間伐をやたらにしても保残木が健全に育つとは限らない。これを指導する森林生態学もこの現実に出会って、葉量(樹冠長)に注目してきている。いまのところ私も、この葉量に注目して、微分方程式をつくり人工林の生長を見通したい。急がなくてはならない。

 日本の森林にかかわって約60年、いとおしい気持ちで研究をつづける鈴木さん。若々しさはここにありとみた。(佐藤睦夫記)

画像
 こよなく酒を愛し、「森林問題」に話が及べば終わりを知らない、飄々とした鈴木正男さん。誰からも愛される江東年金者組合の重鎮。八十路にたっして、なお、かくしゃく。写真は奥多摩を散策した時のスリーショット。そのとき森林については権威の正男さんにいじわるな質問をしたことを思い出す。「杉の木ははなぜ真っ直ぐに伸びるのですか?」返事は「・・・・・・」で、空を仰いだ。

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