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zoom RSS 「雲流るる果てに」号外C

<<   作成日時 : 2010/04/06 16:23   >>

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昭和20年4月6日、戦艦・大和は呉軍港を出港、翌7日、奄美大島東方で撃沈され三千余人が戦死。同日、「川柳合作」の作者・及川肇・遠山両中尉など78人が神風特別攻撃隊の一員として沖縄方面で特攻死し、還らぬ人となった。奇しくも僕の誕生日は4月6日(1932年)、あろうことか、あの日は「王道楽土」と嘯いて植民地・旧満州(現中国東北部)でのうのうと暮らしていた僕は、友人を招き豪華な誕生パーテーを開いていた。

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 昭和20年4月、夢多き若者たちが沖縄方面で無念の死を遂げていた。第13期海軍予備学生・78人が相次いで串良、国分、鹿屋基地から飛び立った。あれから65年、今日は彼らの祥月命日になる。残されたものは彼らの名を次代に伝えなくてはならない。以下銘記する。(姓名の後は出身校)

阿部豊     明治大
浅田正治    立命館大
荒木考     浜松高工
新井灌     興亜専門
石坂和郎    昭和高商
石田寛     岡山師範
石橋申雄    同文書院
岩橋彗     関西大
岩本京一    早稲田大
植木七郎    明治大
植島幸次郎  明治大
圓並地正壮  早稲田大
遠藤益司    日本大
及川肇     盛岡商工
大森晴二    立正大
太田博英    鳥取師範
岡田正     関西大
加藤三郎    明治大
金井正夫    仙台高工
金子保     名古屋大
川合仁     東北学院
貴島正明    慶応大
熊澤康夫    京城師範
黒木七郎    大阪青教
小林哲夫    法政大
糀本武次郎  熊本師範
斎藤勇     早稲田大

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坂本充     慶応大
酒井勲     明治学院
作田幹雄    立命館大
志澤保吉    早稲田大
椎木鐡幸    日本大
清水正義    慶応大
未藤肇     京都高蚕糸
末吉實     高松高工
田中光武    松山高商
田中久士    徳島高工
田原拓郎    拓殖大
田村五郎    東京高工
高橋元一    九州医専
高橋光淳    大谷大
竹内考     日本大
武下明     大分師範
伊達實     大阪専門
俵一夢     竜谷大
遠山善雄    米沢高工
時任正明    中央大
富坂弥右ェ門 大阪専門
中村盛雄    東京農大
長澤善亮    福岡一師 
根岸敬次    中央大
根本道雄    法政大
林田直     鹿児島高農
福島正次    盛岡高工
福寺薫     岡山師範
藤坂昇     大阪青教
堀切晋一    同志社大
前田猪八郎  桐生高工
枡見良雄    早稲田大
松永敏比古  中央大
松林平吉    山口高師
松本厚     京都師範
溝川隆     大阪二師
宮本十三    早稲田大
村井末吉    国学院大
盛岡哲志    早稲田大
森忠司     拓殖大
森田義朗    日本大
柳江秀男    大阪専門
山口人久    日本体専
山田興治    神奈川師
山田鉄雄    立教大
山村英三郎  明治薬専
湯川俊輔    関西学院
吉田信太郎  滋賀師範
和田喜一郎  専修大
若麻績隆    大正大
鷲尾 京    早稲田大


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  「戦艦大和の最期」

 「『戦中派』の世代が生き残ったことで存在を認められるものではない。本来ならば戦争に殉死すべきものであり、たまたましに損なったとしても、生きて戦後の社会をわが眼で見たことに意味があるのではなく、散華した仲間の代弁者として生き残ることによって、初めてその存在を認められるのである」と、吉田 満の「戦艦大和の最期」の前書きに書かれているのを読んでひどく感動したことがある。

【余聞】今年は2010年、僕の生まれは1932年だから2010−1932=78となる。上記1945年4月6日飛び立った人は総数78人。この同じ数字を見て仰天!、しばし眼を見張った。(資料ー第13期海軍飛行予備学生誌・戦没者名簿より僕がカウントした)

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