満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 3月10日鎮魂と平和願う日

<<   作成日時 : 2009/03/10 06:07   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

あの凄惨な夜から六十四年。戦争体験をみゃくみゃくと伝え続けてきた人も高齢化。そして、平和への願いを踏みにじるものの足音がひたひたと迫ってきた今だからこそ、戦争の惨禍を次の世代に語りつくさなければーの思いが高鳴ります。『過去の教訓を学ばぬ者は同じ過ちを繰り返す』との至言を深く胸に刻んで。

  忘れない あの日から64年 かって石碑に誓った
 
1970年の春、あの戦争が終わってから25年も過ぎたのに、焦土と化したこの江東の地に、東京大空襲のメモリー・慰霊碑がないのはどうしてだろう、行政がもたもたしているのなら私たちの手で作らせよう、と立ち上がったのが深川の婦人たち。女性たちは街頭に飛び出し署名運動を、区議会に「母子像」の建立の請願を、さまざまな手立てを尽くした。その運動の一環として江東区の各地で町会の有志により立てられ,えいえいとして線香の絶えない慰霊碑を訪ねて写真集をまとめ発行した。その名は「写真集・石碑の誓い」。「江東の空襲慰霊碑をつくる会」代表の橋本代志子さんが「あとがき」を書かれた

   <あとがき> 
 
 太平洋戦争での東京大空襲で最も悲惨をきわめたのは、昭和20年3月9日から10日にかけての江東地区の空襲でした。僅か2時間余の爆撃により”銃後”と思われていた東京を一瞬にして血みどろの”戦場”にしてしまいました。
 この空襲による東京都の死者は8万8393人、江東区(城東・深川を合わせて)は3万1681人で、江東区の死者は、実に東京全区の三分の一を占めておりました。犠牲者の多くは、進学のため疎開先から帰ったばかりの学童、夜を日について働いた徴用工や勤労動員の若者、出征兵士の妻や幼児、疎開先のない老人、あるいは隣組を死守した警防団員など、みんな私たちと同じ江東区に住み、心をはりつめて暮らしていた人々でした。(そして、忘れてはいけないのは強制徴用されて日本にきた朝鮮の人たち)

 この東京大空襲の惨事は、原子爆弾による広島、長崎の被害に匹敵するものでありましたが、しかしその事実は、戦中は機密保護のためにほとんど報道されず、戦後は占領軍に報道を禁じられ、講和後はアメリカに気兼ねする政府によって、戦災報道が制限されました。
 
 その間四半世紀の星霜が流れ、今日では戦争を知らない世代は国民の半数以上にも及んでおり、江東区の3万1681の数に示された死者のことも、今では歳月がもたらす風化とともに歴史の外に置かれようとしています。それはあの分厚い『江東区史』の中でさえも、空襲の記録はわずかに7ページたらずであることにもうかがえ、後世へ伝承してゆくのに少なすぎると思います。

 戦争体験のある私たちは、「戦争」という過ちの上にさらに「忘却」という過ちをくりかえさないためにも、最大の被害を受けた江東区の区民として、理不尽な死に追いやられた人々の心を深く受けとめ、若い次の世代に平和と生命の大切さを伝えて行かなければならないと強く思ったのです。

 昭和47年3月、その想いが「江東の慰霊碑をつくる会」の心になって結集され、今日まで、五年にわたる主婦たちの運動を根強く支えてきています。私たちは空襲体験文集「燃える川」の発行のかたわら、江東区内の戦災に関係のある碑や地蔵尊を尋ね歩き、今までに23の碑や地蔵尊、角塔婆を捜しあてました。そのほとんどは個人や町内の人びとの善意で建てられ、守られているのです。何の公の供養も保護もなく風化の一途をたどっている現状を見ると、空襲体験の記録とともに、これらの碑や地蔵尊の姿も今のうちに伝承しなくてはと心が焦ります。微力な主婦の私たちですが、この写真集を発行することにより、その思いとあらためて平和の大切さ、生命の大切さが伝わっていくことを願っています。

 最後にこの写真集発行にあたたかな御協力を申し出てくださり御多忙中のもかかわらず撮影してくださった写真家の金吉進氏、また序文をお寄せいただいた作家の早乙女勝元氏に心から御礼申し上げます。
                                         一九七六年八月   橋本代志子
画像
  燃えた   永井和子

ちいさなのどが燃えた
”かあさん 熱いよ!”
ゴム人形のように手足が燃えた
何ヶ月ぶりのようやく会えた母親に
自慢してみせた背丈もいっしょに
ちりちりと髪の毛が燃えた
恋人の視線のなかでさざ波のように
光りゆれた はたちもいっしょに

みひらいたまま目が燃えた
B29が飛ばない青い空が見たい
ひそかな願いもいっしょに

手も足も 髪の毛も目も
ああすべてが燃えた
炭になって燃えた
ひらかれずに閉じたひとつの人生も

つみあげられた 炭
にんげんのかたちをした 炭 が
愛を 青春を 平和を
求めて起きあがるとき
わたしたちは
何と 答えたらよいのか?

「石碑の誓い」の編集に携わった詩人・永井和子さんが、業火に身も心も焼かれた人々に残されたものの怒りと鎮魂の想いを詩(うた)つた。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
3月10日鎮魂と平和願う日 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる