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zoom RSS あの安保 子離れの子守唄

<<   作成日時 : 2010/06/19 09:08   >>

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テレビの画面から、熱気が渦を巻いてふきだしていた。腕を組み、叫んでいる。人々が踏みつける足の下で大地が揺れ、画像が揺れた。その震えが、私の体にも伝わってきた。国会を包囲した「安保改定反対」のデモは、連日、うねりのように日を追ってその量(かさ)を増大していた。

▼あれから50年 国会議事堂前で
画像
 デモは、政治を学び語り合い納得して自らの意思で集まった人々の醒めた眼と、この一点を突破することで歴史を変えてみせようという熱気と、両極端の温度差で乱気流のような渦をつくっていた。

「よく、眠ってるだろ?」夫は低い声でささやいた。その声は少し苛立っていた。
「ええーーよく眠ってるわ」
不安の残る声でこたえた。眼はまだ、ベッドのなかの寝息から離れていなかった。「だいじょうぶ。車をとばせば往き帰り一時間半だ」

タクシーが走り出した。
「お客さん、近くまでって言っても・・・・・・」
議事堂に近づくにつれて街の雰囲気が変わり真昼間のような人通りと祭りの陽気な緊迫感がタクシーを包んだ。

降り立った二人の前を整然と歩く人の列が、二重にも三重にもなって通り過ぎた。木の蔭に立って夫は、見知った顔に何度か手を振った。眠っている子への不安は遠のいていった。私の眼の前を過ぎているのは「歴史」だった。まだ活字にはなっていない、血を流している私自身の時代だった。

第二次世界大戦で連合国に敗れた日本は、アメリカの意向に従って中国とソ連を除いて単独講和を一九五一年九月八日、サンフランシスコで結んだ。同時に密約された日米安全保障条約によって日本は、アメリカの軍事同盟国に帰属した。
一九五八年九月、この軍事同盟の強化をめざす安保条約改定の日米交渉開始。一九五九年五月「安保条約改定阻止国民会議」結成。一年半にわたるたたかいのなかで、二千余の地域共闘組織と二十三回もの統一行動、数百万労働者による三回の政治スト決行。安保条約改定反対の波は日本列島にあふれた。新聞、ラジオは無論のこと、ちょうど爆発的に普及したテレビは、連日連夜、国会周辺の生なましい状況を茶の間に送りつづけ、家に在った女たちの意識をゆすぶっていた。

「すごいじゃないか」
夫は冷静をよそおった声で言った。私は、言葉をなくしていた。
「すごいじゃないか!」夫はもう一度、カン高い声で叫んだ。デモは、私の心を巻き込みながら私の前を通り過ぎていった。新安保条約は一九六〇年六月、批准され、沖縄は祖国政府の手によって島ぐるみアメリカに売り渡された。直後、岸内閣は崩壊した。 (「私の昭和史」−永井和子散文詩集)

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