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zoom RSS 「かぜくさ」 私の昭和史

<<   作成日時 : 2010/07/30 07:08   >>

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宇和海に面した小さな城下町の山に向かう道は、四月の陽光のなかで野の花にあふれていた。その、ひとつひとつの花の前で足をとめ、痛いほど、どきどきする胸をおさえた。体じゅうの血がわいて、じんじんと痺れ、ぼうっとなる幸福感にたちすくんでいた。

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九歳から十一歳にかけての記憶をたどってみると、いつも、独りだった。
いつも独りで、野の道をあるいていた。
そのとき、教えてくれるおとなが傍にいれば、自分が、うつくしいものにどれほど弱い人間かを知って用心しただろうが、私は何も知らず考えず、やみくもに山道をあるきまわっていた。
秋には、夕暮に冷えた風にこごえる指をにぎりあわせながら、草のなかで夕焼けに染まっていた。私の囲りで、かぜくさが、激しく音をたててそよいでいた。
独りでいたからなお、私は、体のなかにあふれるものを持てあましていた。それは、ぼんやりして形を持たず、ただ熱いだけだった。

戦争は、単純な空腹と即、反応できる体力と、疑問を持たない意思を要求する。学校教育の全てがその方向へねじまげられていた。体が小さくて動作の遅い私は、集団からはぐれずに、ついていくので精一杯だった。当時の私たちには、個々の未来はなかった。早く大きくなって兵隊さんになって戦争に行き、お国のために死ぬ。それが私たちの生涯計画だった。率直な軍国少女だった私は、看護婦さんになることに決めていた。それでも体の奥から湧いてくる素朴な疑問が、私を悩ませた。
 なぜ、花を好きになってはいけないだろう?
 なぜ、男が女よりエライのだろう?
同級生たちは、私を、「非国民」だといった。


一九四五年八月十五日がきて、日本の敗戦が告げられた。軍国少女の私はがっかりしたけれど、その夜、急に明るくなった電燈の下で、手足を伸ばして眠れるのが嬉しかった。
ある日、かまどの前で祖母が愚痴っぽくくりかえす言葉が、私をおどろかせた。
「何が、アメリカさんじゃ。民主主義じゃと。男女同権じゃと。てんぽうなこと、いいおって!」

 日本は民主主義になった!
 男が女よりエライわけじゃなかった!
私の肩から何か、重いものがすべり落ちた。未来をとざしていた道が、ふいに明るくひらけた気がした。むしょうに嬉しかった。
その日も私は独りで、あるいたのだろうか。かぜくさの続く道を。
 (永井和子散文詩集)

【赤字・注】*愛媛県北宇和郡旧吉田町*無鉄砲なこととでも解釈すればいい。

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