満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2009/06/05 06:16   >>

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伊原静江さんー1942年群馬県高崎市に生まれる。男二人女三人の下から二番目と伺い、なるほどと納得。確かに「少し甘え上手なところもあるかなあ」と。(年金ー江東04年4月15日付)

   ご両親は腕利きの菓子職人だった

 水飴、黒砂糖、カステラ、チョコビスケット等甘党には、よだれのでそうな菓子屋さん。住み込みの職人も2〜3人いたという。ご両親は腕利きの菓子職人だったが、昭和40年代には職人業だけでは大手の菓子メーカーに勝てず店を閉じることになったのだという。「煉瓦造りの菓子焼き機を相手に汗する母は、文字通り肉体労働者そのものであった」と語る。

   羽仁もと子の著作集を持っていた

 「その母が、羽仁もと子の著作集を多くもっていたことや『婦人の友』の会員であることは驚きでもあった。毛筆習字、ペン習字、俳句、短歌作り等、向学心に燃え、ハイレベルなものに憧れていた。身につけたいものがあると、遠路を厭わず通いつめていた。進歩的ともいえる母親の影響を、私はかなり強く受けていた。

 後年母の自作のしかも達筆な毛筆で書き表した歌集を自費出版した。本を出版するのって意外に簡単なんだと私は思うようになった」ということである。

   『広重五十三次を歩く』がヒントに
 
 さて著者の前書きによれば「五年ほど前、NHK出版の『広重五十三次を歩く』という東海道歩きのガイドブックを書店で見た。早速購入し、本の中で写真を見ながら東海道の一人旅をしばらく楽しんでいた。

 その頃友人から信州の千国街道を歩いた話を聞いたり、東海道を歩いた人の新聞記事が目にはいってくるようになると、いつかやってみようかなと思ったりした。しかし、すぐ行動にとはいかずだったが97年10月11日から、なんとなく始まってしまった。

 スタートしてしまうとなんとなんと、これがおもしろくて、次の休みの日が待ち遠しくなった。朝家を出て一宿分歩いて帰ってくる旅。電車に乗れば、ほんの五分か十数分の距離を、自分の足を頼りに歩く旅である。

   京都三条大橋のゴールでの喜び
 
 見方を変えればちょっとばからしいその旅が、なんともよいのだ。ガイドブックをもとに計画、実行、まとめができることのおもしろさが、回を重ねるごとに体験できた。しかも、京都三条大橋までの遠いゴールを目指して、わくわく期待感が持続できる旅。これまでの人生の中で味わうことのできなかったことがたくさんあったひとり旅。

   五年もかかったが、いや、五年間も楽しみを持ち続けながら、写真に短文をつけたエッセイ風紀行文として、まとめてみた。
 ▼『私のひとり旅』の表紙
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 何事も自然体

 「自分流でやれることしかやらない」という。都教組婦人部常任委員を三年やったら、「母親運動の組織者にならねばと自然にそう思った」とのこと。毎年二百人規模の母親大会を成功させるのは並大抵のことではない。
 その江東母親連絡会事務局長を十八年もやった伊原さん。楽しみながら、さらりとやってのける明るさが、とてもいい。 【表紙装画・伊原さん本人】
 ▼ひとり旅のゴール京都・三条大橋
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