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zoom RSS 小指の痛み 私の昭和史

<<   作成日時 : 2010/05/10 07:45   >>

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アクセントの強い言葉に、テレビをふり返った。画面は、手刷りらしい文集のページを追っていた。「私は、何十名もの教え子を死なせました。終わったあとで、それが誤まった戦争であったと、知りました。」教師だった、というその人の浅黒い顔の前にすわり直した。

画像
「島じゅうが戦場だったです。年寄りも子どもも、赤ん坊までもが、戦争に参加させられました。」卒業して十年、何かに駆り立てられる思いで学び直した直した日本史と画面が、一瞬ショートした。

沖縄ーそれは私にとって「特別」な土地だった。近・現代史のなかで発見した沖縄に、本当の歴史を創ってきた民衆の凝縮した形を発見した時、私は感動に身震いした。三月の東京大空襲、八月のヒロシマ・ナガサキ、を語り継ぐ運動は大きく育ちつつあったが、日本本土上陸戦を引き伸ばすために捨て石にされた沖縄のことは、戦後十九年にしてまだ僅かな情報でしかなかった。沖縄本島最南端の摩文仁の丘から見下す海面を埋めつくしたアメリカの艦隊が打ち出す砲弾を「鉄の暴風」と島人は呼んだ。その暴風で美しい島は山までもが形を変えたという。

「それなのに沖縄は、また、アメリカの占領下です。」

煮えたぎる涙を一滴一滴、熱い言葉にしてその人は語りつづけた。

「もしあなたの体の小指一本でも傷ついたらあなたはかばうでしょう。治そうと努力するでしょう。沖縄は日本の小指です。小指が、ちぎれ落ちそうに傷んでいるのです。なぜ、痛い、と言ってくれないのですか。なぜ救おうとしてくれないのですか。」

木の蔭に立って眺めて過ぎた六十年安保が、その瞬間、重い事実となって私に還ってきた。眼はテレビに釘づけのまま、手はノオトと鉛筆をつかんでいた。溢れ出る涙で見えない文字を、私はノオトに刻みつけた。

 
 小指の痛みも知らずに暮らしていた十九年の間に
 小指は傷つき病み果て
 ちぎれ落ちそうになってしまった
 昔その島は日本の最後の楯だった
 昔その島は日本の最初の踏み石だった
 十九年の間に、少しづつ物を知って
 わたしは三十歳の母親になった
 小指の痛みに
 いまはわたしも責めを負わねばならない!


  (永井和子散文詩集ー「私の昭和史」)

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