満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 子守唄はもううたわない

<<   作成日時 : 2010/05/18 09:49   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

「そうさ。だけど、ぼくは、真実の教育を受けてきたからね。この、ぼくの、家のなかで。」彼は言った。そして、うつむいて書きはじめた。ボールペンが紙の上できしんだ。力をこめているのだ。一字一字、刻むように書き上げた用紙を私の前に置いた。

▼40年住みなれた江東区。近くに清澄庭園が
画像
「よろしく、先輩!」右手をさしだして笑った。笑顔が緊張している。
「こちらこそ」唇がふるえた。にぎりかえした手は、まだ稚なかった。十八歳の誕生日を迎えたばかりの細い指だった。
1977年10月16日、逆流の秋だった。

「子どものときはわからなかったのよ。なぜ、母親がいつも家にいないのか。さびしかったしね。」
たじろぐ私に、彼女は笑って告げた。
「いいのよ、いまは、わかったから。」
彼女の意見で採用された不破哲三衆議院議員候補者カーのグリーンのスカートをちょっと直してから、白い手袋をはめた。バネのある声が街にひびいて遠ざかる。

1981年は、あきらめを知らない者たちの春だった


80年代の日本、資本の暴力と政治の反動化の波が、これほど多くの生命をうばったことはなかった
1981年10月16日、北炭夕張新鉱でガス突出事故、死者93人。
1983年5月26日、日本海中部地震、死者・行方不明者102人。
1984年、三井三池有明鉱で坑内火災、死者83人。
1985年5月12日、日航機群馬県上野村山中に墜落、死者520人。
1988年、海上自衛隊潜水艦「なだしお」、釣船第一富士丸を沈没、死者30人。

歯ぎしりする怒りのなかで、平和への希求がこれほど深く大きく、高まったこともなかった。
1984年8月9日、原水爆禁止世界大会は「核戦争防止と核兵器全面禁止は、いまや前人類の死活にかかわる最も重要かつ緊急の課題」とする東京宣言を採択。1986年5月19日、1350人、50団体で「非核の政府を求める会」結成。1987年11月15日、ヒロシマ・ナガサキアピール150ヵ国に広がり、国内署名2700万人を超える。1987年12月8日、米・ソ、INF(中距離ミサイル)全廃条約調印。核兵器廃止への一歩が踏み出された。

命を守ること、あきらめずあるきつづけることを、うたいつづけて、子守唄はいつも、愛と平和だった。自分の翼で自分の空を飛びはじめた二人に、もう子守唄はいらない。出発(たびだち)の朝、いつのまにか肩の上に背負っていたもの全てを、雪の空へ舞い上がるジエット機の上から捨てた。私は、私の歌をうたおう!


余聞ひたぶるに育んできて18年。息子が、娘が旅立った。自らは新天地、青く澄む北の空に。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
子守唄はもううたわない 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる