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zoom RSS 「雲流るる果てに」−28−

<<   作成日時 : 2010/04/09 10:04   >>

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安達卓也 [あだち・たくや]  東京大学法学部ー兵庫県出身ー神風特別攻撃隊第一正気隊、昭和20年4月28日、沖縄方面にて戦死、23歳。(雲流れる果てに・165〜173頁)

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     凡太郎の生涯

 18・10・12 (入隊直前)

 我々は「死」に到った時、大きな苦悩を味ふにちがひない。それは「死」が恐ろしいからではなく、如何に死ぬかが我々の心に常に迫り、凡ゆる価値判断を迫られるからだ。故にその苦悩は我々の必然である。たゞ天皇陛下万歳を唱へて一種の悲壮感に酔って死んだ人は、美しいとはいへ、我々のとり得ない態度だ。我々は常に「死」そのものを見つめつゝ、而も常に如何に死ぬるかの苦痛を荷ひつつ死んでいくのだ。「なんだ、これが死か」といふ感情を死の瞬間にも持つ冷静さだ。

 しかし、この苦悩があればこそ、我々には我々の死に方が出来る。それは断じて敵に対する逡巡ではなく、最も勇敢なる「死」であらねばならない。我々はむしろこの苦痛を誇りとするものである。この苦悩を越えて「死」そのものを見つめる時、我々の真の世界が開ける。

 強烈な現実の嵐の前に「死」に直面し、その中に新らしく生きて来る我々の内にひそめる真の学的精神であらねばならない。我々は学を戦いに代へた。それは学の飽くなき追求であり新らしき生命の獲得なのである。一人たりとも学徒が生を得て帰還したら、その内から真の東西の理想が生れ、雄大な生成発展の構想が構成され、真に東亜の人々を新らしき道義の世界に導き得るであらう。

 勿論、我々は消耗品に過ぎない。波の如く寄せ来る敵の物質の前に、単なる防波堤の一塊の石となるのだ。然しそれは大きな世界を内に築くための重要な礎石だ。

 我々は喜んで死なう。新らしい世界を導くために第一に死に赴くものは、インテリゲンツィアの誇りであらねばならない。


 19・1・9 (於大竹海兵団)

 戦は益々苛烈である。死闘は毎日の如く繰り返される。国民の生活は益々深刻になり悲惨になる。果して戦は是か? 真の平和は斯くも悲惨なる殺戮の彼方に求めらるべきか?
   (つづく)

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