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zoom RSS 早乙女勝元さん「母の事」

<<   作成日時 : 2009/06/01 13:20   >>

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「あの戦争中に何をしていたのか、なぜ戦争を阻止できなかったのかの質問が、若い世代からよく出る。まだ子どもだった私には、体験に即して答える資格に欠けるが、念のため、当時大人社会の一員だった母に、その問いを向けてみたことがある」このような書き出しで、03年7月15日東京新聞夕刊の「放射線」というコラムに早乙女勝元さんが書かれた新聞切り抜きがある。

  「気がついたときには、昼も夜も空襲のサイレンばかりさ」
 
 今は亡き母の言葉で、私は苦笑したが、これでは質問者は納得しない。しかし、私は当時のわが家の生活状態と母の社会的地位を考えると、少しは大目に見てあげたい気がする。

 東京下町のわが家は、ラジオもなければ、新聞も配達されなかった。長屋住まいの右も左もみな貧しく、新聞を購読できる家は珍しかったものだ。

  情報は管理統制、見えざる聞けざる言えざる時代であった

 もっとも、すべての情報は管理統制されていて、国の総力戦体制は徹底していた。それこそ「撃ちてし止(や)まむ」である。学校教育も隣組も同じで、うかつな発言は非国民扱いにされかねず、真実を知る目も耳もふさがれ、口まで封じられていたから、要するに見えざる聞けざる言えざるだった。

  「なんとなく、しらないうちに・・・」はもはや通用しない
 
 女性には選挙権もなく、男たちも召集令状一枚で、日の丸の小旗に送られていった。人権も自由もなかった時代の認識を欠いてはなるまい。

 今は違う。なんでも知ることのできる条件下の私たちには、「なんとなく、知らないうちに・・・」のコメントは、もはや通用しないだろう。そう思わねばならない。
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なお、早乙女さんは新聞インタビューに答えてこう語っています。

 日本国憲法が地図なのでは

 「講演でいうのですが、道を間違えないためには地図が必要ですが、戦後の日本はどういう国をめざしたのか、日本国憲法がやはり地図ではないですか? わたしたちは先導者として絶対に道をまちがえることは許されない。私たちを全面的に信頼しきっている孫の寝顔をみていると、この子たちはどういうう社会のありようを願っているか、しみじみと考えざるを得ない、まさか、戦争ができる国がいいとは思っていないでしょうと。聴衆には高齢者が多いから、ほろっとするのでしょうね。うなずいてくれますよ」(しんぶん「赤旗」6/1-文化・学問欄)



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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 北朝鮮でも同じことが起こっているに違いないと思います。
山路 独
2009/06/02 03:37

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早乙女勝元さん「母の事」 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
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