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<<   作成日時 : 2009/07/11 07:05   >>

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 祖父は、明治三十八年小学校一年の父を連れて山口県から朝鮮に渡ったのだという。明治四十三年の日韓併合よりも前のことである。以降三十六年間、朝鮮は日本により植民地化される。

  北朝鮮・鎮南浦で生まれる
 
 斎藤絹子さんは1931年1月、北朝鮮鎮南浦に生まれた。祖父は、商工会議所会頭まで務めた実業家であった。1945年8月15日女学校三年生で終戦を迎えた。ご本人に言わせると終戦ではなく「敗戦」と言いたいという。引き揚げで祖国の土を踏むまでの苦難を聞けば聞くほど「敗戦国」の人間として扱われたその酷さは想像を超えるものであった。

  死産の弟と祖父の死
 
 「わが家の接収」。運び出す物は点検され、身の回りの物を持ち出すのがやっとだった。ひとまず祖父の家に落ち着いたがひと月後にはまたそこも追い出された。接収、強奪、略奪の数々を思い出すたびに涙がでるという。

 十一月の寒い日、身重の母が産気づいた。産声はなく、死産であった。小さなお棺に入れられた子は、名前も付けられず山に埋められたという。このような悲劇はわが家だけではなく、肺炎、はしか、栄養失調等で幼子たちが犠牲になった。山には沢山の墓標が立ったと悲しげに語る。

 三月六日、祖父が肺炎で死亡、七十二歳だった。祖父は家族の誇りだった。明治生まれの気骨の祖父を忘れる事ができない。

  生きていてこそ、刊行
 
 祖国は「おとぎの国」というイメージがあったという。山口と島根で小学校の教師を三十四年間やって一九八五年退職。一九九四年、ご主人と死別、その後上京し現在に至っているとのこと。途中省略した数十年もまさに「波乱万丈」の人生な訳だがそれだけに書ききれない。

 斎藤さんのエッセイ集「生きてこそ」によると「文章が下手なのがコンプレックスのひとつ」とある。そこで、近くの文化センターの「文章教室」に通うことになったのだという。この前向きな積極さが斎藤さんの大きな魅力である。

 折にふれさまざまな場面が文章になっていく。06年9月10日発行の「生きてこそ」という書名になった章をのぞいてみる。「事実は小説より奇なり」こんなことってあるのだろうか。五十年ぶりの一通の葉書を手にした。夢ではないか。夢ならさめないでほしい。という書き出しである。偶然にしった初恋のひとの消息。彼との再会を果たすこと。ぜひ、読んで欲しい。

 ピース・ボートで世界旅行、シャンソン教室、古典舞踊『道成寺』の写真も出ている。お勧めのエッセイ集である。
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齋藤さんが生まれた鎮南浦略図
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