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zoom RSS 「雲流るる果てに」−51−

<<   作成日時 : 2010/09/12 06:00   >>

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岸 文一 [きし・ぶんいち] ー新潟第二師範ー新潟県出身、昭和19年10月24日、台湾沖航空戦にて戦死。22歳搭乗機・月光(二座)。(「雲流るる果てに」252〜253頁)

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   帰子待喜
 
 秋も深くなり裏庭で鳴く虫の音は今も変わらぬ事と思ひます。皆さんと一緒に物語った夜の数々の追憶で胸一杯になる事もあります。
 屹度、御両親様始め妹弟も嘸かし私の事を片時もお忘れなく御心配下さる事と推察いたします。
 五月帰省の折、妹から次の話を聞かされました。
 「お母さんは兄さんの入隊以来、毎日写真の前に陰膳を供え、自分ではお茶を断ち毎晩鎮守様へ武運長久のお祈りに参拝していらっしゃる」と、私は有難くて返事が出来ませんでした。

 噫、申訳ありません。私の生れる時は難産で医大で生れ、お母さんを苦しめ其の後の入院で御両親様オテルの三人で徹夜で看護下され其の慈愛の力で危機を脱し得ました。幼児入学以来土浦航空隊入隊まで家に在っても離れてゐた時もほんとに細かい処までよく手を尽し心を込めてお育て下された事が次から次と思ひ浮び、昼の訓練に疲かれ床の中で明日の仕事を考へながらも感謝の念は糸を手繰るが如くつきません。

 我儘な私を今日まで骨身を削りお育て下された大恩の一片も、遂にお返し出来ず散華すると思へば、断腸の感禁ずる能はずで御座います。殊に入隊出発の前夜は歓送の宴で非常にお母さんには疲労なされてをられたのに、翌日の準備で一睡もとられず、私の打ち振る国旗のサインに「帰子待喜」と署名下された。尊い此の四字は暇さへあれば拝見して心の糧として教訓としてをります。

 戦は愈々苛烈に入りました。到底生還は望めません。私も多数の方々や可憐な学童の咽をつり上げて軍歌を唄ひながら国旗の波で元気一杯送って下されたあの姿が、今もなほ脳裏に堅く沁み込んでゐます。

 この世に天恩と父母の恩が最なるものと信じています。お母さんは日頃病弱でゐらっしゃいます。妹や弟はどうぞ私の分をも孝行して下さい。
 御両親様妹弟の健康を神かけてお祈りし、不孝な私をお赦し下さい。
 先般お送りしたアルバム三冊は妹弟への記念です。どうぞ私の事は御心配なく、戦死とお聞きの時は私の本望とおよろこび下さい。さよなら。

 昭和19年10月14日夜                                 文一

 岸 勝二 マキ 一代 道子 公三 様

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