満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2009/03/26 06:58   >>

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山本 治さんー連休を利用して奥さんと一緒に嬬恋の里で過ごした山本さんを取材した。浅間山の天明の大噴火で蒲原の地域は壊滅状態になった。六百人弱の住民中、助かったのは、たったの九十三人という歴史を「嬬恋郷土歴史館」でしったという。「鬼押し出し」などという観光名所ぐらいしか記憶にない筆者とは、視点が違う。(年金・江東編集長・佐藤睦夫記)

  人間の知恵・努力ってすごいなあ

 「嬬恋地域以外の近隣でも二次災害的な土石流や水害で犠牲になった遺体が吾妻川を経て利根川や江戸川で発見されているという歴史も驚きであった」が、さて、残された九十三人の運命は・・・。「幕府は、土地を捨て他所にそっくり移転したらどうか」ということだったのに村民は、「連れ合いを失った者、親を失った子供、子供を失った親などが、それぞれ一緒になり、三十余の新たな世帯ををつくり」そこから蒲原村を再発足させたのであった。

 山本さんは「ああ、人間の知恵・努力ってすごいなあ、蒲原村を復興させたんだ」と、うっとりして語ってくれた。以上、山本治さんらしい旅の一こまの紹介である。

  祖父母は東京大空襲の犠牲者
 
 1946年3月18日、疎開先の長野で生まれた。早生まれ、団塊の世代の前、45年生まれと同じ扱いである。「自分たちの後がすごい勢いで子どもが増えた。いわゆる、すしづめ学級である。間接的には、やはり戦争の影響ということになるんですよ」と。戦争の事といえば「祖父母が東京大空襲の犠牲者です」という。不幸中の幸いというのか、二人は「遺骨」で発見された。実家は、江東区の門前仲町というから、戦争の酷さは想像以上だったのでしょう。生まれは、長野だが育ちは江東区深川ということになる。

 実家の喫茶店勤務が社会人のスタートだったが、二年で廃業ということで「港湾」関係の仕事に就く。「日本貨物検数協会」に入会。三五年間積荷や揚げ荷の検査にたずさわる。現場の仕事もしていたので結構ハードな仕事だったという。仕事・組合(検数労連・全労連加盟)等々・・・体調もかんばしくはなかった。自己退職したのは56歳の半ば、男性の更年期ということでもある。

  江東年金者組合の若手のホープ

 年金の満額支給は今年からだが、退職後誘われて年金者組合に加入。事務局次長として奔走、いまや『年金者組合若手のホープ』として連日奔走中。組合の今後を聞くと「社会的に認知されること、「土建」なみの組織力が欲しい」「おしゃべりの会、演芸会など、もっと打って出て、存在感をアピ−ルしないと」と結んだ。頼もしい人・・・。
▼街頭できれあじ鋭い演説をする山本さん
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 「嬬恋郷土資料館」HPにどうぞ
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