満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2009/08/04 08:16   >>

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牧野光克さんー二年ほど前、年金者組合・江東支部北砂地域のおしゃべりの会で自己紹介があったとき「私は国鉄マンです」と言う人がいた。国鉄が民営化されて、すでにJRになっていたから、なんとなくへんな感じがして、それ以来気になっていた。牧野さんとの出会いはこんな風であった。名前はみつよし(光克)と読む。これも初めて知った。(聞き手ー佐藤睦郎)

   父親を知らない

 牧野さんは1945年7月14日千葉県市原軍戸田村(現、市原市)に生まれた。お父さんは、1945年2月、静岡県藤枝市で戦死(空爆死)した。牧野さんはまだお母さんのお腹の中ということである。

 七人兄弟の末っ子。一家の大黒柱は、お母さんということになる。農家だったのでなんとか食べることは出来た。赤ん坊を背負いながらヤミ米を売りに出かけるのは、どんなに辛いことだったか。と言葉につまった。その強いお母さん、九十五歳でご健在との事。なによりである。

   出発進行、東京

 社会人の第一歩は、国鉄東京駅輸送係ホーム担当だったという。当時は就職、即正社員というご時世ではなく、一年ほどで汐留駅へ。東京オリンピック、新幹線など急激に社会が変化していった時期である。汐留駅には二十七年間、貨物駅の中心部隊にいたことになる。550名ほどの職場であった。

 労働組合運動に関わったのは27歳位からで、三鷹の独身寮で過ごすよりは汐留駅の組合事務所の方が日常生活の場になった。青年部長、組合執行部など役職は多岐にわたった。分会によって上部団体が違うこともあり、労働運動は複雑であった。

 職場での一番の思い出は、汐留分会だけで打ったストライキだという。夜中中、支援の人たちと駅構内で交流しあったことだと話す目は光っていた。今の若い人たちはストライキを知らない。

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       趣味は釣りと山
 
 差別、選別の人事異動に苦しみながらの終着駅は、東中野。六十歳で定年退職。再雇用の道も差別で不採用。思い切って仕事から去る。

 もともとアウトドア派、「渓流釣り」の魅力は、と問う。沢登りもふくめ相手は自然。自然との一体感だなあ。テントを担いで北海道をはじめ全国を駆け巡る。車は専ら運転手。それでも、楽しい!

 労働運動・社会活動など闘いの原点は、父を奪った戦争への怒り!平和こそ人類の宝!と力強く語る。

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